尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

素晴らしき『パタゴニア』ーブルース・チャトウィンを読む①

2022年06月13日 23時13分52秒 | 〃 (外国文学)
 6月に入ってからは、ブルース・チャトウィン(Charles Bruce Chatwin、1940~1989)をずっと読んでいる。岩波ホールの最後の作品、ヴェルナー・ヘルツォーク監督『歩いて見た世界 ブルース・チャトウィンの足跡』という映画の上映が始まった。ところで岩波ホールやヘルツォークなら語れるけど、映画の対象のブルース・チャトウィンを知らない。というか、名前は知っていて、本も一冊持っているけど、読んでない。そこで河出文庫から2017年に刊行された『パタゴニア』を読んでみたのである。
(『パタゴニア』)
 いや、これが素晴らしく面白かった。ただし、内容についてはちょっと誤解していた。パタゴニアといったら、荒涼たる風景が延々と続く人跡未踏の地みたいなイメージがあって、そういう場所の探検紀行かと思い込んでいた。だからアルプスやヒマラヤの登山記みたいな本だと思っていたのである。しかし、そのイメージがそもそも全然違った。今「パタゴニア」を検索すると、アメリカ発のアウトドア用品がずらっと出て来て、南米のパタゴニアまで行き着くのも大変だ。何とか探し当てると、南アメリカ大陸の南緯40°付近を流れるアルゼンチンのコロラド川以南の土地を呼ぶと出ている。アルゼンチンだけでなく、チリも含まれる。
(パタゴニアの位置)
 そもそもチャトウィンがパタゴニアに憧れたのは、幼い頃の思い出によるのである。祖母のいとこが彼の地に赴いて、太古の恐竜プロントサウルスの皮を送ってきたのである。その皮を見て触って、自慢したくて学校で話したら、先生から恐竜は爬虫類だから、そんな獣のような皮ではないと一蹴されてしまった。今ではその皮はオオナマケモノという絶滅した生物のものだとされているようだ。乾燥した気候で大昔の動物の皮が残された。しかし、恐竜であれオオナマケモノであれ、パタゴニアの未知の大自然の中でまだ生存しているんだと探検に訪れるものが多かった。一族の過去をたどるということではなく、天性の放浪者(ノマド)を自認してチャトウィンは、様々な人生行路を経てパタゴニアに行き着いた。
(パタゴニア風景)
 パタゴニアには誰も住んでいないのかと思うと、実はそこにはスコットランドウェールズからの移住者がたくさん住んでいた。宗教的背景からアルゼンチンに逃れてきた人々がいっぱいいたのである。それらの人々の子孫を訪ね歩き、数多くのドラマを書き記す。20世紀になると、パタゴニアにある羊牧場や食肉工場には、多くの社会主義者やアナーキストがやってきた。大ストライキがあり、大弾圧があった。それらのドラマもまたパタゴニアで起こったことである。チャトウィンの旅は70年代半ばのことで、すでにチリではアジェンデ政権がクーデタで倒れて軍事政権になっていた時代である。

