5月3日は憲法記念日。クイズ番組を見てると、これを知らない人が結構いる。近年祝日を動かしたり、名前を変えたりするケースが続いていることも影響しているだろう。しかし、一番の問題は日本国民に憲法に対する関心が薄くなっているということだと思う。(なお、4月29日が「みどりの日」から「昭和の日」が変えられたのに続き、11月3日を「文化の日」から「明治の日」なる名称に変えようという動きが自民党右派に存在する。どこまで「復古」が好きなんだろう。ちなみに4月29日は昭和天皇、11月3日は明治天皇の誕生日である。日本の祝日には天皇に由来する日が極端に多い。)
僕は今まであまり憲法問題に関して書いていない。書いても現実の政治過程に影響しないし、今の政治状況では憲法「改正」を目指しても、「改悪」になりそうである。利用されたくないから、書きたくない。僕は憲法9条に関しては、「戦略的護憲論者」とでもいうべき考え。明らかに(米軍の「下請け」として)戦争をしたくて憲法を変えようとしていると判断しているから反対である。(1950年代の岸内閣で憲法9条が変わっていれば、日本もヴェトナム戦争に参戦して多くの戦死者が出ていたのは間違いない。)ただ「永久に守っていくべき人類の宝」などとも考えていない。
世の中には「世界各国に憲法9条があれば、戦争は起こらない」と主張する人がいるが、僕はそうは考えていない。「自衛のための自衛軍は持てる」と解釈して、過大な「自衛軍」を持つようになって、「自衛のための特別軍事作戦」が頻発すると判断している。憲法の文言だけでは、戦争や差別や貧困などを完全には防げない。現段階の政治状況をリアルに認識すれば、「戦略的に憲法9条を保持することを支持する」というだけである。だけど、条文と現状との乖離が激しすぎるのは間違いない。いつの日にか(出来れば「集団的自衛権」や「海外派兵」を明文で禁じる方向で)「改正」するべきだろう。
ただ憲法を変える変えないかという本質の問題でいえば、僕はずっと「改憲論者」である。「天皇制廃止論者」なので、憲法第1条を変えないと実現しない。しかし、国会で3分の2を超える勢力が共和制を支持するとは(現時点では)考えられない。取り組むべき多くの問題がある日本で、当面実現しない問題に取り組む元気はない。ただ憲法を変えるべき論点は幾つかある。一つは「外国人の人権」。憲法の条文では「国民は」と表現している箇所が多く、「国民以外の外国人には国民と同等の権利は及ばない」と解釈されかねない。というか、それが日本で起こっている外国人差別の原因だと思う。
もう一つは24条の「婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し」が、同性婚を禁じる規定に解釈される場合がある。そういうことを想定出来ない時代の憲法だから、やむを得ない。そこは同性婚も可能なように「両性の合意」を「両人」とか「当事者」とかに変えたほうがいい。そして、最後に書いておきたいのが「司法改革」である。この間日本では「司法制度改革」の名の下に、「裁判員制度」「裁判の迅速化」「司法試験改革」など幾つもの変化が進められたが、一向に裁判が身近というか、納得出来るものにならない。それどころか、僕にはどうしても納得出来ない裁判が幾つもある。どうしても裁判制度を抜本的に変える必要がある。
(「臨時国会召集義務」訴訟)
前から日本の裁判はおかしいと思っていたが、その考えが決定的になったのは、安倍内閣の「臨時国会不召集」問題である。2017年の通常国会では森友学園、加計学園など安倍首相に関わる問題が追及された。しかし、内閣は通常国会を6月18日の会期末で閉会して、延長に応じなかった。そこで野党側は憲法に則って臨時国会の召集を要求した。(第五十三条 内閣は、国会の臨時会の召集を決定することができる。いづれかの議院の総議員の四分の一以上の要求があれば、内閣は、その召集を決定しなければならない。)ところが安倍内閣は臨時国会を98日間召集せず、9月28日に開会したものの何の審議もせずに冒頭で衆議院を解散した。
