2020年のヴェネツィア映画祭金獅子賞を獲得したクロエ・ジャオ監督「ノマドランド」が日本でも公開された。アメリカでは各種の賞レースを独占する勢いだが、その評判にたがわぬ大傑作だ。社会派的な要素が強いのかと思っていたが、それもあるけれど人間の魂の奥深くを照らし出す作品だった。大自然の中を車で放浪する現代の「ノマド」(遊牧民、放浪者)の姿をじっくりと描き出し、見る者の魂に触れる忘れがたい作品。間違いなく今年のベスト級の作品である。
主役のファーンという女性をフランシス・マクドーマンドが演じている。「ファーゴ」「スリー・ビルボード」で2回アカデミー賞主演女優賞を受賞した名優である。彼女が原作のノンフィクション、ジェシカ・ブルーダー「ノマド: 漂流する高齢労働者たち」を読んで映画化権を取得した。自らプロデューサーも兼務し、監督に中国出身の若手クロエ・ジャオを起用した。マクドーマンドともう一人を除き、登場する人物は実際の「ノマド」たちを起用した稀有の作品である。マクドーマンド自ら運転するだけでなく、Amazonや国立公園清掃員などで働くシーンもある。
(原作「ノマド」翻訳本)
ファーンはネヴァダ州の石膏採掘の町エンパイアに住んでいた。夫のボーが亡くなった後も町を離れる気にならず、代用教員などで暮らしていた。しかし、2008年のリーマンショックで会社が倒産して、町ごと無くなってしまった。会社は町への立ち入りを禁止し、郵便番号まで消滅した。ファーンは夫が長年乗っていた車に最低限のものだけ詰め込んで、まずはAmazonの季節労働者になった。近くに車で泊まれるキャンプ場があり、雇用中はAmazonが宿泊代を負担する。季節が冬なので、多分クリスマス商戦期間だけ雇われているんだと思う。その間に仲間たちから情報を貰うが、車で放浪しながら生きている高齢者が多くいることを知る。
(アメリカを車で移動する)
雇用期間が終わると宿泊代を自腹では払えない。ファーンも寒い冬を避けて、アリゾナのノマド集会に行くことにする。そこで出会うリーダーのボブ・ウェルズや病気を抱えたリンダ・メイなどは本人が自ら演じている。その存在感の重さは見る者の魂に響いてくる気がする。ノマドの暮らしには「自由」があるものの、「不自由」もある。例えば「排泄」だと自ら演じているぐらい、この映画はリアルである。多くのノマドたちは家を奪われて住む場所がなくなった人たちだ。61歳のファーンも「年金の繰り上げ受給」を勧められたが、年金だけでは生きていけないから働くしかないのだ。
(ノマドの「有名人」ボブ)
アメリカの厳しい格差社会を感じるし、人種を問わず高齢者に厳しい社会だ。それでも探せば働く場所は見つかるから、車で移動しながら生きていく。そんな中で別れと再会を繰り返すことになる。ノマドは「さよなら」と言わない。「またどこかで」と言って車で去って行く。ファーンは「ホームレス」になったのと問われて、自分は「ハウスレス」だと答える。車が故障して修理代を頼むため、東部に住む姉を訪ねるシーンがある。姉はずっとここにいて欲しいと言うが、ファーンはやはり亡夫との二人旅に出て行く。好意を持ってくれるデヴィッド(デヴィッド・ストラザーン=もう一人のプロ俳優)もいて、カリフォルニアの家族とともに一緒に暮らそうと言われるが…。
(デヴィッドと自然の中で)
ファーンはもうベッドでは安らげない。どうして旅立つのか、それをどう考えるか。人それぞれに答えがあると思うが、人はどこであれ一人で生きていくしかない。その厳しさを身に沁みて感じさせる。そこにこの映画が魂の底に触れたような深さがあると思う。見る人それぞれで自分なりの答えを探して行けばいい。そういう映画だと思う。そこが「社会派」のレベルをさらに超えたところだ。今までに数多くのロードムーヴィーが作られてきたが、この映画は「道」「パリ、テキサス」「モーターサイクル・ダイアリーズ」などに匹敵する傑作として語り継がれるだろう。
(クロエ・ジャオ監督)
監督のクロエ・ジャオ(1982~)は北京で生まれ、アメリカで高校、大学を出た。幾つかの職を経て、ニューヨーク大学で映画を学んだ。父親が離婚し、女優のソン・タンタン(宋丹丹、チャン・イーモウ監督の武侠映画「LOVERS」などに出演)と再婚したりしたことが中国を離れた理由にあるのかもしれない。2015年のデビュー作は日本未公開。第2作が2017年の「ザ・ライダー」で、ロデオで重傷を負った現代のカウボーイを描く作品だそうだが未見。第3作が「ノマドランド」で、これほどの傑作を作り上げたとは驚きだ。中国ではクロエ・ジャオの過去の発言が批判されているらしいが、自国の暗部を見つめる映画が高く評価されるアメリカの底力こそ学ぶ必要がある。
