尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

「同性婚」と日本国憲法

2014年07月09日 23時26分39秒 | 社会(世の中の出来事)
 6月初めに青森県で女性どうしで「婚姻届」を提出したカップルがいたが、市役所から憲法を根拠に認められないと不受理になったという。そういうニュースが昨日のYahoo!ニュースにアップされていて、大手のマスコミには出てないけど、初めてこのニュースを知った。検索してみると、「“解釈改憲”で同性カップルの結婚は実現できるか?」という記事も出てきて、やはり同じことを考えている人がいるんだなと思った。ちょっとこの問題を考えておきたいと思う。

 憲法というのは、憲法24条の以下の条文を指している。(太字は引用者)
第二十四条  婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。
○2  配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない

 これを素直に読めば、婚姻(結婚)には「両性の合意」(だけ)が必要とされることになる。それに「素直な解釈」を行えば、性別というのは「男性」と「女性」だから、結婚しようと思う男性と女性の合意がいるという規定である。(実際には、男性、女性以外にも、少数ではあるが「インターセックス」(半陰陽)が存在する。)

 しかし、どうして「素直な解釈」をしなければならないのか憲法9条を素直に解釈すれば、集団的自衛権どころか、個別的自衛権さえ認められるのか、疑問としなければならないだろう。しかし、安倍内閣は個別的自衛権をさえ超えて、集団的自衛権さえ現憲法で認めうるというのである。そこまで9条を「超解釈」できるんだったら、24条だって「解釈改憲」できるのではないか、という話である。

 安倍首相がどうして集団的自衛権を認められると考えるかというと、「日本人の命を守るため、自衛隊が米国の船を守る。それをできるようにするのが今回の閣議決定です。人々の幸せを願って作られた日本国憲法がこうしたときに国民の命を守る責任を放棄せよといっているとは私にはどうしても思えません。この思いを与党の皆さんと共有し、決定いたしました。」と言うのである。

 それを援用するならば、「人々の幸せを願って作られた日本国憲法」が、ただ同性を愛するという性的指向を持っているだけで、そういう人々の「国民の幸せを守る責任を放棄せよといっているとはどうしても思えません」となる。

 そもそもどうしてこういう条項が規定されたのだろうか。今見ると、結婚しようとするご両人の同意が結婚には必要です、って当たり前すぎる決まりである。しかしながら、戦前の家族制度の下では、強大な家父長権をタテにして「家族のため」「親の決めた」結婚を強いられる女性(男性もだが)がかつてはたくさんいたのである。というか、長い間「結婚とは家の釣り合いを考えて親が決めるものだ」というのが、日本人の通念だった。そこで「個人の尊厳」を重んじる日本国憲法においては、「結婚するには結婚しようとする両方の男女の同意がいる」=「成年男女だったら、親が反対していても二人の責任で婚姻届を退出できる」とされたわけである。まさに「人々の幸せを願って作られた日本国憲法」なのである。

 ところで、先の条文をよくみると、後段に「個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない」とあるのが注目される。その対象はいくつかあがっているが、「配偶者の選択」が入っている。つまり、「配偶者の選択に関する法律は、個人の尊厳を重んじて決定されるべきである」と書いてあるのである。ここをよく考えてみると、日本国憲法は「同性婚を否定してない」と考える余地があるのではないか。制定当時は「同性婚」は問題化していなかったのだから、憲法は明文では同性婚を肯定も否定もしていない。そこで「憲法の趣旨」を考えることになるが、憲法が「人々の幸せを願って」作られているのなら、できるだけ時代にあった解釈をして行かないといけないのではないか。

 もう少し言うと、これも憲法で規定はされていないが、日本では刑法で重婚を禁じている。つまり「一夫多妻」「一妻多夫」あるいは「多夫多妻」は認められていない。(これは「法律婚」の話。刑法の姦通罪は戦後に廃止されたので、婚姻関係にある男女が他の男女と性的関係を持っても(もちろん)違法ではない。しかし、そういう関係は法的な婚姻関係に認められる制度的な有利さを受けられない。)そのことを前提にすると、「結婚とは必ず二人の人間どうしで行う」ということになる。つまり「ある男性とある女性」が結婚しようと思った時に、その二人の同意を「両性の合意」と憲法は表現している。

 そうするならば、「ある男性とある男性」または「ある女性とある女性」が結婚しようと思う時も、この二人の合意を「両性の合意」と読めばいいのではないか。男性と男性(女性と女性)だって、「両性」=「何らかの性別を持つ両方の人間」ではないか。これは「詭弁」だろうか。これが詭弁だと思うなら、集団的自衛権容認なんて詭弁の極みではないかと思うが。

 以上書いたことは、「半分本気」の論である。一応本気でそういう解釈が可能だと思うのだが、書いたきっかけは安倍政権の「詭弁」に触発されている。同性婚には賛成ではあるけれど、やはり憲法改正をしてはっきりさせた方がいいと思う。それ以前に、同性婚容認論議以前にするべきことがあるのではないかと思っている。「同性婚」が不要だとは言わないが、何らかの事情で「結婚できない人」も多数いるだろう中で、「結婚制度の強化」につながってはおかしいだろう