これは明白な憲法違反だろう。確かに何日以内に召集せよとは憲法に書いてないけれど、いくら夏休みをはさんだといっても「3ヶ月以上開かない」のは認められない。それ以上に問題なのは「冒頭解散」だ。憲法の規定は、ただ単に臨時国会を開くかどうかの規定ではない。議員の4分の1という数は、ごく少数ならともかく、ある程度の野党議員が要求したらちゃんと審議を行うべきだということだ。国会は政府・与党と野党がそれぞれ主張をぶつけ合うところである。その国会審議を野党側から求められる規定というべきだろう。安倍政権で2015年に強行された「集団的自衛権の一部解禁」も違憲だと思うが、まあこれは解釈の相違とも言える。しかし、臨時国会条項は解釈の問題ではない。普通に考えれば、安倍内閣に憲法に違反した行動があったのである。
では、その違憲行為を司法権は止められるのか。止められないのである。例えば、「冒頭解散を差し止める仮処分」などを野党が裁判で求める規定はない。事前には止められなかったので、事後に裁判をすることになった。それもいろいろと考えて、野党議員が「質問する機会を奪われた」として賠償金を求めると共に、内閣は要求から20日以内に召集する義務を負うことの確認を求めた。各地で同様の裁判が起こされたが、那覇地裁など不召集は違憲とした判決もあるが、東京地裁などは臨時国会の召集要求の権利は裁判で救済される対象ではないとし、53条違反かどうかは門前払いして判断しなかった。
裁判所は憲法によって「違憲立法審査権」を与えられている。本当に時々、その審査権を発動して法律が違憲とされることがある。それでも政府の行為を国民が違憲ではないかと問うことが出来ない。安保法制に関しても、多くの訴訟が起こされたが、下級審では門前払いである。これは理由がないわけではなく、今の憲法の解釈では、違憲立法は被害を受けた人が訴えて初めて裁判で判断の対象となる。おかしいでしょ。内閣が明白な違憲行為を行っているときに、それを裁判所が差し止められなくて、裁判所を「憲法の番人」などと呼ぶことは出来ない。簡単に言ってしまえば、日本国憲法には司法権に関して欠陥があるのである。
じゃあ、どうすれば良いのか。諸外国には通常の裁判所とは別に、「憲法裁判所」を設けている国もある。憲法判断を求める人は、そこに訴えるのである。ただ、今からそのような新しい仕組みをゼロから作るのも大変だ。そこで現在の最高裁に対して、直接「憲法判断を求める仕組み」を創設することも考えられる。国民一人一人に認めると大変だから、「国会議員50人以上」といった条件になると思うが、下級審を飛ばして最初から最高裁に「合憲か違憲か」の判断を求める権利を作るのである。そして違憲の場合は法律施行の差し止めや臨時国会召集命令などを出せる権限を与えるわけである。
(最高裁判所)
ただし現在の最高裁裁判官の任命方法をそのままにしておいたら、最高裁は内閣に有利な判断ばかりするだろう。最高裁裁判官の任命方法は憲法で決まっているので、それも変えなければならない。アメリカでは最高裁判事の任命には上院の承認が必要である。日本では内閣の任命なので(長官は内閣の指名、天皇の任命)、最低限「国会の承認」に変える必要がある。日銀総裁や公取委員長に国会の同意がいるのと同じである。もっとも最高裁裁判官は非常に大きな権限を持つから、国会の中に「裁判官弾劾裁判所」と同じような「最高裁判所裁判官推薦委員会」のようなものを作って、与野党で構成するような仕組みも必要だろう。
その他にも、すべての裁判官は弁護士から選任する(法曹一元)も、検討するべきだろう。司法修習終了後は一端全員が弁護士として活動し、数年後に希望者の中から裁判官、検察官を選任するという仕組みだ。とにかく「憲法の番人」「人権の砦」といった言葉が泣くような実態が日本の裁判所にはある。それを変えていくためには、どうしても憲法改正が必要だというのが僕の考えである。明白な憲法違反がありながら、裁判所がそれを止められないのでは「違憲立法審査権」を持っている意味がないではないか。(ちなみに、よく知られているように「自民党改憲草案」では、憲法53条を「要求があった日から二十日以内に臨時国会が召集されなければならない」と改正するとされている。)
