韓国の女性監督キム・ミレが作った記録映画「狼をさがして」が公開されている。1週目は午前10時50分、夜21時という時間設定だったが、今日から夕方17時の回があるので見に行った。「狼をさがして」なんて、幻のニホンオオカミを探すドキュメントかと思うロマンティックな題名だが、これは70年代半ばに爆弾闘争を繰り広げた「東アジア反日武装戦線」を探る記録映画なのである。時間にして74分なので抜けていることも多いが、まずは貴重な映画である。
原題は「東アジア反日武装戦線」の方で、英語題は「East Asia Anti-Japan Armed Front」である。当時の韓国は朴正熙の厳しい軍事独裁政権だったから、日本の左翼テロ事件など注目されなかったに違いない。映画内では「忘れられたテロリスト」と言われているが、日本では60年代から70年代に起こった「反乱の季節」全体が継承されなかった。「連合赤軍」のあさま山荘事件やリンチ事件、あるいは日本赤軍によるハイジャック事件などは、今も時々振り返られるからまだしも知名度はあるかもしれない。でも1971年12月のクリスマスツリー爆弾事件の黒ヘルグループなんかの方が知られていないだろう。
(映画の題名場面。ハングルで「東アジア反日武装戦線」)
僕は「東アジア反日武装戦線」と彼らの起こした事件のことはよく覚えている。1974年8月30日、東京丸の内の三菱重工ビル前で大爆発が起き、死者8人、負傷者多数が出る大惨事となった。ガラスが割れて降り注ぎ被害を大きくしたのである。その後「東アジア反日武装戦線 狼」の名前で犯行声明が出た。続いて三井物産や大成建設、間組など大手企業が毎月のように狙われた。「狼」以外にも「大地の牙」「さそり」を名乗ったグループがあった。僕は当時は浪人時代で、自分の境遇と合わさるかのような連続爆破事件に「どこまで続くんだろう」と思って過ごしていた。
1975年5月17日に、主要なメンバーが一斉に逮捕された。その時に「大地の牙」の斎藤和は持っていた青酸カリで自殺したことが衝撃を与えた。他のメンバーも持っていたが使うことは出来なかった。逮捕者8名と指名手配2名の名前は僕は今でも全員言える。こういう言い方はなんだけど、70年代のグループで全員の名前を言えるのは東アジア反日武装戦線とキャンディーズだけなのである。それは彼らの提起した「日本のアジア侵略企業の責任を問う」という視点が日本近代史を学び始めた自分にとって強い印象を与えたということだ。
(キム・ミレ監督)
監督のキム・ミレは韓国や日本で労働運動や人権問題を扱った記録映画を撮ってきたという。自分の親が日雇い労働者だったので、日本でも同じような境遇にある大阪・釜ヶ崎で取材していて「東アジア反日武装戦線」のことを知ったという。そこで数年にわたって彼らを追い続けた。2012年から2017年頃のことである。2017年に大道寺将司(「狼」、死刑囚)が獄中で死亡し、浴田由起子(えきた・ゆきこ、「大地の牙」、ハイジャック事件で超法規的に釈放、後ルーマニアで逮捕され懲役20年)が出所した。そこまでを追っているが、取材出来た当時者は荒井まり子、宇賀神寿一、浴田である。他は周辺の人物を取材している。
(浴田さんと荒井まり子さんの母)
この事件は政治的背景のある事件で初めて死刑判決が出た事件だった。(その後、連合赤軍事件、北海道庁爆破事件=冤罪主張事件で死刑判決が出た。)僕はその頃、他の冤罪事件に関して彼らと連絡を取ったことがあって、彼らの丁寧な対応に驚いた。マスコミ報道で「爆弾魔」的に伝えられていたが、ちょっと違うのかなと思った。死刑廃止運動に関わっていたから、僕は彼らの死刑判決を確定させてはいけないと思っていた。もう就職して多忙だったけれど、集会やデモに行ったことがある。当時の支援運動のミニコミなどはまだ取ってあるはずだ。
今日は弁護士の内田雅敏さん、新聞記者鈴木英生氏のトーク付き。内田さんも指摘しているが、この映画には三菱事件の被害者が取り上げられていない。太田昌国氏が大道寺の俳句を通して触れられるだけ。監督は「日本ではタブーになっている」と語るが、それは「虹作戦」(昭和天皇暗殺計画)があったからだろう。那須御用邸から全国戦没者追悼式に戻る天皇列車を荒川鉄橋で爆破するという計画だったが、直前で中止された。その爆弾が三菱事件に使われたきっかけは、8月15日に起きた文世光の朴正熙韓国大統領狙撃事件だった。
今から考えると、その事件の評価も間違っていた。そして三菱事件後の声明で死者を出したことを謝罪しないという決定的間違いを犯した。その事の意味はもっと考える必要がある。存命だったならば確実に取材したはずの松下竜一さんの「狼煙を見よ」も触れられていない。その意味では時間も短く点描で終わっている感もあるが、残された問題は見るものが考えるべきことだと言えるだろう。知らない人にこそ見て感想を聞きたい映画だ。
