「経済的徴兵制」(economic conscription)という言葉を初めて知ったのは、(多分同じ人もたくさんいると思うけど)堤未果「ルポ 貧困大国アメリカ」(岩波新書、2008)を読んだときだった。そこには驚くべき事実がたくさん出てくるが、アメリカで貧しい若者たちが軍隊にリクルートされていく様は非常に印象的である。今では、国家権力は「赤紙なしの召集」を出来るし、目指しているのである。特に「落ちこぼれゼロ法」にはビックリする。こんな名前の法律がホントにあるのかと疑問に思うが、「No Child Left Behind」法と言うそうだから、確かに「落ちこぼれゼロ法」は正しい翻訳なのである。
この法律はブッシュ政権初期の2002年~2003年度に実施されたもので、「落ちこぼれゼロ」というけど、子どもたちの学習を支援しようという法律ではない。学校と教師に、果てしなき試験と競争を強いて、成果の上がらない学校にはペナルティを与えるのである。(例えば、成果の上がらない学校の生徒は、成果の上がった学区内の他の学校に転校する権利がある。そのための交通費は無料となる。学区側は定員オーバーを理由に転校を拒否することはできない…などと規定されている。)
そして、この法律には以下のようなすごい条項もあるのである。
「米国軍は、リクルート目的のために高校生徒の名前、住所、および電話番号のリストを取得する権利を有している。大学やビジネス上のリクルーターも同様でなければならない。準拠しない学校は、連邦の補助を受けられない可能性がある。」
高校は軍隊に対して、生徒の個人情報を提供しないと、連邦補助金を受けられない。もっとも、保護者は拒否する権利を有しているということだが、学校には拒否権はない。こうして、米軍は直接に「成績の良い貧困生徒」に対して、軍隊に入れば奨学金を得て大学へ進学したり、最新の技術を修得したりできると伝えてリクルートできるのである。
もちろん、世界中の貧しい若者にとって、軍隊に入るということはいつも有力な「生きる手段」だった。それが「立身出世」につながった例も多い。日本でも、自衛隊創設当初も「農村の次三男対策」などと言われたものである。(もっとも高度経済成長が始まると、農村の余剰人口は都市の第二次、第三次産業に吸収されていくが。)日中戦争時代の帝国陸軍に材を取った、棟田博原作、野村芳太郎監督「拝啓天皇陛下様」という映画がある。渥美清演じる主人公は読書きも不自由で、軍隊の方が生きやすい。そんな話はフィクションかと思うと、中国でB級戦犯に問われた元憲兵にインタビューした「聞き書き ある憲兵の記録」(朝日文庫)に登場する土屋芳雄は、実家が貧しくて軍隊の食事の方が良かったと証言している。だから猛勉強して憲兵にまでなる。そういう人が現実にいたのである。
今の日本ではそこまでの事態は起こらないと言われるかもしれない。だが、マスコミの取材に応じた自衛官が、任官の理由は奨学金返済のため(または理由の一つ)と答えることは多くなっている。今では大学生はかなりの割合で高額の奨学金を背負っている。大学進学を諦めるという高校生も多いだろうが、「自衛隊がお金を出してくれる」としたら飛びつく人も多いのではないか。また、外国で活動するために必要な、英語力や専門的な土木、建設、情報等の技術を持つ大学卒業者は、今のような「売り手市場」とも言われる好景気の時期には、普通なら大企業に取られてしまう。奨学金返済に有利、あるいは自衛隊が奨学金を出すというようなやり方が広がっていくのではないだろうか。
「経済的徴兵制」を安倍政権は目指しているのだろうか、などと真正面から問いただしてもムダである。大体、無知であることを恥ずかしく思わないような人々だから、「経済的徴兵制って、何のことですか?」などと言うに違いない。(それって昔からある概念ですか?という人もいるかもしれないけど、ウィキペディアを見ると、第一次世界大戦時には存在していた言葉のようである。)しかし、安倍政権が「世界で一番企業が活動しやすい国」を目標にしていることは、自分で言っている。一方、競争的教育政策を推進していることも間違いない。だから、何も直接的に目指さなくても、格差が拡大する一方で、借金を背負う若者が増えていくに決まってるから、自然に「経済的徴兵制」になっていくのである。
そこで、学校の教員は抵抗できるだろうか。戦後の教員労働運動は「教え子をふたたび戦場に送らない」を合言葉に国民的共感を得ていた時代がある。しかし、もはや組合組織率は3割程度しかない。それなのに、何かに付けて「教員組合による偏向教育」を持ち出す人々がいつまでもいるのだろうか。例えば、最近問題になっている自民党の武藤貴也議員の発言でも、「戦後教育」が悪いんだと言っている。国民の平和感情に基礎を置く、戦後教育の「平和主義」の内実も試されているのだと思う。
今の状況では、学校が自衛隊に直接に生徒情報を伝えるなどという法律は、日本では作れないだろう。だけど、自衛隊に違和感を持たないような教師も増えている。横浜市では、「予備自衛官」の中学教師が夏休みの社会科学習として、陸上自衛隊の「富士総合火力演習」に参加する生徒を募集するといった事態が起きている。(ちなみに、この教師は参加申し込みのプリントに、育鵬社の公民教科書を引用して「平和主義の学習」としているらしい。横浜では5日に、ふたたび育鵬社の教科書を採択した。)昨年も陸自を見学し、横須賀の海上自衛隊に行った年もあるという。予備自衛官というのは、昔の「予備役」と同じようなもので、「非常勤の防衛省職員」で、手当も出るという。そんな教師が社会科を教える時代になっているのである。
