上田義彦監督・脚本・撮影・編集、富司純子、シム・ウンギョン出演の映画「椿の庭」は素晴らしい傑作。ちょっと今までに見たことがないような映画で、静かな画面に自然が移りゆく様に目が奪われる。富司純子の長い芸歴の中でも、これこそ代表作ではないかとさえ思ってしまう。夫を失い、ともに長く住んできた家とも別れざるを得ない女性・絹子を凜とした佇まいの中に演じて感動を呼ぶ。すごいなあと素直に感じ入るしかない作品だ。
映画の始まりというのは、タイトルが出るか、そうでなければ主人公の紹介あるいは事件の発端のようなものが提示されるものだ。しかし、この映画は違う。庭の花や木、古い家の様子などがいくつものカットで延々と映し出される。題名にあるように庭には椿もある。桜や藤棚もある。金魚もいれば、蝶も飛ぶ。カマキリもいる。それらが全部最初に出るわけじゃないけど、季節の移り変わりがかなり大きな家の自然の様子で示される。その描き方にまず驚く。
(海の見える高台で)
その家は海を望む高台にある。どこだろうと思いながら見たが、映画の中では示されない。後で調べると神奈川県の葉山だという。鎌倉を舞台にした「海街diary」や神戸の洋館で撮影された「スパイの妻」などに匹敵する「家の映画」だ。その家に人が出入りしている。法事があったらしい。絹子の夫が亡くなったのである。娘が二人いて、次女の陶子(鈴木京香)が来ている。後で判るが、長女はすでに亡くなっていて孫の渚(シム・ウンギョン)が最近は同居していた。
(絹子、陶子、渚の3世代の女性たち)
最近は日本で活動してるというものの、本来は韓国人女優であるシム・ウンギョンが何故キャスティングされているのか。それは追々判ってくるが、そこにはこの一家の過去の親娘のドラマがあった。すでに両親のいない渚が何故韓国から日本に来たのか。それが語られるシーンは感動的だ。今は日本語学校に通いながら、祖母と暮らしている。庭の自然の美しさを全身で感じながら、祖母を思いやって暮らしている渚。シム・ウンギョンの名演だと思う。
(庭を見る渚)
しかし、なんといっても絹子の富司純子。1945年12月生まれだから、もう75歳である。それにしても何という貫禄、何という美しさ。一つ一つの動きに惚れ惚れしてしまう。藤純子時代の緋牡丹博徒・矢野竜子の頃も(僕は同時代に見たわけではないけれど)、同じようにスクリーン上を惚れ惚れしながら見つめていたものだ。結婚・引退を経て、やがて富司純子として復帰した後は、どうしても助演が多くなった。(「フラガール」のように。)でも「椿の庭」では主演している。まあ家が主演で、人間は皆助演という気もするけれど。
(渚をうちわで扇ぐ絹子)
今どき「うちわで涼を送る」場面が撮られるとは。かつて電化以前の生活では小津映画の原節子のように、人はうちわで思いやりを示していたものだった。海辺に近い高台の家だから、風が通るのだろうか。それにしても素晴らしい庭だなあと思うが、同時に「生活者」としては庭を維持するのは大変だろうと思う。高温多湿の日本では植木屋を入れないと維持できないだろう。相当のお金がかかるはず。そして、案の定この家は相続税を払えずに売るしかないという結論に向かって、緩やかに物語は進んでいく。「椿の庭」は「桜の園」だったのである。
(上田義彦監督)
この静謐な映画を作ったのは、上田義彦という人だ。写真界では非常に有名な人だという。僕は知らなかったのだが、多くの広告写真で賞を獲得した他、ネイティヴ・アメリカンや前衛舞踏家・天児牛大を撮った写真集などで作家として評価されている。多摩美大教授でもあり、桐島かれんと結婚して4人の子どもがいる。写真界には詳しくないので、それほどの人を知らなかった。ある日、自宅近くを歩いていて、古い家がなくなった跡を見た。そこから物語が始動したのだという。確かに写真っぽい感じも否めないが、静かな中に激情を秘めた傑作だ。ブラザース・フォーが歌う、あの懐かしい「Try to Remember」が何度も流れるのも心に沁みた。
