見田宗介先生が亡くなって、追悼文「見田宗介さんの逝去を悼んでー「解放」を求めた理論家として」(2022.4.10)を書いたけれど、その時に昔読んだ本を何冊か取ってきた。そしてそのまま棚に戻すのではなく、この際もう一回読み直してみようと思った。そもそも著作集を持ってるのに読んでないのである。他に読みたい本は多いので、まあ無理せず月に一冊ぐらいのペースで進めたいと思う。最初は1985、86年に朝日新聞に連載した「論壇時評」をまとめた『白いお城と花咲く野原』である。

書誌的なことをまず書いておくと、ここには2年間に書かれた40本の時評が収録されている。1987年4月に刊行された本で、当時大きな評判になったと思う。どこかでこの本をテーマにした講演会があって、もう場所も内容も覚えてないが、行ったことだけ覚えている。ところで、2年間に40本という数字に最初は戸惑った。えっ、2年間なら24本では? それが何と当時は月末に2回も論壇時評が掲載されていたのである。単行本にすると5~6頁にもなる小論文が2日も載っていた。そして、当時の新聞を何回分か切り抜いて、本に挟み込んであったのだが、現在に比べてあまりにも字が小さい。そんなものを読んでいたのである。
ところで、月2回なら全部で48本のはずである。それを40本に絞ったのである。「わたしの固有の問題意識と対象がスパークするようにして書くことができた文章だけに、目次では*印をつけた。*印をつけた文章だけをあつめて小さい本にすることが、わたしの夢だった。」とあとがきに書かれている。それは16本あるのだが、他の文章も「それぞれ異質の読者からの反響があり、現代日本の思想の鳥瞰図をつくるという作業を兼ねて、大体全編を収録してある。」それでも、「純粋に「時評」的なもので、再録にほとんど意味がないと思われる八編」をカットしたと書かれている。再読した僕の感想では、著者がいうところの「問題意識と対象がスパーク」した*印が案外つまらない。それ以外の時評の方が今も興味深いと思う。
僕が切り抜いておいた中には、再録されなかった文章も2編ある。それは85年の円高(プラザ合意)と86年衆参同日選(自民党大勝利)に関するもので、今思えばそれらも時代を考える意味で再録してあれば良かったのにと思う。全体にこの本は今も面白く、多くの人に読んで感想を聞いてみたい気がしたが、この本は案外入手しにくいようだ。意外にも、地元の図書館には入ってなかった。僕の推測では、評判を呼んだ本だから購入したのではないかと思うが、時評という性格上20年もしたら処分されたのかもしれない。Amazonを見たら、なんと4万8千円もしたのでビックリ。稀覯本になってしまったから、カット分を含めて朝日文庫(あるいはちくま文庫とか講談社学術文庫など)で復刊してくれないだろうか。
(最終回の時評)
それぞれの時評に何かしら思うところがあって、書き出せば10回も20回も書けそうな気がするが、そんなに書いても長すぎる。それでも2回は必要だ。まずこの対象の時代(1985、86年)はどんな時代だったか。日本では中曽根康弘内閣の「戦後の総決算」時代だった。アメリカはレーガン、イギリスはサッチャーという、現代につながる「新自由主義」の始まりである。国鉄民営化は1987年4月のことだった。日本はその後、21世紀になって小泉純一郎、安倍晋三の長期政権を迎えた。同一の路線を歩み続けてしまったのだから、「論壇時評」の賞味期限が切れていないのである。
そんな中で、上記画像に挙げたように最終回「世界を荘厳する思想ー明晰による救済」を見ると、3人の写真が掲載されている。新聞掲載時には論文筆者の写真が載っていたわけである。最終回は石牟礼道子、村上春樹、杉浦日向子の3人だった。これは当時までの感覚では「論壇時評的な顔ぶれではない」。むしろ「文芸時評」の対象にふさわしい。日本の大手新聞は長らく、月末に主に東京で刊行された雑誌をもとに「論壇時評」「文芸時評」を掲載してきた。「論壇時評」とは、主に「世界」「中央公論」「文藝春秋」などの掲載論文をもとに「天下国家」を論じる性格のものだった。
