2021年3月の訃報特集。後半に多くの報道があった。1回目は日本の文化関係のみ。まず俳優の田中邦衛。3月24日死去、88歳。死因が「老衰」と報道されて驚いたが、数年前から衰えを見せていたらしい。故郷の岐阜で中学に勤務後、上京して俳優座養成所に通った。田中邦衛は7期生に当たり、同期に井川比佐志、山本學らがいた。50年代末から個性的な存在感を買われ、「人間の条件」などの映画に出演。60年代には東宝の若大将シリーズ、東映の網走番外地シリーズなどで主演を支えるバイプレーヤーとして活躍した。
(田中邦衛)
今回の報道を見ると、多くの人がテレビドラマ「北の国から」を思い出している。90年代以後の特番は見ているものもあるが、最初のシリーズを見てないから僕はあまり書くことがない。80年代にはテレビを持たなかったので見られない。舞台では70年代に安部公房スタジオに所属したが、それも見てない。だから僕は「仁義なき戦いシリーズ」などの東映実録映画で知ったのではないか。ところで、昨年亡くなった森崎東監督のATG作品「黒木太郎の愛と冒険」に誰も触れない。これこそ主演作品でもあるし代表作の一本ではないか。
(映画「学校」)
僕にとって一番思い出にあるのが、山田洋次監督の「学校」だ。辛苦の中で生きてきた字も読めない下層労働者、イノさんを演じて忘れがたい。字を読めるようになりたくて夜間中学を知るが、竹下景子先生を好きになってしまう。競馬が大の趣味で、オグリキャップの活躍を授業中に熱弁したりする。この映画は定時制高校で何度も生徒に見せているが、そのオグリキャップのシーンを何度も見せてくれと言われたことがある。その思い出が強烈なのである。
書家というより前衛的水墨画家というべきだった篠田桃紅(しのだ・とうこう)が3月1日死去、107歳。もともと書道の枠内で活動していたが、やがて50年代から抽象的美術家のような作品を多く作って海外で評価された。1956年に渡米、58年に帰国後一躍注目された。僕には作品のことは良く判らないけれど、多くの本も書いて知名度があった。長く生きたことで「百歳の力」「一〇三歳になってわかったこと」「一〇五歳 死ねないのも困るのよ」など最近まで続々と本を出していた。映画監督篠田正浩はいとこにあたり、映画「心中天網島」で背景に使われている。
(篠田桃紅) (著書「百歳の力」)
アニメーターの大塚康生が3月15日に死去、89歳。日本のアニメ草創期から映画、テレビで活躍し後進に大きな影響を与えた。「白蛇伝」に始まり「太陽の王子ホルスの大冒険」の作画監督、テレビでは「ムーミン」「ルパン三世」「未来少年コナン」など。宮崎駿「ルパン三世 カリオストロの城」の作画監督も務めた。日本のアニメ隆盛に貢献した人である。著書、画集も多い。
(大塚康生)
作家の小沢信男が3月3日に死去、93歳。訃報では「裸の大将一代記」が取り上げられるが、作品には東京徘徊記や昔の犯罪ルポなどが多い。もともと詩を書いていて、その後俳句も詠んでいる。花田清輝に認められ新日本文学会に参加したが、左翼的というより随筆・ルポのような作風で諧謔、風刺的な作品を書いた。今まで読んでなかったのだが、ちくま文庫に「ぼくの東京全集」という選集があった。読んでみたら面白かった。
(小沢信男)(ぼくの東京全集)
本の装幀家(ブックデザイナー)、グラフィックデザイナーの平野甲賀が3月22日死去、82歳。武蔵美から高島屋宣伝部に務めたが、退職してフリーとなった。晶文社のほとんどの本を手掛けたので、ぼくには印象深い。マスコミでは沢木耕太郎「深夜特急」が取り上げられているので、ここでも画像を載せておいた。一見して個性の判る字だった。黒テントや高橋悠治らの水牛楽団のポスターも手掛けたと出ていて、そう言えばと思い出した。
(平野甲賀)(沢木耕太郎「深夜特急」)
映画プロデューサーの原正人が3月17日死去、89歳。ヘラルド映画に入社して多くの欧米映画をヒットさせた。黒澤明監督がソ連で製作した「デルス・ウザーラ」では製作協力を務めた。81年にヘラルド・エースを設立して「戦場のメリークリスマス」「乱」などの合作大作を製作した。他に「瀬戸内少年野球団」「失楽園」「金融腐食列島 呪縛」「リング」「武士の家計簿」などがある。
(原正人)
・村上”ポンタ”秀一、ドラマー、9日死去、70歳。「赤い鳥」に参加し、73年からスタジオミュージシャンとしてジャンルを超えた多くの曲に参加。1万枚を超えるアルバムに参加、1万4千曲を超える収録を行った。ジャズが専門ながら、ピンク・レディもキャンディーズも山口百恵もバックでドラムをたたいていたのはこの人だった。
