尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

部活動「地域移行」論、少子化の中で学校を残すためにー「部活改革」を考える②

2022年05月08日 22時57分11秒 |  〃 (教育問題一般)
 4月26日に、スポーツ庁が有識者の「運動部活動の地域移行に関する検討会議」を開き、改革の提言案をまとめた。2023~25年度の3年間の「改革集中期間」で、すべての都道府県で休日部活動の地域移行を達成するという。将来に向けて平日の活動の移行も奨励されている。現時点では「提言案」だけど、これは非常に重要な論点である。朝日新聞はスポーツ面で「部活のあり方 歴史的転換」と報じた。このようにマスコミ報道もされたが、教育関係者の中にも気付いていない人がいるのではないか。(なお、この提言案は「スポーツ庁」と打ち込むだけで検索予測に出て来る。関心のある人は是非見ておくべきものだろう。)
(改革案)
 今部活動改革は「教員の働き方改革」の問題として語られることが多い。もちろん「教員の長時間労働の解消」は、重大な問題だ。しかし、ここではちょっと違った観点から、この問題を考えてみたい。それは「少子化」の中で、どのようにして学校を残していくかという問題である。「学校」や「部活動」は子どもたちの教育というだけの問題ではない。地域住民の「心の拠り所」でもあるし、経済的な視点も重要だ。学校の近くに文房具屋や本屋が残っているところも多いだろう。

 また地方で高校が閉校になれば、鉄道やバス路線の廃線問題に直結する。また日本には世界屈指の楽器やスポーツ器具のメーカーが存在するが、子どもの世界から野球部や吹奏楽部がなくなってしまえば、それらの企業にも大打撃になるだろう。またコロナ禍で判ったように、学校は「給食」を通して、地域の農業や食品産業と密接に結びついている。日本は少子化がどんどん進行していて、今までもずいぶん学校の統廃合が進められてきたし、今後も減ることは避けられない。しかし、どこまで学校を減らすのか、社会的な合意が必要だと思う。そこで、まず「少子化」のデータ的な確認をしておきたい。
(出生数の経年変化)
 戦後の日本では、まず「ベビーブーム」が起こった。一番多かったのが1948年で、年間に209万人が生まれた。次第に漸減していくが、70年代前半に「第2次ベビーブーム」がやってくる。第1次で生まれた子どもが結婚適齢期を迎えて、子どもが生まれたわけである。それが一番多かったのは1973年で、やはり209万人が生まれている。その前年の、ちょうど50年前の1972年は203万人である。(当時は女性の結婚が今よりずっと早く、第1次の25年後に第2次の最多年があったわけである。)僕が最初に教員になったときは、その時代に生まれた生徒が中学生になる頃で、その当時の高校進学は非常に大変だった。

 それからまた漸減していって、30年前の1992年は122万人と何と4割も減ってしまう。減り方のペースは多少緩やかになるが、やはり少しずつ減っていき、21世紀初頭の2002年は115万人である。2022年に20歳になる世代で、現在の中学、高校生が生まれた2007年前後は大体106万人ほどだった。10年前の2012年、つまり東日本大震災の翌年生まれの子どもは103万人強、2015年に100万人。2016年についに97万人と100万人を割り込む。2019年は86万人、20年は84万人、21年速報値も84万人になっている。これはコロナ禍で出会いの機会も減り、結婚も減ったという理由が大きいと言われている。

 コロナ禍がいつどのように終結するか予測出来ないが、そこでミニ・ベビーブームがあるとは考えにくい。よく「一人の女性が一生で何人の子を産むか」という率(合計特殊出生率)が問題になるが、もはや少子化対策などでどうなるという段階は過ぎている。今から30年前に産まれた世代そのものが少ないんだから、その世代が少しぐらい子どもをたくさん産んだからといって、すぐに日本の人口が増加するレベルにはならない。そして2020年代後半から、コロナ禍世代が小学校に入学して、2030年代に中学、高校へと進学していく。つまり、今でもずいぶん少子化なんだけど、10年後にはさらに今の学校から20万人が減るのである。

 今からさらに2割生徒数が減るんだから、今のクラス数で単純計算すれば学校も教師も2割減らす必要がある。僕が考えるのは、それで良いのだろうかということだ。もちろん学校規模が小さくなりすぎれば、教育環境が悪くなる。地域の学校を統合して多数の生徒を集めることで、行事や部活動を維持するのも一つのやり方だ。通学バスが各地区を回って生徒を乗せてきて、ある程度大きな規模の学校で教育するのである。しかし、僕はこれ以上学校を減らすべきではないと考えている。何故なら、学校は地域の防災拠点であり、いざという時の避難所だからだ。学校は地域の中でちょっと高い土地、水害、津波、土砂崩れなどの災害被害を受けにくい地区にある耐震建築の高層ビルだ。せっかく耐震化したのに、それを廃校にしてしまうのか。

 もちろん廃校にしても建物は残るが、使ってないとどんどん劣化する。不審者が集まらないようにカギを掛ける必要があり、数年もすれば地区の誰がカギを持っているか不明になりかねない。それに学校は教師というソフトパワーあってこそ、地域の中で意味を持つと思う。体育館もあれば、パソコンも整備されている。給食設備はなくなった学校が多いと思うが、家庭科調理室は必ずあるから、電気やガスが復旧すればお湯を沸かしてレトルト食品や即席麺を温かく食べられる。そんな素晴らしい防災拠点をいま減らしてしまうのは、国家的愚策としか思えない。

 もちろん「教育」という観点で見れば、せめて2クラスか3クラスは欲しいだろう。あまりに小規模になれば、行事も活発に出来ない。部活動も小規模にせざるを得ない。教師の問題もあるが、単に生徒数の問題で野球部、サッカー部、バレーボール部などで試合に出る人数にならない。日本中にある団体競技を小規模校の生徒が出来ないのは、確かに可哀想だ。だから、僕の考える部活動の「地域移行」というのは、単に土日だけ地域の経験者がボランティアで指導するというようなものではない。幾つかの学校の生徒をまとめた「地域チーム」を作るということである。

 地域の中で「学校」を残すとするならば、部活は地域合同にするしかない。これが僕の考えで、恐らくそうなっていくのではないかと思う。そして単に部活動だけではなく、運動会や文化祭も「各校合同」で開催すれば良いと思う。どの地域にも素晴らしい運動場や市民会館などがあるはずだ。学校は小規模でも残して「少人数授業」を行い、行事は地域の素晴らしい施設を利用して行う。もはや一校では呼べないオーケストラや劇団なども、地域でまとめれば鑑賞会が出来るだろう。そして修学旅行なども、各校まとまって幾つかのコースを班別で選んで実施する時代になるのではないか。
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