この法律はブッシュ政権初期の2002年~2003年度に実施されたもので、「落ちこぼれゼロ」というけど、子どもたちの学習を支援しようという法律ではない。学校と教師に、果てしなき試験と競争を強いて、成果の上がらない学校にはペナルティを与えるのである。(例えば、成果の上がらない学校の生徒は、成果の上がった学区内の他の学校に転校する権利がある。そのための交通費は無料となる。学区側は定員オーバーを理由に転校を拒否することはできない…などと規定されている。)
そして、この法律には以下のようなすごい条項もあるのである。
「米国軍は、リクルート目的のために高校生徒の名前、住所、および電話番号のリストを取得する権利を有している。大学やビジネス上のリクルーターも同様でなければならない。準拠しない学校は、連邦の補助を受けられない可能性がある。」
高校は軍隊に対して、生徒の個人情報を提供しないと、連邦補助金を受けられない。もっとも、保護者は拒否する権利を有しているということだが、学校には拒否権はない。こうして、米軍は直接に「成績の良い貧困生徒」に対して、軍隊に入れば奨学金を得て大学へ進学したり、最新の技術を修得したりできると伝えてリクルートできるのである。
もちろん、世界中の貧しい若者にとって、軍隊に入るということはいつも有力な「生きる手段」だった。それが「立身出世」につながった例も多い。日本でも、自衛隊創設当初も「農村の次三男対策」などと言われたものである。(もっとも高度経済成長が始まると、農村の余剰人口は都市の第二次、第三次産業に吸収されていくが。)日中戦争時代の帝国陸軍に材を取った、棟田博原作、野村芳太郎監督「拝啓天皇陛下様」という映画がある。渥美清演じる主人公は読書きも不自由で、軍隊の方が生きやすい。そんな話はフィクションかと思うと、中国でB級戦犯に問われた元憲兵にインタビューした「聞き書き ある憲兵の記録」(朝日文庫)に登場する土屋芳雄は、実家が貧しくて軍隊の食事の方が良かったと証言している。だから猛勉強して憲兵にまでなる。そういう人が現実にいたのである。
今の日本ではそこまでの事態は起こらないと言われるかもしれない。だが、マスコミの取材に応じた自衛官が、任官の理由は奨学金返済のため(または理由の一つ)と答えることは多くなっている。今では大学生はかなりの割合で高額の奨学金を背負っている。大学進学を諦めるという高校生も多いだろうが、「自衛隊がお金を出してくれる」としたら飛びつく人も多いのではないか。また、外国で活動するために必要な、英語力や専門的な土木、建設、情報等の技術を持つ大学卒業者は、今のような「売り手市場」とも言われる好景気の時期には、普通なら大企業に取られてしまう。奨学金返済に有利、あるいは自衛隊が奨学金を出すというようなやり方が広がっていくのではないだろうか。
「経済的徴兵制」を安倍政権は目指しているのだろうか、などと真正面から問いただしてもムダである。大体、無知であることを恥ずかしく思わないような人々だから、「経済的徴兵制って、何のことですか?」などと言うに違いない。(それって昔からある概念ですか?という人もいるかもしれないけど、ウィキペディアを見ると、第一次世界大戦時には存在していた言葉のようである。)しかし、安倍政権が「世界で一番企業が活動しやすい国」を目標にしていることは、自分で言っている。一方、競争的教育政策を推進していることも間違いない。だから、何も直接的に目指さなくても、格差が拡大する一方で、借金を背負う若者が増えていくに決まってるから、自然に「経済的徴兵制」になっていくのである。
そこで、学校の教員は抵抗できるだろうか。戦後の教員労働運動は「教え子をふたたび戦場に送らない」を合言葉に国民的共感を得ていた時代がある。しかし、もはや組合組織率は3割程度しかない。それなのに、何かに付けて「教員組合による偏向教育」を持ち出す人々がいつまでもいるのだろうか。例えば、最近問題になっている自民党の武藤貴也議員の発言でも、「戦後教育」が悪いんだと言っている。国民の平和感情に基礎を置く、戦後教育の「平和主義」の内実も試されているのだと思う。
今の状況では、学校が自衛隊に直接に生徒情報を伝えるなどという法律は、日本では作れないだろう。だけど、自衛隊に違和感を持たないような教師も増えている。横浜市では、「予備自衛官」の中学教師が夏休みの社会科学習として、陸上自衛隊の「富士総合火力演習」に参加する生徒を募集するといった事態が起きている。(ちなみに、この教師は参加申し込みのプリントに、育鵬社の公民教科書を引用して「平和主義の学習」としているらしい。横浜では5日に、ふたたび育鵬社の教科書を採択した。)昨年も陸自を見学し、横須賀の海上自衛隊に行った年もあるという。予備自衛官というのは、昔の「予備役」と同じようなもので、「非常勤の防衛省職員」で、手当も出るという。そんな教師が社会科を教える時代になっているのである。