一方、「文士」による「身辺雑事」が「新潮」「文学界」「群像」などの文芸誌に掲載され、それを評するのが「文芸時評」だったわけである。しかし、そのような「論壇」「文壇」構造は、80年代にはもう解体されていた。論壇時評に新風を吹かせたのが、見田さんの連載だった。だからこそ、この連載では宮崎駿『風の谷のナウシカ』や村上春樹『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』を取り上げている。いまでこそ、宮崎駿や村上春樹を取り上げて日本や世界を考えるというのは、世界中で行われている。この二人は当時から注目されていたが、それでも「新進作家」村上春樹を取り上げた眼力には見事なものがある。
(未収録の「三醒人経綸問答」)
いま思うなら、「天下国家」をマジメに考えているつもりで、「非武装中立の可能性」とか「日本における社会主義革命」を論じていた方がファンタジックな世界である。『魔女の宅急便』じゃないんだから、現実の日本人は飛べなかったのである。飛び方を論じ合っている間に、日本人の家族や性のありようは大きく変動していた。日本の高度成長によって、日本と近隣諸国の関係も大きく変容したが、そのことの意味もまだよく判っていなかった。80年代半ばの時点では、「在日コリアン」以外の外国人住民は珍しかった。その意味では80年代半ばはもう遠いのだが、それでもいまに通じる問題の方が大きい。
冒頭では「世界」掲載の大江健三郎の核問題に関する論考を取り上げ、共感と違和感を書き留めている。その問題はまた次回に書くが、大江健三郎に始まって石牟礼道子に終わるという「論壇時評」は現在も読む価値があるのだ。初めの方に「吉本隆明・埴谷雄高論争」に触れられていて、ああそういうのがあったなと思った。知らない人も多いだろう。そもそも吉本、埴谷を知らないかも。新進評論家として何回か出て来る加藤典洋も亡くなってしまった。今じゃ昔の映画や文学者に関する文章で知られる川本三郎も、都市の中に「レトロ」な新しさを見いだす若手評論家として何回か触れられている。
論壇時評の時期は「戦後40年」であって、西ドイツのヴァイツゼッカ-大統領の有名な演説も取り上げられている。またチェルノブイリ原発事故にもぶつかった。この時は日本でも大きな反原発運動の盛り上がりがあったが、結局は福島第一原発の大事故を防ぐ力を持てなかった。1986年2月はフィリピンの民衆革命が起こった年だった。テレビはフィリピン革命を大きく報じ、その「大衆的」な意味合いを考察している。石原慎太郎が「中央公論」に寄せた文が出ているが、フィリピンは封建時代以前の「古代氏族社会」で、軍隊が「氏族社会の雇い兵」だったことが革命の成功要因だと言う。それから35年、石原慎太郎は亡くなって、フィリピンでは今月マルコスの息子が大統領に当選したのだった。まさに諸行無常の響きが聞こえてくるではないか。

書誌的なことをまず書いておくと、ここには2年間に書かれた40本の時評が収録されている。1987年4月に刊行された本で、当時大きな評判になったと思う。どこかでこの本をテーマにした講演会があって、もう場所も内容も覚えてないが、行ったことだけ覚えている。ところで、2年間に40本という数字に最初は戸惑った。えっ、2年間なら24本では? それが何と当時は月末に2回も論壇時評が掲載されていたのである。単行本にすると5~6頁にもなる小論文が2日も載っていた。そして、当時の新聞を何回分か切り抜いて、本に挟み込んであったのだが、現在に比べてあまりにも字が小さい。そんなものを読んでいたのである。
ところで、月2回なら全部で48本のはずである。それを40本に絞ったのである。「わたしの固有の問題意識と対象がスパークするようにして書くことができた文章だけに、目次では*印をつけた。*印をつけた文章だけをあつめて小さい本にすることが、わたしの夢だった。」とあとがきに書かれている。それは16本あるのだが、他の文章も「それぞれ異質の読者からの反響があり、現代日本の思想の鳥瞰図をつくるという作業を兼ねて、大体全編を収録してある。」それでも、「純粋に「時評」的なもので、再録にほとんど意味がないと思われる八編」をカットしたと書かれている。再読した僕の感想では、著者がいうところの「問題意識と対象がスパーク」した*印が案外つまらない。それ以外の時評の方が今も興味深いと思う。
僕が切り抜いておいた中には、再録されなかった文章も2編ある。それは85年の円高(プラザ合意)と86年衆参同日選(自民党大勝利)に関するもので、今思えばそれらも時代を考える意味で再録してあれば良かったのにと思う。全体にこの本は今も面白く、多くの人に読んで感想を聞いてみたい気がしたが、この本は案外入手しにくいようだ。意外にも、地元の図書館には入ってなかった。僕の推測では、評判を呼んだ本だから購入したのではないかと思うが、時評という性格上20年もしたら処分されたのかもしれない。Amazonを見たら、なんと4万8千円もしたのでビックリ。稀覯本になってしまったから、カット分を含めて朝日文庫(あるいはちくま文庫とか講談社学術文庫など)で復刊してくれないだろうか。

