国立映画アーカイブで「発掘された映画たち2022」という特集上映を行っている。非常に貴重な映画が「発掘」されているが、このレベルの映画まで全部見ていると他のことが出来ない。しかし、清水宏監督の戦後第2作「明日は日本晴れ」(1948)は是非見ておきたいと思った。公開以来、ほとんど知られることなく、74年ぶりの上映である。独立プロ「えくらん社」の第1回作品で、東宝で配給された。しかし、何故か松竹から16ミリフィルムが発見されたという。戦前に所属して関係の深かった松竹だからだろうか。松竹作品でもないのに、松竹のホームページの「作品データベース」に記載があるのも不思議。
清水監督には「有りがたうさん」(1936)という映画がある。伊豆を走るバスの運転手(上原謙)は乗客に「ありがとう」と声を掛けることから「ありがとうさん」と呼ばれている。ただその様子を淡々と映すだけのロード・ムーヴィーなんだけど、乗客には身売りされていく娘もいるし、街道を日本に働きに来た朝鮮人労働者たちも歩いている。ほのぼのとしたムードの中に、日本のさまざまな状況が写し取られている。「明日は日本晴れ」は清水監督が再び描いたバスと運転手の映画である。
(「明日は日本晴れ」)
たった65分の映画で、特に深いドラマも起こらない。それは清水監督の多くの映画と同様だけど、この映画が特徴的なのは、バスが2回故障して立ち止まることである。恐らく敗戦後の日本では、実際にボロバスが多くて故障が多かったんだろう。1回目は何とか動き出すが、2度目はついに立往生。峠まで皆で押してゆき、そこで救助を待つことになる。町は遠くて救援を呼ぶことが出来ない。向こう側からもバスが来るので、そのバスに救援車を送ってくれるように頼むしかない。あるいはもう歩いてしまうか、通りかかったトラックの木材の上に乗せて貰うか。それとも逆のバスに乗って出発地に戻るか。その間の様子を描くだけだが、そこから戦後3年目の日本が見えてくる。
客の中には闇屋もいれば、戦傷者もいる。目が見えない按摩(日守新一)もいる。按摩は目が見えないのに、乗客の人数、性別などを当てる。後で判るが、失明したのは満州事変の戦傷だった。実際に戦争で片足を失った御庄正一(清水監督の前作「蜂の巣の子供たち」で浮浪児の元締め役で出演していた)も出ている。バスには戦死した部下の墓参を続けている元将官もいる。その事を知って、戦傷者の御庄が怒り出す。それも当然だろうが、運転手は何とか止めようとする。乗客同士のケンカを止める立場だが、それだけではなく運転手(水島道太郎)は「もう戦争のことは忘れよう」と思って生きているのである。
若い女性車掌(三谷幸子)は運転手の「清(せい)さん」に気があるようだ。しかし、乗客に若い女性がいて、都会帰りの様子が皆の気になっている。実はその女性は清さんのなじみだったらしい。どうやら事情があったようだが、戦時中に「徴用」されたら、病気の家族を養えないために、「徴用逃れ」で都会に出て働き始めたらしい。子どもを産んだが、死んでしまって墓にいれるために帰郷したのである。清さんには東京に出てきて欲しい、何とか自分が面倒を見るという。清さんは「五体満足」で復員出来たが、やはり戦争の哀しみを抱えている。
皆が「あのバカげた戦争」「いまいましい戦争」と呼んで、戦争を呪っている。戦争に人生を狂わせられた悲しみと怒りを抱えている。普段は隠しているが、バスが故障して待っているだけというような時に、そんな思いも出て来る。しかし、題名は「明日は日本晴れ」だ。若い世代には人生への希望も芽生えている。峠から見る風景は絶景である。新しい時代への希望を託すような題名。監督がよく撮影した伊豆かと思うと、松竹データベースには京都で撮影したと出ている。名手杉山公平によるオール・ロケである。杉山は前衛無声映画の傑作、衣笠貞之助「狂った一頁」「十字路」以来の長いキャリアがあり、戦後に衣笠監督の「地獄門」でカンヌ映画祭グランプリを受賞した。