 つまり、異性愛であれ、同性愛であれ、性的関係によってつながれた関係の二人のみを、法的、経済的に優遇する制度であっていいのだろうかということである。むしろ、性的関係(異性、同姓を問わず)の有無、子どもを持つ持たないに関わらず、気の合ったパートナーと暮らすときに「結婚関係と同等に相続や扶養の税制を利用できる」という制度、社会的パートナーシップというような制度を作っていく方が緊急性が高いのではないかと思う。そういう問題もあると思うが、安倍的思考をもってすれば、現憲法においても同性婚が可能なはずではないのか。他にも探していけばそういう論点はあると思う。もっともそのことで、憲法の価値を損なうとしたらおかしいのだが。
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2014年6月の訃報

2014年07月07日 23時02分43秒 | 追悼
 先月の訃報も映画演劇関係から。林隆三(6.4没、70歳)は俳優座養成所「花の15期生」というらしいけど、原田芳雄、地井武男、夏八木勲ら続々とここ数年で鬼籍に入っている。故太地喜和子も同期。存命は栗原小巻、三田和代、赤座美代子、高橋長英、前田吟、秋野太作などなど。映画の「妹」や「竹山ひとり旅」もいいんだけど、僕が名前を覚えたのはNHKの時代劇「天下御免」という平賀源内を主人公にしたドラマだった。主人公は山口崇だけど、林隆三は剣豪小野右京之介という役をやった。これは早坂暁脚本の人気ドラマで、影響を受けた人が多いのではないか。

 斎藤晴彦(6.27没、73歳)はテレビやCMにもずいぶん出たと書いてあるけど、僕は見てない。黒テントの役者というイメージなんだけど、晩年にはいつの間にかメジャーの舞台にも出るような役者になった。ミュージカルの「レ・ミゼラブル」とか森光子の「放浪記」とか。後者では小鹿番の死後に、菊田一夫の役を引き継いだのにはビックリした。黒テントの何かの芝居で名前を知ったように思うけど、もう覚えていない。こんなに売れるようになるとは思っていないうちに、存在感が増していった。

 増村保造の話を書いた翌日に、増村監督と「行動社」を設立したプロデュ―サー、藤井浩明(6.21没、86歳)の訃報が伝えられた。今、フィルムセンターで増村映画をたくさん見ているが、ほとんどは藤井浩明が製作にクレジットされている。その他に市川崑「炎上」「弟」などを製作したので、大映の名作映画を支えた人物ということである。この人はまた三島由紀夫「憂国」を製作したことで有名だけど、どうも僕には忘れてしまいたいような映画史のエピソードである。最後に「行動社」で作った「大地の子守歌」や「曽根崎心中」は名作で、それぞれ複数回見ているが見直してみようと思う。

 映画撮影監督の坂本典隆(6.13没、79歳)は、松竹で70年代の青春映画をたくさん撮っていて懐かしい名前。斎藤耕一の「約束」が最初で、「旅の重さ」、ATGの「津軽じょんがら節」、東映の「無宿」と斎藤監督と組んだ。「旅の重さ」は高校2年生の女子高生(高橋洋子)は四国を放浪する話だけど、自分も高2の時の映画だから、ことのほか感銘が深かった。でも、「約束」「津軽」の寒々しい映像の方にも感心した。郷ひろみ主演、山根成之監督の「さらば夏の光よ」「突然、嵐のように」という名作青春映画も撮っていて、あの頃の映画ファンには思い出深い名前である。

 もう一人、大映のカメラマン、森田富士郎(6.11没、86歳)も亡くなった。「大魔神」ばかりが取り上げられるが、眠狂四郎、座頭市、兵隊やくざなど大映の人気シリーズを支えている。大映倒産後も「極道の妻たち」「利休」などいくつもも大作を取っている。僕は高林陽一が撮った「本陣殺人事件」「金閣寺」などが技術的にも素晴らしいと思う。NHKの演出家で「夢千代日記」で知られた深町幸男(6.21没、83歳)は他にも向田邦子「あ・うん」とか「父の詫び状」とかというけど、テレビを見なくなっていたので一つも見てない。映画で「長崎ぶらぶら節」を撮ったけど、まあ直木賞作品の絵解きみたいなものだろう。

 児童文学者の古田足日(ふるた・たるひ、6.8没、86歳)は、戦後の児童文学で「日本の子どもが喜んで読める」本を初めて書いた何人かの作家の一人だと思う。絵本「おしいれのぼうけん」が売れたらしいけど、これは1974年の刊行でもう僕の子ども時代ではないから知らない。僕にとっては「宿題ひきうけ株式会社」の作家だといっていい。この卓抜なネーミングに子ども心がワクワクした。岩橋邦枝(6.11没、79歳)は、1956年の「逆光線」が「女太陽族」のようにもてはやされた時代がある。北原三枝主演で映画化されているが、今見るとずいぶん硬い青春なのにビックリした。(講談社文芸文庫の短編集成に収録されていて、読んでるんだけど記憶がない。)その後、結婚出産を経て、70年代後半以後に作家活動を再開、カムバック賞と言われた人である。最後は長谷川時雨、野上弥生子などの評伝を書いていたというけど、読んでない。読んでなくて評価できないのは、詩人那珂太郎(6.1没、92歳)も同じ。萩原朔太郎の研究者だったとある。