・濱田滋郎、音楽評論家、21日死去、86歳。スペイン音楽研究の第一人者で、日本フラメンコ協会会長を務めた。
・遠山慶子、ピアニスト、29日死去、87歳。フランスのコルトーに認められ20歳で渡仏、パリでデビューした。
(田中邦衛)
今回の報道を見ると、多くの人がテレビドラマ「北の国から」を思い出している。90年代以後の特番は見ているものもあるが、最初のシリーズを見てないから僕はあまり書くことがない。80年代にはテレビを持たなかったので見られない。舞台では70年代に安部公房スタジオに所属したが、それも見てない。だから僕は「仁義なき戦いシリーズ」などの東映実録映画で知ったのではないか。ところで、昨年亡くなった森崎東監督のATG作品「黒木太郎の愛と冒険」に誰も触れない。これこそ主演作品でもあるし代表作の一本ではないか。
(映画「学校」)
僕にとって一番思い出にあるのが、山田洋次監督の「学校」だ。辛苦の中で生きてきた字も読めない下層労働者、イノさんを演じて忘れがたい。字を読めるようになりたくて夜間中学を知るが、竹下景子先生を好きになってしまう。競馬が大の趣味で、オグリキャップの活躍を授業中に熱弁したりする。この映画は定時制高校で何度も生徒に見せているが、そのオグリキャップのシーンを何度も見せてくれと言われたことがある。その思い出が強烈なのである。
書家というより前衛的水墨画家というべきだった篠田桃紅(しのだ・とうこう)が3月1日死去、107歳。もともと書道の枠内で活動していたが、やがて50年代から抽象的美術家のような作品を多く作って海外で評価された。1956年に渡米、58年に帰国後一躍注目された。僕には作品のことは良く判らないけれど、多くの本も書いて知名度があった。長く生きたことで「百歳の力」「一〇三歳になってわかったこと」「一〇五歳 死ねないのも困るのよ」など最近まで続々と本を出していた。映画監督篠田正浩はいとこにあたり、映画「心中天網島」で背景に使われている。
(篠田桃紅) (著書「百歳の力」)
アニメーターの大塚康生が3月15日に死去、89歳。日本のアニメ草創期から映画、テレビで活躍し後進に大きな影響を与えた。「白蛇伝」に始まり「太陽の王子ホルスの大冒険」の作画監督、テレビでは「ムーミン」「ルパン三世」「未来少年コナン」など。宮崎駿「ルパン三世 カリオストロの城」の作画監督も務めた。日本のアニメ隆盛に貢献した人である。著書、画集も多い。
(大塚康生)
作家の小沢信男が3月3日に死去、93歳。訃報では「裸の大将一代記」が取り上げられるが、作品には東京徘徊記や昔の犯罪ルポなどが多い。もともと詩を書いていて、その後俳句も詠んでいる。花田清輝に認められ新日本文学会に参加したが、左翼的というより随筆・ルポのような作風で諧謔、風刺的な作品を書いた。今まで読んでなかったのだが、ちくま文庫に「ぼくの東京全集」という選集があった。読んでみたら面白かった。
(小沢信男)(ぼくの東京全集)
本の装幀家(ブックデザイナー)、グラフィックデザイナーの平野甲賀が3月22日死去、82歳。武蔵美から高島屋宣伝部に務めたが、退職してフリーとなった。晶文社のほとんどの本を手掛けたので、ぼくには印象深い。マスコミでは沢木耕太郎「深夜特急」が取り上げられているので、ここでも画像を載せておいた。一見して個性の判る字だった。黒テントや高橋悠治らの水牛楽団のポスターも手掛けたと出ていて、そう言えばと思い出した。
(平野甲賀)(沢木耕太郎「深夜特急」)
映画プロデューサーの原正人が3月17日死去、89歳。ヘラルド映画に入社して多くの欧米映画をヒットさせた。黒澤明監督がソ連で製作した「デルス・ウザーラ」では製作協力を務めた。81年にヘラルド・エースを設立して「戦場のメリークリスマス」「乱」などの合作大作を製作した。他に「瀬戸内少年野球団」「失楽園」「金融腐食列島 呪縛」「リング」「武士の家計簿」などがある。
(原正人)
・村上”ポンタ”秀一、ドラマー、9日死去、70歳。「赤い鳥」に参加し、73年からスタジオミュージシャンとしてジャンルを超えた多くの曲に参加。1万枚を超えるアルバムに参加、1万4千曲を超える収録を行った。ジャズが専門ながら、ピンク・レディもキャンディーズも山口百恵もバックでドラムをたたいていたのはこの人だった。
・濱田滋郎、音楽評論家、21日死去、86歳。スペイン音楽研究の第一人者で、日本フラメンコ協会会長を務めた。
・遠山慶子、ピアニスト、29日死去、87歳。フランスのコルトーに認められ20歳で渡仏、パリでデビューした。