主演の水島道太郎は日活や東映でギャングのボスやヤクザを何作も演じていた。日活の「丹下左膳」が代表作とウィキペディアに出ている。按摩役の日守新一は戦前の松竹映画で多くの映画で名脇役を演じた。中でも小津安二郎「一人息子」の息子役で知られる。戦後では先に見た黒澤明監督「生きる」で、のらりくらりしている同僚たちの中で課長を評価する正論を葬儀の場でぶつ部下役で知られる。他の俳優は知らないんだけど、シロウトも多くキャスティングしているという。
(清水宏監督)
清水宏(1903~1966)は戦前の松竹で小津安二郎と並ぶ巨匠とされていた。しかし、次第にスタジオ撮影に飽き足らなくなって、子どもたちの情景をロケで撮るような映画を作って評価された。戦後になると、自ら戦災孤児を多数引き取って暮らし、その様子をもとに「蜂の巣の子供たち」シリーズを3作作った。一時は忘れられていた感じだが、その自由で既成の映画文法に捕われない作風が近年再評価されている。ある意味、「ヌーヴェルヴァーグ」以前に「映画=万年筆論」を日本で実践していたような監督だ。「明日は日本晴れ」は「有りがたうさん」に及ばないとは思ったが、敗戦後の人々の心情を今に残す貴重なフィルムだった。
「バス映画」は結構多く、ちょっと小論を書こうかと思ったが、長くなったので名前だけ。戦前には同じ清水監督の「暁の合唱」(1941)、「秀子の車掌さん」(成瀬巳喜男、1941)があった。戦後では鈴木清順「8時間の恐怖」は、雪で列車が不通となりギャングがバスに乗ってくる。五所平之助が田宮虎彦原作を映画化した「雲がちぎれる時」(1961)、中島貞夫監督の超絶アクション「狂った野獣」(1976、渡瀬恒彦がバスを暴走させ、本人がノー・スタントで転倒させている)、青山真治監督「EUREKA」(2001)などが思い浮かぶが、まだあるかもしれない。外国映画では、最近のジム・ジャームッシュ「パターソン」が良かったな。もちろん、ヤン・デ・ボン「スピード」も凄かった。
清水監督には「有りがたうさん」(1936)という映画がある。伊豆を走るバスの運転手(上原謙)は乗客に「ありがとう」と声を掛けることから「ありがとうさん」と呼ばれている。ただその様子を淡々と映すだけのロード・ムーヴィーなんだけど、乗客には身売りされていく娘もいるし、街道を日本に働きに来た朝鮮人労働者たちも歩いている。ほのぼのとしたムードの中に、日本のさまざまな状況が写し取られている。「明日は日本晴れ」は清水監督が再び描いたバスと運転手の映画である。
(「明日は日本晴れ」)
たった65分の映画で、特に深いドラマも起こらない。それは清水監督の多くの映画と同様だけど、この映画が特徴的なのは、バスが2回故障して立ち止まることである。恐らく敗戦後の日本では、実際にボロバスが多くて故障が多かったんだろう。1回目は何とか動き出すが、2度目はついに立往生。峠まで皆で押してゆき、そこで救助を待つことになる。町は遠くて救援を呼ぶことが出来ない。向こう側からもバスが来るので、そのバスに救援車を送ってくれるように頼むしかない。あるいはもう歩いてしまうか、通りかかったトラックの木材の上に乗せて貰うか。それとも逆のバスに乗って出発地に戻るか。その間の様子を描くだけだが、そこから戦後3年目の日本が見えてくる。