 ダニエル・キイス(6.15没、86歳)は「アルジャーノンに花束を」が突然日本で売れだし、有名作家になったけど、そうなると逆に読むチャンスを失った感じになって読んでない。「24人のビリー・ミリガン」も多重人格のブームをもたらした感がある。持っているけど読んでない。小池千枝(5.28没、98歳)は先月の訃報だけど、発表が今月になった。知らなかったけど、文化服装学院の元学院長で、高田賢三、山本耀司、コシノ・ジュンコらを育てたとある。「日本人デザイナーの母」という人だとある。知らないことは多い。翻訳家の東江一紀(あがりえ・かずき、6.21没、62歳)は、アメリカのミステリーやノンフィクションをいっぱい訳している。ずいぶん読んでるけど、非常に上手な訳で、難しい法廷ドラマなんかを実に的確な日本語で読ませる。この人も翻訳だと安心して読めた。敢えて一つ選ぶと、ドン・ウィンズロウ「犬の力」(角川文庫)を選んでおく。坂倉芳明(5.13没、92歳)の訃報も今月伝えられた。三越を追われて西武で社長となり、岡田茂解任後の三越に顧問出迎えられた。といっても、もう昔の話で分からない人が多いだろう。那須翔、小松一郎氏などの訃報も書こうかと思ったけど、まあ死者に鞭打つのも何だなあと思ってやめておくことにする。
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蹴球世界杯③

2014年07月06日 23時50分45秒 | 社会(世の中の出来事)
 6月にワールドカップのことを2回書いたので、4強が出そろったところで簡単に総括。「蹴球世界杯②」では、4強の予測をしてる。準決勝の組み合わせは、一つは「ブラジル対ドイツ」だと書いたから当たってる。でもまあ、これは世界中でほとんどの人が当たっただろうから、特に自慢になることでもない。もう片方は「アルゼンチン対イタリア」では面白くないと書いてて、「イタリアかオランダがベスト4か」と書いてるので、半分当たったと言えないこともないけど、まさかイタリアが1次リーグ敗退とは考えもしなかったので、その点は予測のはずれ。

 Dグループは、ウルグアイがシードで、ギリギリのところでシード枠を外れたイタリアイングランドの優勝経験国が入った。そこにコスタリカが入った。事前の日本との練習試合を見ていても、コスタリカが1次リーグを突破するのは非常に難しいのではないかと誰もが思っただろう。第一試合でコスタリカがウルグアイに3対1で完勝しても、それはウルグアイが予選段階からの不調を引きずっているのではないかと考えた。イタリアは第一試合のイングランド戦に勝ったので、その勢いで1位突破すると考えたのは、まあ普通の判断である。ところがコスタリカがイタリアに勝ち、イングランドにも引き分けるという、まさかの1位突破。今大会最大の番狂わせ。これを当てた人は、世界に(熱狂的コスタリカ国民以外は)誰もいないだろう。そしてトーナメント1回戦にも勝って、ベスト8。これはすごい。もし、日本が2位突破していたら、このコスタリカと当たっていた。

 「コスタリカ」(Costa Rica)という国にスポットが当たるのは、とてもうれしい。人口400万ほどの中米の小国だけど、非軍事(常備軍を持たない)、エコツーリズム人権教育(軍隊を廃止し、軍事費を教育に回した)で有名な国である。別に反米ではなく親米政権だけど、人権外交を進め「国連平和大学」(平和、人権、環境保護などに関する専門教育を行う大学院大学の国連機関)を誘致している。いいことだけではないらしいけど、非軍事、環境保護、人権擁護では世界に知られていて、まるで今の日本の逆を行くような国ではないか。国名はスペイン語で「コスタ・リカ」(豊かな海岸)で、コロンブス(コロン)が上陸した時に先住民が金の装飾をしていたことから付いたという。英語で言えば「リッチ・コースト」、「コートジボワール」の「コート」(Côte=フランス語)と同じである。(コートジボワールは、アイヴォリー・コースト、象牙海岸の意味。)

 ベスト4を掛けたオランダ戦も、PK戦まで行く戦いだった。支配率64%対36%、枠内シュート15本対3本、コーナーキック数に関しては何と11回対1回と、もう完全にオランダの試合である。それでも点を与えない。0対0を守りきる。そこでPK戦に向け、オランダはゴールキーパーのメンバー交代というかつて聞いたことのない戦術で、PK戦に勝つ。深夜か早朝で最近はリアルタイムでは全然見てないんだけど、こんな試合があるんだという感じである。それでも準々決勝ではブラジル、ドイツ、アルゼンチン、オランダと、一応格上というか、最新のFIFAランキングの上位国が勝っている。1回戦もリーグ戦1位突破国が勝っていて、割と順当な試合結果になっている。しかし、ランキングで言えば、ドイツが2位でブラジルが3位。ネイマールも負傷したブラジルは果たして決勝に進めるか。先の記事では「ネイマール対メッシが見たい」と書いたけど、もうそれは不可能になった。この4つのチームはどこが優勝してもおかしくはない。だけど、あえて言えば、グループリーグからの5試合をすべて1点差で勝ち切り、PK戦もないアルゼンチンにうまさがあるのかなとも思う。

 日本チームのことを書く余裕がなくなってきた。アジア出場国が一勝もできなかった理由は判らないけど、中南米各国の好調ぶりは「地の利」というものだろう。そうすると、本国からもブラジルに入ってからも「移動時間の長さ」もあるのかもしれない。日本は半数が欧州チーム所属だから、ヨーロッパ→日本→アメリカ→ブラジル、そしてキャンプ地のイトゥから各試合都市までが長い。2年後にリオ五輪があるわけだから、日本のスポーツ関係者は、ちょうど日本の真裏、時差も季節も正反対の国で最大の力を発揮するにはどのようなトレーニングが必要なのか、緊急に研究するべきだろう。