映画の始まりというのは、タイトルが出るか、そうでなければ主人公の紹介あるいは事件の発端のようなものが提示されるものだ。しかし、この映画は違う。庭の花や木、古い家の様子などがいくつものカットで延々と映し出される。題名にあるように庭には椿もある。桜や藤棚もある。金魚もいれば、蝶も飛ぶ。カマキリもいる。それらが全部最初に出るわけじゃないけど、季節の移り変わりがかなり大きな家の自然の様子で示される。その描き方にまず驚く。
(海の見える高台で)
その家は海を望む高台にある。どこだろうと思いながら見たが、映画の中では示されない。後で調べると神奈川県の葉山だという。鎌倉を舞台にした「海街diary」や神戸の洋館で撮影された「スパイの妻」などに匹敵する「家の映画」だ。その家に人が出入りしている。法事があったらしい。絹子の夫が亡くなったのである。娘が二人いて、次女の陶子(鈴木京香)が来ている。後で判るが、長女はすでに亡くなっていて孫の渚(シム・ウンギョン)が最近は同居していた。
(絹子、陶子、渚の3世代の女性たち)
最近は日本で活動してるというものの、本来は韓国人女優であるシム・ウンギョンが何故キャスティングされているのか。それは追々判ってくるが、そこにはこの一家の過去の親娘のドラマがあった。すでに両親のいない渚が何故韓国から日本に来たのか。それが語られるシーンは感動的だ。今は日本語学校に通いながら、祖母と暮らしている。庭の自然の美しさを全身で感じながら、祖母を思いやって暮らしている渚。シム・ウンギョンの名演だと思う。
(庭を見る渚)
しかし、なんといっても絹子の富司純子。1945年12月生まれだから、もう75歳である。それにしても何という貫禄、何という美しさ。一つ一つの動きに惚れ惚れしてしまう。藤純子時代の緋牡丹博徒・矢野竜子の頃も(僕は同時代に見たわけではないけれど)、同じようにスクリーン上を惚れ惚れしながら見つめていたものだ。結婚・引退を経て、やがて富司純子として復帰した後は、どうしても助演が多くなった。(「フラガール」のように。)でも「椿の庭」では主演している。まあ家が主演で、人間は皆助演という気もするけれど。
(渚をうちわで扇ぐ絹子)
今どき「うちわで涼を送る」場面が撮られるとは。かつて電化以前の生活では小津映画の原節子のように、人はうちわで思いやりを示していたものだった。海辺に近い高台の家だから、風が通るのだろうか。それにしても素晴らしい庭だなあと思うが、同時に「生活者」としては庭を維持するのは大変だろうと思う。高温多湿の日本では植木屋を入れないと維持できないだろう。相当のお金がかかるはず。そして、案の定この家は相続税を払えずに売るしかないという結論に向かって、緩やかに物語は進んでいく。「椿の庭」は「桜の園」だったのである。
(上田義彦監督)
この静謐な映画を作ったのは、上田義彦という人だ。写真界では非常に有名な人だという。僕は知らなかったのだが、多くの広告写真で賞を獲得した他、ネイティヴ・アメリカンや前衛舞踏家・天児牛大を撮った写真集などで作家として評価されている。多摩美大教授でもあり、桐島かれんと結婚して4人の子どもがいる。写真界には詳しくないので、それほどの人を知らなかった。ある日、自宅近くを歩いていて、古い家がなくなった跡を見た。そこから物語が始動したのだという。確かに写真っぽい感じも否めないが、静かな中に激情を秘めた傑作だ。ブラザース・フォーが歌う、あの懐かしい「Try to Remember」が何度も流れるのも心に沁みた。