 またブッチ・キャシディサンダンス・キッドもパタゴニアに逃げてきた。アメリカの大盗賊である。僕らの世代にはポール・ニューマン、ロバート・レッドフォードが主演した『明日に向かって撃て!』で名高い。映画では確かボリビアに逃げたことになっているが、その前にパタゴニアにいたらしい。このように多彩な人々が登場するのだが、次第に歴史の中を訪ね歩くようになる。もともとパタゴニアとは、かつてマゼランなどの大航海時代に、ここに「パタゴン」族が住んでいたとことから付けられた。パタゴンとは「巨大な足」という意味らしい。すでに絶滅した先住民は別に特に大きかったわけではないという。
(フエゴ島最大の都市ウシュアイア)
 一番南にあるフエゴ諸島など、寒くて誰も住んでいないような気がしていた。しかし、アルゼンチン側最大都市のウシュアイアを調べると、南緯54°にあるこの町は夏の最高気温は29度に達している。南半球だから、夏とは12月や1月である。もちろん平均気温はずっと低いが、それでも冬でも平均気温は氷点下より高い。北半球で同程度の緯度のカムチャツカ半島などよりずっと暖かいのである。まあ暖かいと言っても、もちろん寒いけれど、それでも人が住むには十分だし産業もある。そこには歴史があり、ドラマがあった。自然誌というより、思ったよりは歴史をめぐる紀行だった。
(ブルース・チャトウィン)
 しかし、歴史紀行だから面白いのではない。やはり、これは紀行文学であって、詩的な文体が素晴らしいのである。風、雨、花、大地…チャトウィンの手に掛かると、その場にいるがごとくに感じられる。池澤夏樹が評するように、「冒険から一歩だけ文学の方に歩み寄り」成立した、他の誰にも書けない世界なのである。そこには人がいて、歴史とドラマがあったが、やはり「不毛の地」というに近い。そこで見つめる内面の旅こそが真の紀行というべきか。最初が取っつきにくいが、次第にその世界に入り込んで出られなくなる。そんな本だった。一度頑張って読んでみるに値する20世紀の傑作。
(『パタゴニアふたたび』)
 なお、ブルース・チャトウィン、ポール・セルー共著の『パタゴニアふたたび』(白水社)という本もある。ポール・セルーはアメリカ人には珍しい鉄道マニアで、ヨーロッパからアジアで鉄道で旅して『鉄道大バザール』を書いた人である。その前にボストンから鉄道だけでパタゴニアまで南北アメリカ大陸を縦断しようと思いついて実行した。その後何十年か経って、再びヨーロッパから日本まで旅して、日本では村上春樹にあったりした。その時の旅をもとにした『ゴースト・トレインは東の星へ』という本もある。そのことは「ポール・セローのユーラシア大陸鉄道大冒険」という記事を10年前に書いた。二人の共著だから、さぞ面白いかと思うと、実際に訪れて書いたのではなく、歴史を中心に本の世界を語った本なので、案外面白くなかった。一応紹介しておくけど。
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中野慶『岩波書店取材日記』を読むー「戦後の理想」はどう移り変わったか

2022年06月12日 22時31分49秒 | 本 (日本文学)
 中野慶岩波書店取材日記』(かもがわ出版)という本の紹介。東京新聞(2月26日)に紹介されていたが、知らない人が多いだろう。実はその前に著者本人から贈って頂いていたのだが、読むのが遅れてしまった。5月末に読んだが、なかなか感想が書きにくい本だ。「リアルすぎるユーモア小説です」と帯にある。しかし、そのユーモアに付いて行くにも、ある程度の知的素養が要りそうだ。何しろ「岩波書店」と明記して、その内部の様々な出来事を書いている本なのである。著者は中野慶名義だけど、以前書いた「大塚茂樹「原爆にも部落差別にも負けなかった人びと」を読む」と同じ人である。
(『岩波書店訪問日記』)
 題名に反して、なかなか岩波書店を訪れない。プロローグが38頁もあるのである。そこでは大学を卒業して、「中小企業家をサポートする」コンサルタント会社「GKⅢ」に勤めることになった芳岡美春という女性の事情が語られる。この芳岡という若い女性は鳥取出身で、歴史好きの父親が突然事故で亡くなる。その後、父からかつて教えられた川崎市高津区にある円筒分水を訪れる。それは何だろう? 実は聞いたこともなかったのだが、国の登録文化財になっている。調べてみると日本各地にあって、サイフォンの原理を利用して農業用水を必要な村に分配する仕組みだった。これが本書のテーマと絡んでいると後で思い当たった。
(川崎の円筒分水)
 岩波書店は1913年に岩波茂雄が開いた古書店に始まり、1914年に夏目漱石こゝろ』を刊行して出版業に進出した。その後、1927年に岩波文庫、1938年に岩波新書の刊行が始まり、日本の知的世界の牽引者となった。この年数はウィキペディアで見たが、そこには従業員数も出ていて、200名とある。他の会社を見てみたら、講談社は920名、小学館は692名、集英社は760名とあった。新潮社や文藝春秋は300人台で、岩波はずいぶん少ないんだなと思った。