 試合そのものは、コートジボワールに逆転されたことにつきる。計算すればわかるけど、仮にギリシャ戦に勝っていても1次リーグは突破できない。もっとも、試合結果が変われば、どの国もモチベーションに変化があるから、仮定の議論は意味がないけど。いろんな人がいろんなことを言うだろうけど、僕にはよく判らないし、内情にもあまり関心はない。客観的に見て、日本の力は「アジア枠が3以上あれば出場はできるだろうけど、1次リーグを突破できるかどうかは微妙なところ」といったあたりだと思う。今回だって突破してもおかしくはない。だから残念と言えば残念とも言えるけど、優勝できるなんて思ってた人はいないだろう。組み合わせに恵まれれば、ベスト8に行けないとも言えない、といったあたりが最高である。まあ、全敗も十分にありえたけど、一つ引き分けた。ギリシャの「引き分けねらい」を崩せなかった。日本は最後がコロンビアだから勝てないだろうと踏めば、ギリシャは最後のコートジボワール戦に勝てば突破なので、日本戦は引き分けでいい。あの守りを固めたチーム相手に一点も入れることは難しい。PKを取りに行く以外にはなかったと思う。

 今後どうするか、「想定と違った時に柔軟に対応できる力」とか言って、そういうものを学校でも育てるべきだという人もいるけど、そんなことが今の日本の教育行政の中で出来るわけがない。そりゃ、まあできればその方がいいけど、誰もそんな教育に変えようも思ってない。マスコミもいろいろ言うけど、読売は今でもジャイアンツ、朝日も毎日も甲子園がウリで販促しようと思ってるんだから、学校教育では野球が大事、炎天下に連投して潰れてもいい、学校のためだという姿勢が変わるとは思えない。部活動を社会体育に移行するなんて言うのも「お題目」だけで、予算もないのに不可能だと皆思ってるだろう。教員の事実上の超過勤務に押し付けたままだと思う。

 ザッケローニ監督は、日本に向いているようでいて、最後の最後にナショナルチームを率いたことがない経験不足が出た感じは否めない。大久保をサプライズ選出して、ザンビア戦で最後に投入して当たったあたりまでは、案外「マジック」が効いてるのかなという気もしたんだけど。でも、僕はこの4年間、スポーツが単なるスポーツ以上に大きな意味を持った時代に、ザッケローニのように「前生は日本人」などという人が監督で良かったんじゃないかと思っている。「地震と原発事故の国では家族が心配する」などという人だっていたと思うが、選手と一緒に募金で街頭にも出るような人だったから、「3・11後」の日本でサッカーが意味を持てたんではないか。などと僕は思っているんだけど。
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帝国崩壊の長い影-第一次世界大戦100年②

2014年07月05日 00時07分21秒 |  〃 (歴史・地理)
 第一次世界大戦ではドイツ、オーストリア、オスマン、ロシアの4大帝国が崩壊した。勝利したものの「大英帝国」の全盛期も終わり、アメリカの時代が始まる。こうした出来事は「現代史」に大きな影を落としている。「帝国」とは、皇帝がいる国、あるいはレーニンの定義ではなく、「諸民族を統合する一大勢力圏を形成する国家」として考えている。

 ロシアの場合を考えると、確かにロマノフ帝政は崩壊したが、事実上ソ連(ソヴィエト社会主義共和国連邦)「帝国秩序」を継承した。ウクライナの独立は達成されず、グルジア、アルメニア、中央アジア諸国もソ連邦に組み込まれた。さらに中華民国から「外モンゴル」を事実上のソ連衛星国にした。バルト三国(エストニア、ラトビア、リトアニア)などのように戦間期(第一次大戦と第二次大戦の間)に独立を達成した国もあったが、第二次大戦中にソ連に強制的に編入された。真の「ロシア帝国の崩壊」は1991年だったのである。その後、ウクライナやグルジアでの混乱、あるいは中央アジア諸国の独裁や内戦は、「帝国崩壊」後の秩序再編成期が続いていることを示している。

 アメリカや中国では、いまだ「帝国秩序」が崩壊していない。いずれは「辺境の反乱」を契機に帝国秩序が揺らいでいくのは間違いない。長い目で歴史を考える時には、ロシアの事例が大きな参考になる。(なお、ロシアからソ連になる時に、ロシア連邦内に組み込まれた地域は、チェチェンのようにまだ「帝国」内部にあって、かく乱要因となっている。)アメリカの場合は、かつては南北アメリカ全体が合衆国の事実上の勢力圏だった。キューバ革命を先駆けとして、今やラテンアメリカの相当の国が「反米国」になったが、「アメリカ帝国の揺らぎ」と考えるべきだろう。

 「大英帝国による現代史の悪夢の種」はどう考えるべきか。現在、シリアからイラクにかけて「イスラーム主義」に基づく「イスラーム国」が「建国」されたと伝えられる。驚くべきことに「カリフ」(イスラーム国家の最高指導者)を称している。これでは大昔のイスラーム帝国の再来で、イラク、シリアを本格的に制圧して、他の国にも攻めていくのだろうか。この「カリフ」はスンニ派とシーア派で考え方が異なるが、スンニ派のカリフはオスマン帝国の崩壊とともにいなくなった。イギリスは反オスマン帝国のため「アラブの独立」を支援するが、それが映画「アラビアのロレンス」の背景にある史実である。