主役のファーンという女性をフランシス・マクドーマンドが演じている。「ファーゴ」「スリー・ビルボード」で2回アカデミー賞主演女優賞を受賞した名優である。彼女が原作のノンフィクション、ジェシカ・ブルーダー「ノマド: 漂流する高齢労働者たち」を読んで映画化権を取得した。自らプロデューサーも兼務し、監督に中国出身の若手クロエ・ジャオを起用した。マクドーマンドともう一人を除き、登場する人物は実際の「ノマド」たちを起用した稀有の作品である。マクドーマンド自ら運転するだけでなく、Amazonや国立公園清掃員などで働くシーンもある。
(原作「ノマド」翻訳本)
ファーンはネヴァダ州の石膏採掘の町エンパイアに住んでいた。夫のボーが亡くなった後も町を離れる気にならず、代用教員などで暮らしていた。しかし、2008年のリーマンショックで会社が倒産して、町ごと無くなってしまった。会社は町への立ち入りを禁止し、郵便番号まで消滅した。ファーンは夫が長年乗っていた車に最低限のものだけ詰め込んで、まずはAmazonの季節労働者になった。近くに車で泊まれるキャンプ場があり、雇用中はAmazonが宿泊代を負担する。季節が冬なので、多分クリスマス商戦期間だけ雇われているんだと思う。その間に仲間たちから情報を貰うが、車で放浪しながら生きている高齢者が多くいることを知る。
(アメリカを車で移動する)
雇用期間が終わると宿泊代を自腹では払えない。ファーンも寒い冬を避けて、アリゾナのノマド集会に行くことにする。そこで出会うリーダーのボブ・ウェルズや病気を抱えたリンダ・メイなどは本人が自ら演じている。その存在感の重さは見る者の魂に響いてくる気がする。ノマドの暮らしには「自由」があるものの、「不自由」もある。例えば「排泄」だと自ら演じているぐらい、この映画はリアルである。多くのノマドたちは家を奪われて住む場所がなくなった人たちだ。61歳のファーンも「年金の繰り上げ受給」を勧められたが、年金だけでは生きていけないから働くしかないのだ。
(ノマドの「有名人」ボブ)
アメリカの厳しい格差社会を感じるし、人種を問わず高齢者に厳しい社会だ。それでも探せば働く場所は見つかるから、車で移動しながら生きていく。そんな中で別れと再会を繰り返すことになる。ノマドは「さよなら」と言わない。「またどこかで」と言って車で去って行く。ファーンは「ホームレス」になったのと問われて、自分は「ハウスレス」だと答える。車が故障して修理代を頼むため、東部に住む姉を訪ねるシーンがある。姉はずっとここにいて欲しいと言うが、ファーンはやはり亡夫との二人旅に出て行く。好意を持ってくれるデヴィッド(デヴィッド・ストラザーン=もう一人のプロ俳優)もいて、カリフォルニアの家族とともに一緒に暮らそうと言われるが…。
(デヴィッドと自然の中で)
ファーンはもうベッドでは安らげない。どうして旅立つのか、それをどう考えるか。人それぞれに答えがあると思うが、人はどこであれ一人で生きていくしかない。その厳しさを身に沁みて感じさせる。そこにこの映画が魂の底に触れたような深さがあると思う。見る人それぞれで自分なりの答えを探して行けばいい。そういう映画だと思う。そこが「社会派」のレベルをさらに超えたところだ。今までに数多くのロードムーヴィーが作られてきたが、この映画は「道」「パリ、テキサス」「モーターサイクル・ダイアリーズ」などに匹敵する傑作として語り継がれるだろう。
(クロエ・ジャオ監督)
監督のクロエ・ジャオ(1982~)は北京で生まれ、アメリカで高校、大学を出た。幾つかの職を経て、ニューヨーク大学で映画を学んだ。父親が離婚し、女優のソン・タンタン(宋丹丹、チャン・イーモウ監督の武侠映画「LOVERS」などに出演)と再婚したりしたことが中国を離れた理由にあるのかもしれない。2015年のデビュー作は日本未公開。第2作が2017年の「ザ・ライダー」で、ロデオで重傷を負った現代のカウボーイを描く作品だそうだが未見。第3作が「ノマドランド」で、これほどの傑作を作り上げたとは驚きだ。中国ではクロエ・ジャオの過去の発言が批判されているらしいが、自国の暗部を見つめる映画が高く評価されるアメリカの底力こそ学ぶ必要がある。