 一番知られた国語辞書の『広辞苑』や児童書(リンドグレーンの本やエンデの『モモ』など)もあるから、何か岩波の本を持ってる人は多いだろう。でも、日々減り続ける町の本屋では、岩波新書や岩波文庫をあまり見ない。岩波書店の本は「買い取り制」だからである。多くの出版社の本は取次会社を通した「委託・返品」で、基本的には本屋は展示場と同じである。町の小書店では売れない場合に返品できない岩波の本を扱わない(扱えない)ところが多い。僕は時々大型書店に寄って、各文庫、新書をチェックしているが、そうでもしないと岩波新書新刊を見ないで終わってしまう。(実際に手に取らずにネットで買うことは原則としてしない。)
(岩波書店)
 さて、先の芳岡美春という女性は、何故かその後岩波書店に何回か通って「研修」することになる。なんだかこの辺の成り行きが今ひとつ判らなかったのだが、最後になってやはり事情があったと判明する。その「研修」には上司の国友、先輩である直島尚美(「皇室ファン」を自認し、折々暴走するこの人物が絶品で爆笑)が同行するときもある。岩波書店では専務や「卓越編集者」、「組合のエース」らと会ってゆくのだが、そこで見たのはイマドキ珍しい労使関係だった。毎月「経営協議会」が開かれ、経営方針や人事を組合側に報告して同意を得るのである。

 再び帯を引用すると「吉野源三郎の志を受け継ぎ、理想職場をめざした人々の葛藤と」である。「平等」をめざし、学歴などにとらわれない賃金体系を取ることで、労働時間や各職場の特性を考慮しない弊害も生む。良書を作ろうと深夜まで働いても残業代が出なかった。しかし、それをきちんとするために労働時間の縛りがきつくなることを嫌がって改革が遅れたという。これは学校の働き方の弊害の議論と共通性がある。出版不況の中で、90年代には年間700点も刊行されたため、労働時間の超過が激しくなった。今は残業代も支払われるようになったが、反面で勤務時間の管理も厳しくなったという。

 学校でももともと「教員の人材確保法」だったはずの「給特法」が、「定額働かせ放題」と言われるようになった。昔は行事や生徒指導で遅くまで残ったとしても、その代わり勤務時間の縛りも緩かった。部活動は大変には違いないが、若い教員が毎年のように新規採用されていたので、何とか回っていたのである。教員労働のあり方が変えられてしまうと同時に、新採教員が少なくなり現場の負担が増大してしまう。岩波の話なんだけど、結局自分は学校の問題としてしか語れないなあと思った。
(中野慶氏)
 「理想の職場」の戦後史とともに、登場人物のあれこれがユーモラスに語られる。国友の自宅を訪れて魚料理をする場面など実に美味そう。そこをもっと大きく取り上げた本も期待したいところ。この本でも女性二人の造形が見事で、面白く読むことが出来る。しかし、ベースは岩波書店を通した「戦後の理想の変遷(崩壊?)過程の考察」だろう。実に多くの人名が登場し、若い人には何の感慨も生まない名前もあるだろう。(戸村一作はその一例。)その知の饗宴のごとき人名の中に、自分のこだわりと関わる人が出て来るかで、この本の印象も変わると思う。僕は128頁で斎藤茂男氏に触れられ、次の頁に本田路津子一人の手」が出て来たところで、いろいろと思い出してしまった。

 最近本田路津子(読み方が判らない人がいると思うけど、「るつこ」である)の「秋でもないのに」を急に口ずさんでいた。連休後に暑くなったり寒くなったり…。秋でもないのに寂しいのは今頃かとハタと気付いたのである。斎藤茂男さんは共同通信の記者として50年代の冤罪「菅生事件」の真犯人(共産党員が起こしたとされた爆弾事件の犯人は実は警察官だった!)を見つけた人だが、後に多くの労働現場のルポを書いた。他にも様々な分野に関心を持っていた人なので、1997年に「らい予防法廃止一周年記念集会」というのを開いた時に、僕が連絡してシンポジウムのメンバーとして出て貰った。