 しかし戦後になっても、イギリスやフランスはアラブに独立を与えなかった。シリア、レバノンはフランスの委任統治イラク、パレスティナはイギリスの委任統治とされた。イギリスはヘジャーズ王国のフサインに戦後の独立を約束し、フサインの長男ファイサル(映画ではアレック・ギネス)はロレンスと協力して軍事行動を起こしダマスカスに入城した。しかし、イギリスはフランス、ロシアと組んでオスマン帝国領を三分割する「サイクス・ピコ協定」を結び、同時にユダヤ人大資本家の協力を得るため戦後のパレスティナにおけるユダヤ国家建設を支援すると表明した。このイギリスの「三枚舌」外交がパレスティナ問題の原因だとよく指摘される。
(サイクス・ピコ協定)
 アラブの民族主義の高まりから、やがて英仏は独立を与えるようになり、先のファイサルがイラク国王とされた。弟アブドラがヨルダン国王とされた。本来メッカの首長だったハシム家は、こうしてイラクとヨルダンの王家として存続した。(1958年の革命でイラクの王政は終わったが、ヨルダンの王政は続いている。)メッカのあるアラビア半島は、厳格なイスラーム主義を奉じるワッハーブ主義と結んだサウード家が勢力を伸ばし、1932年にサウジアラビアが建国された。「満州国」と同年である。
(イブン・サウード)
 この地域の現在の混乱が、すべてイギリスの原因とは言えない。アメリカ、ソ連などの責任もあるし、アラブ人自らの責任も大きい。こうして見てくると、「オスマン帝国の崩壊」の後始末が100年経ってもついていないという厳然たる事実が見えてくる。また、英国のインド支配では、インド、パキスタン(バングラディシュ)と「宗教別国家」に分かれて独立した。「大英帝国」の歴史的責任は大きい。

 第一次世界大戦後のヨーロッパでは定着した「民族自決」と「国際協調主義」が、現在も定着していない地域が全世界にいっぱいある。100年経っても、第一次世界大戦が突き付けた問題、いわば「世界大戦の時代」が完全には終わっていないのである。それは日本の周辺の状況にも言える。思い出すのは石橋湛山が同時代の日本で主張していた「小日本主義」である。朝鮮に独立を与えよ、植民地は放棄せよという「同時代には全く受け入れられなかった考え」は、第二次世界大戦で負けた後では、常識といえる考えになった。無理な異民族統治は、政治的な対立を生むだけでなく、経済的にも釣り合わなず、自国民の道徳心に悪影響を与えるだけなのである。

 「現実的な知恵」が、今の日本の指導者にも、中国やロシアの指導者にも必要だ。第一次世界大戦から100年経っても未解決の問題があることを思えば、「大日本帝国崩壊後の諸問題」が70年ほどで完全解決するはずもないわけだろう。
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第一次世界大戦とは何だったかー第一次大戦100年①

2014年07月03日 23時20分01秒 |  〃 (歴史・地理)
 2014年は第一次世界大戦が起こってから100年目の年になる。第一次世界大戦は、戦場がヨーロッパが中心だったこともあり、日本ではなかなか理解されていない。どことどこが戦ったのか、正確に言える人は少ないのではないか。しかし、第一次世界大戦は「現代史の起点」である。基本的なことは知っていないとまずい。また、第一次世界大戦の「戦後処理」が今も尾を引いている問題が世界には多い。そういった問題を2回に分けて書いておきたい

 1914年6月28日に、第一次世界大戦のきっかけとなったサラエヴォ事件が起きた。当時ボスニアはオーストリア=ハンガリー二重帝国の領土とされていた。そのオーストリア皇太子フランツ・フェルディナンドに対し、隣国セルビアの民族主義者ガブリロ・プリンツェフが爆弾を投げつけて暗殺した。今年は記念行事も行われたというが、プリンツェフに対する評価は、近隣諸国の間で対立が続いている。サラエヴォは、ユーゴスラヴィア崩壊後に悲惨な内戦が起こったボスニア・ヘルツェゴビナの首都である。
(サラエヴォ事件)
 暗殺事件直後の時点で、これをきっかけに世界大戦が起こると考えた人は誰もいなかった。第二次世界大戦は、1939年9月1日にドイツがポーランドに侵攻し、3日には英仏がドイツに宣戦布告した。しかし、第一次世界大戦では、オーストリアがセルビアに宣戦布告するまでに1カ月かかった(7月28日)。その後8月1日にドイツがロシアに宣戦、3日にドイツがフランスに宣戦、4日にイギリスがドイツに宣戦と、どんどん戦争が拡大した。日本は8月23日に日英同盟を理由にドイツに宣戦布告した。

 当時ヨーロッパの「列強」は2つの陣営に分かれて対立していた。20世紀初頭には、イギリスはロシアの南下がインド支配や中国情勢に影響を与えるのを恐れて、日英同盟(1902年)、日露戦争(1904~05年)で日本を支援した。それ以後はドイツが強大化して、「三国協商」(イギリス、フランス、ロシア)と「三国同盟」(ドイツ、オーストリア、イタリア)が対立した。戦争になるとイタリアは同盟国を抜けて連合国(協商国)に参加した。トリエステなどのオーストリア領「未回収のイタリア」という領土問題が存在し、連合国は秘密裏に返還を約束してイタリアを引き抜いた。その代りにドイツと友好関係にあったオスマン帝国がドイツ、オーストリア側にたって参戦した。