僕は今まであまり憲法問題に関して書いていない。書いても現実の政治過程に影響しないし、今の政治状況では憲法「改正」を目指しても、「改悪」になりそうである。利用されたくないから、書きたくない。僕は憲法9条に関しては、「戦略的護憲論者」とでもいうべき考え。明らかに(米軍の「下請け」として)戦争をしたくて憲法を変えようとしていると判断しているから反対である。(1950年代の岸内閣で憲法9条が変わっていれば、日本もヴェトナム戦争に参戦して多くの戦死者が出ていたのは間違いない。)ただ「永久に守っていくべき人類の宝」などとも考えていない。
世の中には「世界各国に憲法9条があれば、戦争は起こらない」と主張する人がいるが、僕はそうは考えていない。「自衛のための自衛軍は持てる」と解釈して、過大な「自衛軍」を持つようになって、「自衛のための特別軍事作戦」が頻発すると判断している。憲法の文言だけでは、戦争や差別や貧困などを完全には防げない。現段階の政治状況をリアルに認識すれば、「戦略的に憲法9条を保持することを支持する」というだけである。だけど、条文と現状との乖離が激しすぎるのは間違いない。いつの日にか(出来れば「集団的自衛権」や「海外派兵」を明文で禁じる方向で)「改正」するべきだろう。
ただ憲法を変える変えないかという本質の問題でいえば、僕はずっと「改憲論者」である。「天皇制廃止論者」なので、憲法第1条を変えないと実現しない。しかし、国会で3分の2を超える勢力が共和制を支持するとは(現時点では)考えられない。取り組むべき多くの問題がある日本で、当面実現しない問題に取り組む元気はない。ただ憲法を変えるべき論点は幾つかある。一つは「外国人の人権」。憲法の条文では「国民は」と表現している箇所が多く、「国民以外の外国人には国民と同等の権利は及ばない」と解釈されかねない。というか、それが日本で起こっている外国人差別の原因だと思う。
もう一つは24条の「婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し」が、同性婚を禁じる規定に解釈される場合がある。そういうことを想定出来ない時代の憲法だから、やむを得ない。そこは同性婚も可能なように「両性の合意」を「両人」とか「当事者」とかに変えたほうがいい。そして、最後に書いておきたいのが「司法改革」である。この間日本では「司法制度改革」の名の下に、「裁判員制度」「裁判の迅速化」「司法試験改革」など幾つもの変化が進められたが、一向に裁判が身近というか、納得出来るものにならない。それどころか、僕にはどうしても納得出来ない裁判が幾つもある。どうしても裁判制度を抜本的に変える必要がある。
(「臨時国会召集義務」訴訟)
前から日本の裁判はおかしいと思っていたが、その考えが決定的になったのは、安倍内閣の「臨時国会不召集」問題である。2017年の通常国会では森友学園、加計学園など安倍首相に関わる問題が追及された。しかし、内閣は通常国会を6月18日の会期末で閉会して、延長に応じなかった。そこで野党側は憲法に則って臨時国会の召集を要求した。(第五十三条 内閣は、国会の臨時会の召集を決定することができる。いづれかの議院の総議員の四分の一以上の要求があれば、内閣は、その召集を決定しなければならない。)ところが安倍内閣は臨時国会を98日間召集せず、9月28日に開会したものの何の審議もせずに冒頭で衆議院を解散した。