 そういうことを熟々(つらつら)思い出して読んだのだが、前に書いたことがあるが僕の高校時代の卒業記念品は「岩波新書の一冊」だった。担任団の教員が一冊ずつ選び、生徒会が早乙女勝元東京第空襲」を加えて、9冊の中から一つ選ぶ。岩波新書が「知の標準」としてまだ生きていたのである。その後、70年代後半には「韓国からの通信」を読むために岩波の雑誌「世界」を毎号買っていた時代がある。見田宗介さんの本もずいぶん岩波で読んだ(『宮沢賢治』『時間の比較社会学』などの他、著作集が岩波)。

 「岩波教養主義」と批判的に呼ばれたものを語りたい気もあるが、今はいいだろう。僕は岩波書店の本をずいぶん読んできたが、その会社の内実など何も知らないし、気にしたこともなかった。「ユーモア小説」と言うんだから、気楽に読めばいいとも思うけど、そう気楽にもなれないのがやはり「岩波」という感じがする。そう思う人には面白いと思うから一読をお勧め。なお、著者は岩波書店に1987年から2014年まで勤務した。自分の会社を書けるのはいろんな意味で凄いというか素晴らしい。僕は学校を舞台に小説は書けない。面白いエピソードは山のようにあるけど、墓の中まで持っていく「守秘義務」になるだろうな。
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会期末の不信任案提出は「茶番劇」なのか

2022年06月10日 22時46分38秒 | 政治
 通常国会も会期末が近づき、もうすぐ参議院選挙である。しばらく政治の話題も書いてないが、内閣も提出法案を絞り「対決法案」はほとんどない。「子ども庁は要らない」ということを以前書いたけれど、「子ども」どころか「家庭」が加わって「子ども家庭庁」なんてものが出来そうである。行革などと言ってる割に、「デジタル庁」とか新しい組織を作って「やってる感」を出すのが好きなのは困る。今の日本では、ウクライナ戦争、円安が続く中、燃料や食品の値上げが相次いでいる。それにどう対処するべきか、本格的な政策論議を期待したいところだが、なんだか「やむを得ない」みたいなムードで選挙に突入しそうだ。

 会期末になって、立憲民主党が内閣不信任案を提出した。同時に細田衆議院議長の不信任案も提出して、どちらも簡単に否決されて終わった。細田議長は選挙区割りの問題で法律を逸脱する発言をしたりしていたが、その後「週刊文春」に「セクハラ疑惑」が報道された。それに対しては会期終了後の「法的措置」を取るなどと言ってるが、国会での説明を拒否している。週刊誌報道で不信任はどうかという意見もあるが、どうにも不誠実な感じはしてしまう。ここでは内閣不信任案の話を中心に書くので、議長の問題はこれ以上書かないが、なんだか不可解なままである。
(内閣不信任案を否決)
 内閣不信任案はあっという間に否決されてしまった。賛成106、反対346だった。細田議長の不信任案に対しては、賛成105、反対288だったので、賛成票(立民、共産、社民)はほぼ同数だが、反対票に大きな違いがある。これは日本維新の会、国民民主党が「棄権」したことによる。セクハラ問題を抱えた議長の不信任案には反対しづらいということだろう。それに対し、この両党は内閣不信任案にはっきりと「反対票」を投じたのである。(「れいわ新選組」は両案に棄権。)
(不信任案に対する各党の対応)
 ここで考えてみたいのは、会期末に提出される「内閣不信任案」は「茶番」なのかということである。この言葉を使って立憲民主党を批判しているのは、「れいわ新選組」の高井崇志幹事長である。維新、国民の2党も似たようなことを言っている。各党の批判を見る前に、そもそも「茶番」とは何だろうか。僕もちゃんと知らなかったので、まずそっちを調べてみた。

 そうしたら、「茶番」とは「お茶くみ当番」のことだと出ていて驚いた。Web版の「実用日本語表現辞典」には「かつての芝居小屋では、下働きの役者見習いが茶番をしたが、その茶番らが暇を見つけて余興演芸に興じるようになり、その即興の芝居を茶番というようになった。これが転じて「見え透いた下手くそな」「ばかばかしい」行動を指すことになった」と出ていた。いや、知らなかったな。「結果が決まってるようなバカバカしいこと」を茶番劇というのは知ってても語源は知らない人が多いと思う。