客の中には闇屋もいれば、戦傷者もいる。目が見えない按摩(日守新一)もいる。按摩は目が見えないのに、乗客の人数、性別などを当てる。後で判るが、失明したのは満州事変の戦傷だった。実際に戦争で片足を失った御庄正一(清水監督の前作「蜂の巣の子供たち」で浮浪児の元締め役で出演していた)も出ている。バスには戦死した部下の墓参を続けている元将官もいる。その事を知って、戦傷者の御庄が怒り出す。それも当然だろうが、運転手は何とか止めようとする。乗客同士のケンカを止める立場だが、それだけではなく運転手(水島道太郎)は「もう戦争のことは忘れよう」と思って生きているのである。
若い女性車掌(三谷幸子)は運転手の「清(せい)さん」に気があるようだ。しかし、乗客に若い女性がいて、都会帰りの様子が皆の気になっている。実はその女性は清さんのなじみだったらしい。どうやら事情があったようだが、戦時中に「徴用」されたら、病気の家族を養えないために、「徴用逃れ」で都会に出て働き始めたらしい。子どもを産んだが、死んでしまって墓にいれるために帰郷したのである。清さんには東京に出てきて欲しい、何とか自分が面倒を見るという。清さんは「五体満足」で復員出来たが、やはり戦争の哀しみを抱えている。
皆が「あのバカげた戦争」「いまいましい戦争」と呼んで、戦争を呪っている。戦争に人生を狂わせられた悲しみと怒りを抱えている。普段は隠しているが、バスが故障して待っているだけというような時に、そんな思いも出て来る。しかし、題名は「明日は日本晴れ」だ。若い世代には人生への希望も芽生えている。峠から見る風景は絶景である。新しい時代への希望を託すような題名。監督がよく撮影した伊豆かと思うと、松竹データベースには京都で撮影したと出ている。名手杉山公平によるオール・ロケである。杉山は前衛無声映画の傑作、衣笠貞之助「狂った一頁」「十字路」以来の長いキャリアがあり、戦後に衣笠監督の「地獄門」でカンヌ映画祭グランプリを受賞した。
主演の水島道太郎は日活や東映でギャングのボスやヤクザを何作も演じていた。日活の「丹下左膳」が代表作とウィキペディアに出ている。按摩役の日守新一は戦前の松竹映画で多くの映画で名脇役を演じた。中でも小津安二郎「一人息子」の息子役で知られる。戦後では先に見た黒澤明監督「生きる」で、のらりくらりしている同僚たちの中で課長を評価する正論を葬儀の場でぶつ部下役で知られる。他の俳優は知らないんだけど、シロウトも多くキャスティングしているという。
(清水宏監督)
清水宏(1903~1966)は戦前の松竹で小津安二郎と並ぶ巨匠とされていた。しかし、次第にスタジオ撮影に飽き足らなくなって、子どもたちの情景をロケで撮るような映画を作って評価された。戦後になると、自ら戦災孤児を多数引き取って暮らし、その様子をもとに「蜂の巣の子供たち」シリーズを3作作った。一時は忘れられていた感じだが、その自由で既成の映画文法に捕われない作風が近年再評価されている。ある意味、「ヌーヴェルヴァーグ」以前に「映画=万年筆論」を日本で実践していたような監督だ。「明日は日本晴れ」は「有りがたうさん」に及ばないとは思ったが、敗戦後の人々の心情を今に残す貴重なフィルムだった。
「バス映画」は結構多く、ちょっと小論を書こうかと思ったが、長くなったので名前だけ。戦前には同じ清水監督の「暁の合唱」(1941)、「秀子の車掌さん」(成瀬巳喜男、1941)があった。戦後では鈴木清順「8時間の恐怖」は、雪で列車が不通となりギャングがバスに乗ってくる。五所平之助が田宮虎彦原作を映画化した「雲がちぎれる時」(1961)、中島貞夫監督の超絶アクション「狂った野獣」(1976、渡瀬恒彦がバスを暴走させ、本人がノー・スタントで転倒させている)、青山真治監督「EUREKA」(2001)などが思い浮かぶが、まだあるかもしれない。外国映画では、最近のジム・ジャームッシュ「パターソン」が良かったな。もちろん、ヤン・デ・ボン「スピード」も凄かった。