 その頃、バルカン半島は戦争が絶えず、「ヨーロッパの火薬庫」と言われていた。伊土戦争(1911、イタリア対オスマン帝国)、第一次バルカン戦争(1912、オスマン帝国対ギリシャ・ブルガリア・セルビア・モンテネグロ)と第二次バルカン戦争(1913、ブルガリア対ギリシャ・セルビア・モンテネグロ・ルーマニア)など戦争が相次いだ。伊土戦争は北アフリカのリビアの争奪だが、イタリアの勝利を見たバルカン諸国はオスマン帝国を攻撃した。勝利後は領土の帰属で仲たがいして、第二次バルカン戦争が起きた。だから今度は「第三次バルカン戦争」が起きたかと多くの国々が思っていた。

 戦争の経過をずっと追っていくと大変だが、西部戦線(ドイツ対フランス・イギリス)も東部戦線(ドイツ対ロシア)もこう着状態となった。「塹壕戦」(ざんごうせん=穴を掘った陣地に立てこもり、本格的な地上攻撃ができない状況がずっと続く)となり、戦争が長引いた。ドイツの無差別潜水艦攻撃を理由に、アメリカがイギリス側で参戦し、やがて連合国有利に進展する。また毒ガスなどの「新兵器」が登場し、今までの戦争と全く様相を異にした大惨事になった。当時のイギリス国王ジョージ5世は、ヴィクトリア女王の長男エドワード7世の次男。一方ドイツのウィルヘルム2世の母ヴィクトリアはヴィクトリア女王の長女で、二人はヴィクトリア女王の孫どうしだった。
(「塹壕線」)
 第一次世界大戦は「総力戦」の始まりだった。毒ガス、潜水艦、戦車、飛行機などが使用され、「科学戦」でもあった。国家が総力を挙げて戦う時代が始まった。だから、犠牲者も兵士だけでなく、「銃後」の民衆にも広がった犠牲者1000万人とも言われる。戦争の負担に耐えられないロシアでは革命が起こり、「社会主義革命」まで進んだ。戦争が終わったのもドイツの厭戦気分が広がりドイツ革命が起こったからである。ロシア、ドイツ、オーストリア、オスマンの4大帝国が崩壊した。戦争に勝利した英仏日の植民地は残っていたが、ヨーロッパでは基本的に「民族自決」が実現した。

 直接戦火に見舞われなかったアメリカが世界経済の中心となり、世界政治への影響力も強まった。ウィルソン大統領の提案により、国際的平和機関として国際連盟が成立した。アメリカは上院の反対で参加しなかったが、それでも「そういうものができた」という「人類史的意義」は大きい。(日本も常任理事国となり、新渡戸稲造や柳田國男などが活躍した。)国際労働機関(ILO)、国際連盟保健機関(WHOの前身)、ナンセン国際難民事務所(UNHCR=国連難民高等弁務官事務所の前身)、国際司法裁判所など国際的な専門機関が作られ「国際的協調」が世界に広まった。

 英仏の植民地だったアフリカ諸国やインドなどの兵士も動員され、まさに「世界大戦」になった。オスマン帝国辺境でアルメニア人の大虐殺が起きたり、現在のパレスティナ問題につながる問題も起こった。日本は中国山東半島にあったドイツの海軍基地チンタオ(青島)を攻撃し、山東半島を占領した。その「成果」を中国に認めさせるため、1915年に「21カ条要求」を突き付け、強引に認めさせた。日本が最後通牒を発した5月7日と要求を認めさせられた5月9日を、中国は「国恥記念日」と呼んだ。1919年にヴェルサイユ条約で日本の山東省権益が中国の反対にもかかわらず認められると、5月4日、北京の学生数千人が天安門広場からデモを始めた。これが「五四運動」で、中国現代史の始まりとされる。
(五・四運動)
 ヴェルサイユ条約のドイツに対する過大な賠償金が、ワイマール共和国の崩壊とナチス勃興の主要な原因となったと言われる。結局、「人類は第二次世界大戦を防げなかった」のである。それが「第一次世界大戦を考える意味」であり、「アウシュヴィッツとヒロシマのあとで、戦争をなくすことが人類にはできるのだろうか」という問いに向かい合うことが、第一次世界大戦を考える意味でもある。
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安倍内閣の危険性-「集団的自衛権」容認をめぐって②

2014年07月02日 13時16分12秒 |  〃  (安倍政権論)
 「集団的自衛権」容認問題の続き。今日の新聞では諸紙様々ながら「歯止めがある」「歯止めにならない」と両論ある。しかし、本来「歯止め」があるという方がおかしい。「歯止め」「限定」というけど、本来の限定は「憲法9条」である。憲法9条があるのに「集団的自衛権」が認められるというのなら、もうその段階で「歯止め」を突破されているので、あとは政権の都合でいくらでも「拡大解釈」できる。よく読めばそのように読めるようにちゃんと書いてある。

 昨日のニュースで「認めたからと言って、すぐに戦争になるとは思わない。だから賛成だ」という人もいたが、当たり前である。今、アメリカが本格的に遂行している戦争がないんだから。まだ、閣議決定だけで法律が成立しているわけではないけど、来たるべき法律というのは、「テロ対策」とか「イラク」とかの「特措法」の恒常化である。もういちいち「特措法」を作ることなく、内閣の決断で自衛隊を戦地に送れるようになるはずである。「自衛隊のいるところが、戦地ではないところ」などと小泉首相のような「誰が見ても苦しい詭弁」を使う必要が無くなる。その時点での首相は他の人かもしれないが。