 さて各党の対応だが、問題の3党だけを紹介したい。典拠はNHKニュースのウェブサイト。まず日本維新の会馬場共同代表。「国会の会期末が来れば内閣不信任案を出すということが続いていて、提出した立憲民主党はもっともらしいことを言っているが、そこに本当に緊張感があるのか。今後は政策や法案の議論を積み重ねるなど、国家国民のためになる政治に時間を使うべきで、猛省を促したい。」国民民主党玉木代表は「国内が非常に厳しい状況にある中で、政治空白を作ることは国民のためにならないということで反対した。立憲民主党の会派だけの提出になったのは、野党の中でも思いが一致していなかったということだろう。」

 れいわ新選組高井幹事長は「野党第一党がこの国会、本気で戦ってきたのか、不信任案提出に値するのかということは厳しく問いたい。参議院選挙前に、やっている感を出すためだけの茶番に付き合うことはできず、棄権した。」維新の会もそうだけど、れいわ新選組も高井幹事長が岸田内閣を批判している。「国民生活を苦しめ、25年にわたるデフレが続き、コロナ大不況の中で、国民生活を全く顧みていない今の政権を、断じて続けさせるわけにはいかない。岸田内閣も細田議長も信任には値しない。」だったら常識的に考えて、不信任案に賛成するはずだと思うけど。

 内閣不信任案は与党が分裂しない限り、否決されるに決まっている。では内閣不信任案を出すのは「茶番」なのだろうか。実は国民民主党、れいわ新選組を含む野党5党は、8日に選択的夫婦別姓を導入する民法改正案などジェンダー関連3法(他は「性的少数者の差別を禁じる法案」「性暴力被害者支援法案」)を衆議院に提出している。もちろん会期末に議員立法を提出しても、成立の見通しは全くない。それどころか審議さえ行われず廃案になるだろう。そういう法案を何故出すのか。こっちは「茶番」ではないのか。僕はこの法案が成立しないとしても、国会に提出する意味はあると思っている。(過去の国会でも出して来ている。)参院選を前にして、自らの政策を有権者に示すのは投票先を決める時に役立つからだ。

 そもそも「茶番」というなら、野党が国会審議に参加しても、結局は与党が多数で決定してしまう。結果が決まってるから「茶番」だというなら、野党の自己否定にならないか。選挙で自民党が圧倒的に強い選挙区では、野党支持者や無党派は選挙に行かなくても良いのか。落ちる確率が高い大学を受験してはいけないのか。レギュラーになれそうもない技量の持ち主は強い部活に入部してはいけないのか。なんて、話がどんどん広がっていく。大体、人間は全員死んでしまうわけだから、じゃあ頑張って生きる意味はあるのかということにもなってしまう。

 国民民主党に関しては、補正予算どころか、本予算にも賛成した。従って、当然の成り行きで不信任案にも反対したというべきだろう。「気分はもう与党」である。昔存在した「自公民」(自民・公明・民社)の枠組に戻っていると言うべきだ。だからダメというのではなく、良いか悪いかはそれぞれ有権者の判断である。不信任案を提出したことで、その事がはっきりしたわけで、有権者に判断の材料が与えられたというべきだ。「日本維新の会」はあれこれ言ってるけど、もともと「準与党」なんだから、いざという時に自民党に肩入れするのが役割の「体制内野党」だと考えている。中国やロシアに存在するような政党のあり方である。

 訳が判らないのは「れいわ新選組」。立憲民主党を批判するのは良い。僕も今国会での立憲民主党のあり方にはどうかと思う点が多い。しかし、内閣不信任案というのは、立憲民主党に対する不信任案ではない。岸田内閣を良いとするなら「反対」、岸田内閣を代えるべきと思うなら「賛成」すべきものだ。野党は小なりと言えど、いつかは自民党に代わって政権を担いたいと思って参院選に臨むのなら、当然「不信任案」に賛成するべきだろう。「れいわ新選組」はロシア非難決議案にも棄権している。独自の主張をするのはいいけれど、「賛成」か「反対」か国民に二択が迫られたときに、答えを示さない政党ではおかしい。
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映画『ドンバス』、見るもののリテラシーが試される

