尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

名前の読み方統制に反対ー「キラキラネーム」論議より、戸籍廃止を!

2022年05月19日 22時30分02秒 | 社会(世の中の出来事)
 5月17日に法制審議会がいわゆる「キラキラネーム」も認められるという試案を発表した。その例示が興味深いから、何となく「キラキラネームの是非」に話題が集まってしまったが、何で法律に関して議論する法制審議会がそんな議論をしているんだろうか。それは「戸籍の名前に読み仮名を付けるための法改正」を検討しているというのである。いやあ、それは知らなかった。

 そんな法改正は本当に必要なんだろうか。「行政手続きのデジタル化のため、読み仮名を記載するための法改正に向けた中間試案」なんだそうだ。今まで名前の読み方なんて、親が決めればそれで良かった。時には幾つもの読み方が出来る名前もあったが、本人が自分で読み方を変えて良かった。親は「訓読み」のつもりで付けたが、本人が「音読み」にする場合は多い。作家の安部公房の本名は「きみふさ」だそうだが、作家としては普通「コーボー」と呼んでいた。そういう例は多いだろう。

 今回例示されたのは、山田大空(やまだ・すかい)や山田光宙(やまだ・ぴかちゅう)は「認められる可能性が高い」。一方で山田太郎てつわん・あとむ)や山田(やまだ・ひくし)は「認められない可能性が高い」という判断だった。しかし、こんなことを大真面目に議論する必要があるんだろうか。山田高と書いて「ひくし」という読みが認められないのは、漢字の問題じゃないだろう。親が子どもに「ひくい」という名前を付けて良いわけがない。それと同時に、「光宙」(ぴかちゅう)という名前も論外ではないのか。どういう親なのかと学校でからかわれるだけだ。

 そういう名前は次第に増えてきた。自分の経験では80年代の生徒にはほとんど見なかったが、21世紀になると相当多くなってきたように思う。例示は出来ないが、えっ、そう読ませるのという名前が結構あった。読めないのも困るが、まあ読み方を覚えれば大丈夫ではある。問題はちょっと書けないような難しい漢字や字と読みが釣り合ってない名前である。昔売れた本の名前で言えば「親の顔が見たい」と思ったこともあるが、別に保護者と会っても普通である。何で付けるのか不明だが(聞くわけにも行かない)、子どもの方も困っている場合だけではなく喜んでいる人もいる。検索すると、さらにとんでもない名前を集めた画像もあった。

 上の画像を見ると、「姫奈」(ぴいな)、「姫星」(きてぃ)とかどうなんだ。「希空」(のあ)、「夢希」(ないき)とか、言われなければ誰も読めない。何十年も経って、病院で名前を呼ばれる日が来ると思ってないんだろう。「愛保」(らぶほ)に至っては、本当にこんな名前があったら、いじめられるに決まってる。一体、親は子どもがいずれは老人になると思ってないんだろうか。自分の子どもなんだから、芸能人やアーティストなんかにはならず、地道に働いて生きて行くのである。それにふさわしい名前を付けてあげないと困ってしまうだろう。

 ところで、このキラキラネーム問題に気を取られると、そのきっかけである「戸籍のデジタル化」という大問題を忘れてしまう。戸籍を問題にする前に、そもそも「誰がデジタル化の作業をするのか」という問題がある。ただでさえ日本の公務員は少ないので、市町村の正職員がやる余裕があるはずがない。これは間違いなく「外部委託」になるのである。戸籍という「個人情報の宝庫」「差別の温床」をデジタルデータにする作業を、非正規公務員どころか、委託会社のさらに子会社のアルバイト作業員が手掛けるになるに決まっている。情報の漏洩が起こらないとは思えない。

 それに「戸籍」とは、家族を単位にして国民を把握するシステムである。行政のデジタル化を進める時には、「個人単位の識別番号」が必須になる。日本では何故か「マイナンバーカード」の取得を政府が呼びかけているが、カードなんかなくても、個人番号はとっくに割り振られている。それで良いのである。戸籍情報をデジタル化しても、役立たない。「デジタル化」とは「国民を個人単位で把握する」システムなのであって、それがイヤで「日本は家族を中心にした伝統国家」などと言いたいんならば、デジタル化なんか止めてしまえば良い。世界のデジタル後進国を自ら誇れば良いのである。

 僕はデジタル化の問題とは別にして、そもそも戸籍制度は不要だという立場である。世界を見れば、韓国はすでに2008年に廃止されたという。今や中国と台湾にのみ残っていると言われる。世界の大部分の国では戸籍などないのである。それでやっていけるんだから、何かあるときに「住民票」と「戸籍抄本」(または戸籍謄本)が必要なんていう面倒は要らないのである。戸籍廃止こそ行政改革になるのである。廃止まですぐに行かずとも、「名前の読み方を届け出る」なんて愚の骨頂は今すぐ止めた方がいい。
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