 「集団的自衛権」を認めると、中国と衝突するのではないかなどという人もいる。賛成という人にも反対という人にも。でも、それもおかしい。中国とフィリピンやベトナムが南シナ海で「軍事衝突」したとする。国連安保理に問題が持ち込まれても、中国が拒否権を使うので、効果的な対策はできない。だから、中国やロシアが絡む(日本とは関係のない)武力紛争に日本が直接派兵することは考えられない。日本が「出兵」するとしたら、「中東危機」にあたり、米中ロが一致して「イスラーム勢力」と対峙するような事態が起こった時になると思う。

 今回の議論の中で「拙速である」とか「本来は憲法改正を必要とする問題だ」というのがあった。もちろん、その通りである。その通りなんだけど、僕はそういう言い方の批判はしない。安倍政権はたしかに、タテマエとして反対意見も聞いてみるということもしない。思い込みで突っ走る。「殿、ご乱心」と止める配下もいない。だけど、それはおかしいではないかと反対してると、仮に野党が政権を取っても「プロセスを大切にする」ということに時間を取られて何も進まなくなる。皆の意見を聞くということで、弱い者の意見も丁寧に聞くという時に、強い者の意見も聞かないわけにはいかないから、両方の意見を聞くと結局話し合いを続けても強い者の意見が通ってしまう。それでは、「話し合いに何の意味があるのか」と皆が不信感を持つ。こうして、安倍首相が「タテマエとしての公平なんて、どうでもいいんだもんね」とどんどん進んで行くことで、「民主主義そのものへの不信」が社会全体に広まってしまうのである。

 本来は改憲するべき問題だ、というのも全くその通りだと思うけど、そう言う反対論が当たり前になるとともに、「首相が改憲を言い出す」ことへのハードルが低くなってしまう。だから、いずれ「自分としては今の憲法9条で集団的自衛権は容認されると考えているけれど、多くの人からご批判、ご心配も頂いたので、この際はっきりと憲法を改正して置く方がいいのではないかという判断に至った」と堂々と語る日がもうすぐ来るのだろうと思う。いよいよ本丸を攻める前に、外堀に続き、内堀の埋め立ても終わったということだ。なんとか大阪方をだましこんで、内堀まで埋めてしまう。安倍首相がとにかく「限定」が付こうが何でもいいから「文言上で集団的自衛権容認という形だけ作れればいい」という感じなのは、要するにホントの目的は「本丸」(憲法改正)であり、今回は堀を埋めちゃうことが目的だからだろう。

 だけど、こうして「戦後のタテマエ」を次々とぶっ壊してしまっていいのだろうか。どんどん「とんでもない議論」が進んで行く可能性がある。本来は、自衛隊は「専守防衛」ということで、なんとか「個別的自衛権はある」という論理で成立していた。本来、憲法9条で日本は戦力を保持できないということなら、日本が侵略を受けた場合にどうするんだということで、それが「日米安全保障条約」の存立根拠だったはずである。日米安保が存在するには、自衛隊の戦力が強すぎてはおかしい。他国の戦争に派兵できるぐらい自衛隊が強いんだったら、「自分の国は自分で守る」という考えの方が正しいはずではないのか。そうすると、「アメリカ従属型軍事主義者」(安倍首相)を飛び越えて、「日本自立主義型軍事膨張主義」を呼び起こすきっかけになりかねない。安倍首相がもっと右から非難される日も近いだろうと思う。

 もう一つは「象徴天皇制」の行方である。天皇制を残すためには、日本が戦力を保持したままでは不可能と踏んで、占領軍は「憲法9条」を「押し付けた」と考えられる。(よく「押し付け憲法」という人がいるが、押し付けられたのは憲法9条ではなく、憲法1条の方である。)そういう歴史的経緯を考えると、「憲法9条」=「東京裁判」(天皇ではなく軍部が悪い)=「象徴天皇制」=「日米安保条約」は一つのセットになっていたと理解するべきだろう。昭和天皇が戦犯合祀以来靖国神社参拝をやめたのも、こういう経緯を理解していて、天皇制維持の為だったのと思う。

 日本の歴史を見れば、「実質的な象徴天皇制」の時代の方が圧倒的に長い。そういう日本の歴史にフィットしていたから、戦後の発明である「象徴天皇制」も、いつの間にかなんだか「定着」したかに見える事態が生じてきた。そういう時代の中で、憲法9条「無力化」と靖国神社参拝(東京裁判否認)を実行した安倍首相は、「日米安保」と「象徴天皇制」はどうするつもりなんだろうか。恐らく、それは以下のようなものだろうと思う。「日米安保」は国連安保理が機能しない(中ロが拒否権を使うから、アメリカ軍に依存するしかない)という論理で、維持強化を図る。もっと言えば、アメリカを総司令官とする体制の中で「中国方面司令官」の位置を確保しようとする