それぞれの時評に何かしら思うところがあって、書き出せば10回も20回も書けそうな気がするが、そんなに書いても長すぎる。それでも2回は必要だ。まずこの対象の時代(1985、86年)はどんな時代だったか。日本では中曽根康弘内閣の「戦後の総決算」時代だった。アメリカはレーガン、イギリスはサッチャーという、現代につながる「新自由主義」の始まりである。国鉄民営化は1987年4月のことだった。日本はその後、21世紀になって小泉純一郎、安倍晋三の長期政権を迎えた。同一の路線を歩み続けてしまったのだから、「論壇時評」の賞味期限が切れていないのである。
そんな中で、上記画像に挙げたように最終回「世界を荘厳する思想ー明晰による救済」を見ると、3人の写真が掲載されている。新聞掲載時には論文筆者の写真が載っていたわけである。最終回は石牟礼道子、村上春樹、杉浦日向子の3人だった。これは当時までの感覚では「論壇時評的な顔ぶれではない」。むしろ「文芸時評」の対象にふさわしい。日本の大手新聞は長らく、月末に主に東京で刊行された雑誌をもとに「論壇時評」「文芸時評」を掲載してきた。「論壇時評」とは、主に「世界」「中央公論」「文藝春秋」などの掲載論文をもとに「天下国家」を論じる性格のものだった。
一方、「文士」による「身辺雑事」が「新潮」「文学界」「群像」などの文芸誌に掲載され、それを評するのが「文芸時評」だったわけである。しかし、そのような「論壇」「文壇」構造は、80年代にはもう解体されていた。論壇時評に新風を吹かせたのが、見田さんの連載だった。だからこそ、この連載では宮崎駿『風の谷のナウシカ』や村上春樹『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』を取り上げている。いまでこそ、宮崎駿や村上春樹を取り上げて日本や世界を考えるというのは、世界中で行われている。この二人は当時から注目されていたが、それでも「新進作家」村上春樹を取り上げた眼力には見事なものがある。

いま思うなら、「天下国家」をマジメに考えているつもりで、「非武装中立の可能性」とか「日本における社会主義革命」を論じていた方がファンタジックな世界である。『魔女の宅急便』じゃないんだから、現実の日本人は飛べなかったのである。飛び方を論じ合っている間に、日本人の家族や性のありようは大きく変動していた。日本の高度成長によって、日本と近隣諸国の関係も大きく変容したが、そのことの意味もまだよく判っていなかった。80年代半ばの時点では、「在日コリアン」以外の外国人住民は珍しかった。その意味では80年代半ばはもう遠いのだが、それでもいまに通じる問題の方が大きい。
冒頭では「世界」掲載の大江健三郎の核問題に関する論考を取り上げ、共感と違和感を書き留めている。その問題はまた次回に書くが、大江健三郎に始まって石牟礼道子に終わるという「論壇時評」は現在も読む価値があるのだ。初めの方に「吉本隆明・埴谷雄高論争」に触れられていて、ああそういうのがあったなと思った。知らない人も多いだろう。そもそも吉本、埴谷を知らないかも。新進評論家として何回か出て来る加藤典洋も亡くなってしまった。今じゃ昔の映画や文学者に関する文章で知られる川本三郎も、都市の中に「レトロ」な新しさを見いだす若手評論家として何回か触れられている。
論壇時評の時期は「戦後40年」であって、西ドイツのヴァイツゼッカ-大統領の有名な演説も取り上げられている。またチェルノブイリ原発事故にもぶつかった。この時は日本でも大きな反原発運動の盛り上がりがあったが、結局は福島第一原発の大事故を防ぐ力を持てなかった。1986年2月はフィリピンの民衆革命が起こった年だった。テレビはフィリピン革命を大きく報じ、その「大衆的」な意味合いを考察している。石原慎太郎が「中央公論」に寄せた文が出ているが、フィリピンは封建時代以前の「古代氏族社会」で、軍隊が「氏族社会の雇い兵」だったことが革命の成功要因だと言う。それから35年、石原慎太郎は亡くなって、フィリピンでは今月マルコスの息子が大統領に当選したのだった。まさに諸行無常の響きが聞こえてくるではないか。