2022年06月09日 22時27分26秒 |  〃  (新作外国映画)
 ウクライナの映画監督セルゲイ・ロスニツァ(1964~)の『ドンバス』(2018)が日本で「緊急公開」された。この映画は2014年にウクライナから一方的に独立を宣言した「ドネツク人民共和国」を舞台に、13のエピソードで語られた作品である。統一的なストーリーはなく、事態をよく知らない人には映画の中身がよく理解出来ないのではないか。しかし、2022年になって、この地域で起こっていることは世界的な関心事になった。だからこそ「今見るべき作品」として「緊急公開」されたわけだが、見るものの映像リテラシー(読解力)が試される映画とも言えるだろう。

 セルゲイ・ロスニツァは21世紀になって、様々な映画祭で受賞するなど注目されていたらしい。ドキュメンタリーと劇映画をともに作っていて、日本では近年『アウステルリッツ」『粛清裁判』『国葬』という3本のドキュメンタリーが公開された。しかし、劇映画の上映は初めてである。2018年のカンヌ映画祭「ある視点」部門監督賞を受賞している。「ある視点」部門は本選(コンペティション)に次ぐ「独自の作品」を対象にしていて、この年の審査員長はベニチオ・デル・トロだった。『ボーダー 二つの世界』というスウェーデン作品がグランプリ、他にビー・ガン監督『ロングデイズ・ジャーニー この夜の涯てへ』などがあった。
(ウクライナ地図=2014~2021)
 一番最初は劇団員がメイクしているシーンである。彼ら彼女らはその後「地元住民」としてテレビで証言する。ロシアが解放してくれたなどとしゃべるわけである。「クライシス・シアター」とホームページでは呼んでいる。つまり、ロシアが流しているニュースは「フェイクニュース」だということになる。ただし、そこで注意すべきことは、「ドネツク人民共和国」で自由なロケが出来るわけがないことである。まるで記録映画のように撮られているが、もちろん場所はウクライナ側で、ウクライナの俳優が演じている「劇映画」のはずである。では、この映画こそウクライナ側のフェイクニュースなのか。恐らく違うだろう。ロシアだけでなく、「占領軍」の情報は疑って掛かる必要がある。ロシアによる「地元市民のねつ造」はあるんだと思う。
(偽りのインタビュー)
 ここで使われたエピソードは全く自由に創造されたものではない。SNS等に挙げられた数多くの動画の中から取捨選択して作ったということらしい。西側のジャーナリストが取材に来て、司令官は誰かと聞く。アイツだ、アイツだと皆が言い合うシーンがある。兵士たちがジョークで遊んでいるように見えるけれど、このエピソードが意味するところは違うだろう。多くの戦争報道では司令官ははっきりしているし、自分から名乗り出るものだろう。ここで示唆されていることは、「ドネツク人民共和国」といっても、実は「ロシア軍が指揮している」ということなんだと思う。そのことは外部には明かさないことになっていて、指揮系統は部外秘なんだろうと思って僕は見ていた。しかし、他の見方もあるのかもしれない。

