尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

古賀稔彦、小野清子、前の山、沢村忠ー2021年3月の訃報②

2021年04月07日 22時09分45秒 | 追悼
 スポーツ関係など1回目に書けなかった日本人の訃報と外国人の訃報をまとめて。まずは元柔道選手の古賀稔彦(こが・としひこ)が3月24日に53歳で亡くなった。92年バルセロナ五輪柔道71キロ級金メダリスト。次のアトランタ五輪でも銀メダルを獲得した。名前は知っていたけれど、柔道のことは詳しくなく「平成の三四郎」と呼ばれた切れ味鋭い一本背負いの映像に驚いた。
(古賀稔彦)
 92年は岩崎恭子が200m平泳ぎで金、有森裕子がマラソンで銀を取ったことの方が印象深かったのだろう。柔道でも吉田秀彦が金だったが、それ以上に初参加の田村亮子が決勝で敗れて銀だったことが印象深い。現役引退後は指導者となり、アテネ五輪女子強化コーチを務めた。2007年から環太平洋大学教授。3人の子どもたちも皆柔道選手である。

 女子体操選手で東京五輪で団体銅メダルを獲得した小野清子が13日死去、85歳。女子体操では唯一のメダルになっている。夫は「鬼に金棒、小野に鉄棒」と言われた小野喬で、小野喬は五輪4大会出場、金5、銀4、銅4獲得という記録を持っている。東京大会時にすでに2人の母で、「ママさん選手」の先駆けと言われた。1986年に参院選東京選挙区に自民党から立候補して当選、92年に再選されたが98年は落選、2001年に比例区で当選して、2003年に小泉内閣で国家公安委員長、少子化担当相を務めた。その他、スポーツ界の各種役職を数多く務め。なお死因は自宅で転倒して入院中に新型コロナウイルスに感染したためだった。
 (小野清子)
 大相撲の元大関、前の山が3月11日死去、76歳。1970年名古屋場所に関脇で13勝2敗をあげ、場所後に大関に昇進した。高砂部屋に所属し、張り手を武器にした激しい相撲だというが、取り口は覚えてない。しかし、大関としては実績を残せず10場所で陥落した。昇進後の最初の場所前にケガをして、最初の場所を休場してから立ち直れなかった。大関として二桁勝てなかった。72年春場所では「無気力相撲」が批判され、親方から休場させられて大関を陥落した。74年春場所で引退、その後は高田川部屋を創設した。98年に境川理事長の「名跡改革」に反発して、一門の意向に逆らって理事選に立候補、間垣親方とともに当選した。それが一番歴史に残るのか。
(前の山)
 「キックの鬼」と呼ばれた沢村忠を3月26日に死去、78歳。70年代初期に短い「キックボクシング」ブームがあり、その時代を支えた選手だった。タイのムエタイを日本でキックボクシングと名付けて、60年代末に興業が始まった。沢村は空手選手だったが、キックボクシングに誘われ66年にデビュー、76年に引退するまでスターとして活躍した。1973年に日本プロスポーツ大賞受賞。テレビ中継もあり、漫画にもなり、当時は非常に有名だった。引退後は自動車整備会社を経営。
(沢村忠)
清水勲、2日死去、81歳。漫画研究家。特に明治初期のビゴーワーグマンらの研究で知られ、岩波文庫の「ビゴー日本素描集」「ワーグマン日本素描集」を編集した。サザエさんや手塚治虫などの研究でも知られ「サザエさんの正体」などの著書がある。
中村平治、17日死去、89歳。インド現代史、東京外大名誉教授。著書「インド史への招待」など。
山崎剛太郎、11日死去、103歳。フランス文学者、翻訳家。東宝東和で多くのフランス映画に字幕を付けた。
大越愛子(おおごし・あいこ)、15日死去、74歳。女性学者、元近畿大学教授。僕には女性学者、フェミニズム研究の詳しい事情はよく知らないけれど、多くの啓蒙書を著した大学所属の研究者として名前を知っていた。著書に「フェミニズム入門」「女性と宗教」など。

 外国ではフランスの映画監督、ベルトラン・タヴェルニエが3月25日死去、79歳。フランスでは70年代から21世紀まで長く活躍したが、日本ではあまり紹介されなかった。中では「田舎の日曜日」(1984)はカンヌ映画祭監督賞を受け、日本でもキネ旬8位に入っている。パリのジャズミュージシャンをテーマにした「ラウンド・ミッドナイト」(1986)はアメリカでも高く評価され、ハービー・ハンコックがアカデミー作曲賞を受賞した。キネ旬4位。僕はその2作品の印象しか残っていない。
(ベルトラン・タヴェルニエ)
 アメリカのメトロポリタン歌劇場の指揮者を40年務めたジェームズ・レヴァインが3月9日死去、77歳。もともとピアニストとして10歳から活動。やがてジョージ・セルについて指揮者となった。1975年から「メット」の音楽監督、86年からは芸術監督を務め、メットを世界有数の劇場にした功績は非常に大きいとされる。99年にミュンヘンフィルの音楽監督になるが成功せず、04年に小澤征爾の後任としてボストン交響楽団音楽監督としてアメリカに戻った。しかし健康不安がつきまとい、また2017年には過去の少年に対するセクハラ疑惑が起こってメットを解雇された。その盛衰にアメリカ現代史が象徴されるようなクラシック界のアイコンだった。
(レヴァイン)
 カセットテープの開発者、オランダの技術者ルー・オッテンスが3月9日死去、93歳。オランダ・フィリップス社の製品開発部長を務め、1963年に初めてドイツの見本市で発表した。今までに世界で1千億本が売れたと言われる。他のメーカーにも製造許可を無償で与えたことで、世界に広まった。その後CDの開発にも携わった。そういう人がいたことも知らなかった。
(オッテンス)
バニー・ウェイラー、2日死去、73歳。ジャマイカのレゲエ歌手。グラミー賞を3回受賞。
ヘルムート・ビンシャーマン、4日死去、100歳。バロック演奏の大家のオーボエ奏者。バッハの権威。
パトリック・デュポン、5日死去、61歳。パリ・オペラ座芸術監督を務めたバレエダンサー。
辛春浩(シン・チュンホ)、辛ラーメンで知られる韓国食品大手「農心」創業者。ロッテ創業者の辛格浩(重光武雄)の弟。65年にロッテから独立し、即席麺を韓国の国民食に育てた。
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