なお、映画に中野英幸さんが出てきて斎藤和さんのこを語っていた。映画の宣伝コメントに友常勉さんも出ていた。故斉藤龍一郎さんとともに731部隊展をやったメンバーである。このブログに書いた「大道寺将司の死」、「文世光事件の長い影」も参照。
原題は「東アジア反日武装戦線」の方で、英語題は「East Asia Anti-Japan Armed Front」である。当時の韓国は朴正熙の厳しい軍事独裁政権だったから、日本の左翼テロ事件など注目されなかったに違いない。映画内では「忘れられたテロリスト」と言われているが、日本では60年代から70年代に起こった「反乱の季節」全体が継承されなかった。「連合赤軍」のあさま山荘事件やリンチ事件、あるいは日本赤軍によるハイジャック事件などは、今も時々振り返られるからまだしも知名度はあるかもしれない。でも1971年12月のクリスマスツリー爆弾事件の黒ヘルグループなんかの方が知られていないだろう。
(映画の題名場面。ハングルで「東アジア反日武装戦線」)
僕は「東アジア反日武装戦線」と彼らの起こした事件のことはよく覚えている。1974年8月30日、東京丸の内の三菱重工ビル前で大爆発が起き、死者8人、負傷者多数が出る大惨事となった。ガラスが割れて降り注ぎ被害を大きくしたのである。その後「東アジア反日武装戦線 狼」の名前で犯行声明が出た。続いて三井物産や大成建設、間組など大手企業が毎月のように狙われた。「狼」以外にも「大地の牙」「さそり」を名乗ったグループがあった。僕は当時は浪人時代で、自分の境遇と合わさるかのような連続爆破事件に「どこまで続くんだろう」と思って過ごしていた。
1975年5月17日に、主要なメンバーが一斉に逮捕された。その時に「大地の牙」の斎藤和は持っていた青酸カリで自殺したことが衝撃を与えた。他のメンバーも持っていたが使うことは出来なかった。逮捕者8名と指名手配2名の名前は僕は今でも全員言える。こういう言い方はなんだけど、70年代のグループで全員の名前を言えるのは東アジア反日武装戦線とキャンディーズだけなのである。それは彼らの提起した「日本のアジア侵略企業の責任を問う」という視点が日本近代史を学び始めた自分にとって強い印象を与えたということだ。
(キム・ミレ監督)
監督のキム・ミレは韓国や日本で労働運動や人権問題を扱った記録映画を撮ってきたという。自分の親が日雇い労働者だったので、日本でも同じような境遇にある大阪・釜ヶ崎で取材していて「東アジア反日武装戦線」のことを知ったという。そこで数年にわたって彼らを追い続けた。2012年から2017年頃のことである。2017年に大道寺将司(「狼」、死刑囚)が獄中で死亡し、浴田由起子(えきた・ゆきこ、「大地の牙」、ハイジャック事件で超法規的に釈放、後ルーマニアで逮捕され懲役20年)が出所した。そこまでを追っているが、取材出来た当時者は荒井まり子、宇賀神寿一、浴田である。他は周辺の人物を取材している。
(浴田さんと荒井まり子さんの母)
この事件は政治的背景のある事件で初めて死刑判決が出た事件だった。(その後、連合赤軍事件、北海道庁爆破事件=冤罪主張事件で死刑判決が出た。)僕はその頃、他の冤罪事件に関して彼らと連絡を取ったことがあって、彼らの丁寧な対応に驚いた。マスコミ報道で「爆弾魔」的に伝えられていたが、ちょっと違うのかなと思った。死刑廃止運動に関わっていたから、僕は彼らの死刑判決を確定させてはいけないと思っていた。もう就職して多忙だったけれど、集会やデモに行ったことがある。当時の支援運動のミニコミなどはまだ取ってあるはずだ。
今日は弁護士の内田雅敏さん、新聞記者鈴木英生氏のトーク付き。内田さんも指摘しているが、この映画には三菱事件の被害者が取り上げられていない。太田昌国氏が大道寺の俳句を通して触れられるだけ。監督は「日本ではタブーになっている」と語るが、それは「虹作戦」(昭和天皇暗殺計画)があったからだろう。那須御用邸から全国戦没者追悼式に戻る天皇列車を荒川鉄橋で爆破するという計画だったが、直前で中止された。その爆弾が三菱事件に使われたきっかけは、8月15日に起きた文世光の朴正熙韓国大統領狙撃事件だった。
今から考えると、その事件の評価も間違っていた。そして三菱事件後の声明で死者を出したことを謝罪しないという決定的間違いを犯した。その事の意味はもっと考える必要がある。存命だったならば確実に取材したはずの松下竜一さんの「狼煙を見よ」も触れられていない。その意味では時間も短く点描で終わっている感もあるが、残された問題は見るものが考えるべきことだと言えるだろう。知らない人にこそ見て感想を聞きたい映画だ。
なお、映画に中野英幸さんが出てきて斎藤和さんのこを語っていた。映画の宣伝コメントに友常勉さんも出ていた。故斉藤龍一郎さんとともに731部隊展をやったメンバーである。このブログに書いた「大道寺将司の死」、「文世光事件の長い影」も参照。