 天皇制に関しては、象徴天皇制をやめ、もっと強化した「天皇元首制」にする。強化された軍事力の権威としては天皇以上に強い影響力を持つものはないからである。昨年の「国家主権回復の日」の最後に「天皇陛下万歳」の声が会場で沸き起こったとかいうのが、その先駆けだろう。ところで、天皇制のあり方は国民が決めることであるのは当然だけど、天皇が軍事に利用された明治以後の「大日本帝国憲法」の時代こそが、天皇制史上最大の危機を招き寄せたのである。天皇家の知恵はそのことを理解していて、天皇が軍事の象徴ではなく、平和の象徴である方が天皇制の維持にはふさわしいと思っているのではないかと思う。そのことが、一部の理解で「皇室が今や最大の護憲勢力」などと言う人がいる背景なのではないか。自民党の改憲案にあるように、安倍首相は明確に「反象徴天皇制論者」なのであって、今後ますますその側面を強めていくのではないかと思う。
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「集団的自衛権」容認をめぐって①

2014年07月02日 00時23分00秒 |  〃  (安倍政権論)
 「集団的自衛権」の問題は5月末に4回ほど書いて中途になっているんだけど、7月1日についに「限定容認」とか言って閣議決定になった。この問題はいろいろ書くべきことが多くて、書き始めると長くなって他のことが書けない。その割に思っほどの反響もないので、何だか書く気が失せていたんだけど、ニュースを見ていて書いておかないといけないと思うことがあり、2回ほど書こうと思う。(ほんとは第一次世界大戦百年の話を書きたいと思っていたのだが、それはこの次に。)

 もう安倍首相が何を考えているのか、全く判らないのである。湾岸戦争にもイラク戦争にも参加せず、「我が国の存立が脅かされ」「国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される」時だけに限定するというんだったら、「個別的自衛権」そのものではないのか。「個別的自衛権」で対応可能な範囲なんだったら、今までは「個別的自衛権の拡大」で処理してきたわけである。

 それをあえて「集団的自衛権」という言葉を使うから、多くの人が「今回の『限定』はアリの一穴であって、やがてもっと大きくするための準備」であり、やがてアメリカに強く言われたらどこでもくっ付いて自衛隊を出すんじゃないかと思うのである。そう思われるのは判っていて、何とか理由をつけて「集団的」という言葉を使いたがり、靖国神社にも参拝する。どう見ても自衛隊をどこかの戦場に出す日を想定しているのではないか。僕もそう判断しているのである。

 ニュースを見てたら、賛成という人がいてビックリした。中国当局の船が尖閣諸島近辺に毎日のように来ている、そういう情勢を見ると集団的自衛権容認に賛成だという人がいた。おいおい、日本人の論理的思考力は大丈夫だろうか。僕には意味が分からないのだが、あえて想像してみると「中国が尖閣諸島を占拠したりしたら、米軍に日米安保条約の条文通りに助けに来てもらわないといけないから、日本もアメリカの言うとおり湾岸戦争でもイラク戦争でも助力しますと言っておく必要がある」ということだろうか。そうだとすると、安倍首相の「限定」はなくさないといけない。そう言うべきだろう。でも僕には、尖閣は個別的自衛権そのものの問題なんだから、何で集団的自衛権を持ち出すのか意味が判らないのである。

 そうすると「集団的自衛権」というのは、自国以外の戦争に軍隊を送ることだということが判っていないという可能性もある。あるいは、とにかく「アメリカに恩を売る」ということが大好きな「買弁的性格」なのかもしれない。日本の自衛隊というのは、「専守防衛」だったはずだが、他国の問題に口を突っ込めるほど強いのか。もし日本が「集団的自衛権行使」ができるんだったら、日米安全保障条約はいらない、ということになるはずだと思うけど違うだろうか。

 それにしても、これほど大きな憲法解釈変更を国会論議ゼロで決めるというのも、あまりにもバカにした話だ。例えば「残業代ゼロ」問題も、そういう問題を議論する場に労働者代表が誰もいない。連合から一人くらい出ていても実質の意味はないのは確かである。それは法務省の「可視化」論議で、弁護士会や「有識者」が少し入っていても大勢を覆せなかったのを見れば明らかである。でも、今までは「多少は意見を聞いたふり」をするものだったのである。今の安倍内閣は、「もう面倒くさいから、自分たちだけで決めるから」とタテマエとしての平等性をも放棄している。

 「自分たちは選挙で信任を受けている」という発言こそが一番の大問題だったと今にして思う。だから憲法解釈を変えられるんだったら、憲法は時の内閣で変更可能な「単なる法律」と同じである。法律は衆参で多数を取れば変えられるが、国家の最高法規である憲法は変えられない。そこに憲法の価値があったわけだけど、これでは憲法の価値はないに等しい。それが目標なんだろうけど。もし安倍首相の言うようなことがある程度理解できるとしたら、「憲法解釈の変更」を主要な争点にして選挙に勝利した内閣のばあいだけではないだろうか。そういうことを言わずに、選挙で圧勝したら何でもできるというようなやり方は国民を分断する。もうそうなっている。日本全体が大阪みたいな感じになりつつある。

 この問題については、「公明党ガンバレ」という人もけっこういたけど、その公明党は「政策の違いで連立離脱はしない」と最初から言っているんだから、いつか合意するのである。総てのプロセスが全部シナリオ通りだったとまでは言わないが、「国会中の合意を目指す」と安倍首相が急がせ、それに対し公明党が「抵抗」して7月まで引っ張り、「限りなく限定をつけさせたという決着」は誰が見ても「シナリオ通り」だろう。政策が一致するから連立に入るはずなんだけど、政策が違うのに何で連立してるんだろうか。これが「オトナの対応」というヤツで、普天間問題で連立を抜けた社民党や消費税対応で分裂した民主党の方がおかしいということなのだろうか。僕には全く判らない話である。
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