これは明白な憲法違反だろう。確かに何日以内に召集せよとは憲法に書いてないけれど、いくら夏休みをはさんだといっても「3ヶ月以上開かない」のは認められない。それ以上に問題なのは「冒頭解散」だ。憲法の規定は、ただ単に臨時国会を開くかどうかの規定ではない。議員の4分の1という数は、ごく少数ならともかく、ある程度の野党議員が要求したらちゃんと審議を行うべきだということだ。国会は政府・与党と野党がそれぞれ主張をぶつけ合うところである。その国会審議を野党側から求められる規定というべきだろう。安倍政権で2015年に強行された「集団的自衛権の一部解禁」も違憲だと思うが、まあこれは解釈の相違とも言える。しかし、臨時国会条項は解釈の問題ではない。普通に考えれば、安倍内閣に憲法に違反した行動があったのである。
では、その違憲行為を司法権は止められるのか。止められないのである。例えば、「冒頭解散を差し止める仮処分」などを野党が裁判で求める規定はない。事前には止められなかったので、事後に裁判をすることになった。それもいろいろと考えて、野党議員が「質問する機会を奪われた」として賠償金を求めると共に、内閣は要求から20日以内に召集する義務を負うことの確認を求めた。各地で同様の裁判が起こされたが、那覇地裁など不召集は違憲とした判決もあるが、東京地裁などは臨時国会の召集要求の権利は裁判で救済される対象ではないとし、53条違反かどうかは門前払いして判断しなかった。
裁判所は憲法によって「違憲立法審査権」を与えられている。本当に時々、その審査権を発動して法律が違憲とされることがある。それでも政府の行為を国民が違憲ではないかと問うことが出来ない。安保法制に関しても、多くの訴訟が起こされたが、下級審では門前払いである。これは理由がないわけではなく、今の憲法の解釈では、違憲立法は被害を受けた人が訴えて初めて裁判で判断の対象となる。おかしいでしょ。内閣が明白な違憲行為を行っているときに、それを裁判所が差し止められなくて、裁判所を「憲法の番人」などと呼ぶことは出来ない。簡単に言ってしまえば、日本国憲法には司法権に関して欠陥があるのである。
じゃあ、どうすれば良いのか。諸外国には通常の裁判所とは別に、「憲法裁判所」を設けている国もある。憲法判断を求める人は、そこに訴えるのである。ただ、今からそのような新しい仕組みをゼロから作るのも大変だ。そこで現在の最高裁に対して、直接「憲法判断を求める仕組み」を創設することも考えられる。国民一人一人に認めると大変だから、「国会議員50人以上」といった条件になると思うが、下級審を飛ばして最初から最高裁に「合憲か違憲か」の判断を求める権利を作るのである。そして違憲の場合は法律施行の差し止めや臨時国会召集命令などを出せる権限を与えるわけである。
(最高裁判所)
ただし現在の最高裁裁判官の任命方法をそのままにしておいたら、最高裁は内閣に有利な判断ばかりするだろう。最高裁裁判官の任命方法は憲法で決まっているので、それも変えなければならない。アメリカでは最高裁判事の任命には上院の承認が必要である。日本では内閣の任命なので(長官は内閣の指名、天皇の任命)、最低限「国会の承認」に変える必要がある。日銀総裁や公取委員長に国会の同意がいるのと同じである。もっとも最高裁裁判官は非常に大きな権限を持つから、国会の中に「裁判官弾劾裁判所」と同じような「最高裁判所裁判官推薦委員会」のようなものを作って、与野党で構成するような仕組みも必要だろう。
その他にも、すべての裁判官は弁護士から選任する(法曹一元)も、検討するべきだろう。司法修習終了後は一端全員が弁護士として活動し、数年後に希望者の中から裁判官、検察官を選任するという仕組みだ。とにかく「憲法の番人」「人権の砦」といった言葉が泣くような実態が日本の裁判所にはある。それを変えていくためには、どうしても憲法改正が必要だというのが僕の考えである。明白な憲法違反がありながら、裁判所がそれを止められないのでは「違憲立法審査権」を持っている意味がないではないか。(ちなみに、よく知られているように「自民党改憲草案」では、憲法53条を「要求があった日から二十日以内に臨時国会が召集されなければならない」と改正するとされている。)