 また「捕虜」を木に縛り付けて、皆でいたぶって「公開制裁」を加えるシーンがある。「捕虜」は自分は調理担当で、武器は取っていないと弁明するが、それでも「ウクライナに殺された」側の住民は激高して許さない。初めはただ若者たちがいたぶっていただけという感じだが、次第に多くの大人が集まってくる。そして、リンチを加えてしまう。こういうのは恐らくSNSにアップされた動画があるんだと思う。どっちの側であれ、一度殺し合いを始めてしまうと感情面のつながりは完全に消えてしまうのである。
(「捕虜」の公開制裁)
 この映画を見ると、「独立派」(つまり親ロシア派)は完全に「ロシア」である。「ノヴォロシア」と自ら言っている(というシナリオ)で、「ファシスト」から郷土を守ると言っている。ドイツのジャーナリストが取材に来ると、「ファシストが来た」とはやし立てる。いや、自分はファシストじゃないと弁明するが、戦後ドイツの歩みを知らないのか。もちろん知っていて言ってるのだろう。つまり、ウクライナ側を「ファシスト」「ネオナチ」と罵声を浴びせているのは、単なる「記号的悪罵」であることがよく判る。日本でもロシア側の主張を真に受けて、ウクライナはネオナチが支配していたかのように論じる人がいるが、せめてクルコフ『ウクライナ日記』を読んで、『ドンバス』を見て論じるべきだろう。
(セルゲイ・ロスニツァ監督)
 ロスニツァ監督はウクライナ侵攻後に激しくプーチンを非難しつつ、ロシア全般を否定してはいけないとも言っているらしい。その結果、ロシア側から非難されると同時に、ウクライナ映画界からも非難されている。そのような立場を考えてみても、この「ドンバス」という映画はロシアの侵略を批判する文脈で製作されたのは明らかだ。しかし、ここまで相手側を生き生きと描き出せるのは驚きだ。ここまでこじれてしまうと、もう元に戻れないのではと思ってしまう。映画ではどうしても「支配者」(ロシア)に従う人が出て来るので、「黙っている人々」が何を思っているのかはよく判らない。

 ロスニツァにはまだまだ未公開の映画がたくさんある。もしかしたら外国の動画サイトにあるかもしれないが、そこまで探す気はない。2014年の「マイダン」という記録映画はぜひ見てみたい。「ウクライナ情勢」という問題意識抜きでは見られない映画だが、関心のある向きには必見。ミニシアターや名画座など上映会場が限られるが、是非。なお、「上映情報」はリンク先を。
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映画『ベルイマン島にて』(ミア・ハンセン=ラブ監督)、美しき風景に感嘆

2022年06月08日 21時06分54秒 |  〃  (新作外国映画)
 フランスの女性監督、ミア・ハンセン=ラブ(Mia Hansen-Løve、1981~)の『ベルイマン島にて』という映画を見た。チラシを見て、あまりにも美しい風景に魅せられて気になっていたんだけど、時間が合わなかった。調べたら今週からお昼に一回の上映に変わったので、ようやく見られた(シネスイッチ銀座)。予想通り、非常に美しい風景に感嘆して心奪われてしまった。

 「ベルイマン島」なんていう島はない。本当はフォーレ島というんだけど、スウェーデンの有名な映画監督イングマル・ベルイマンが映画のロケに使って気に入り、その後住むことになった島である。ベルイマンの家が残り、ベルイマンの映画を見せる文化センターがある。ベルイマン関連の名所めぐりをする「ベルイマン・サファリ」というバスまで出て来る。場所はバルト海に浮かぶスウェーデン最大の島ゴトランド島(アニメ『魔女の宅急便』のモデルと言われる美しい家が建ち並ぶ島)の北で、橋でつながっているということだ。ベルイマン映画では荒涼たる感じだが、この映画は夏なのでとても気持ちが良い風景が広がっている。
(フォーレ島)
 冒頭で二人の男女が船でフォーレ島に向かっている。二人とも映画監督で、島には難航している脚本執筆にやって来たのである。女はクリスヴィッキー・クリープス、1983~)、男はトニーティム・ロス、1961~)といって、二人は夫婦で子どもが一人いる。俳優の年齢を見れば判るように「年の差」カップルだが、過去は全く説明されない。二人はまず宿を訪ねるが、ベルイマン映画に憧れて滞在する芸術家向けの宿が用意されている。トニーは文化センターで作品上映会があり、多くのファンが訪れているから有名監督らしい。クリスはまだ若くて脚本も行き詰まっていて、同居していたら書けないと言って向かいの風車で過ごすと言う。
 (ベルイマン関係の宿泊所)
 映画内でベルイマン「名所めぐり」をして、様々な人とベルイマンにまつわる話をするのも楽しい。ベルイマンは9人の子どもがいて、相手の女性は6人だとか。果たしてちゃんと子育てに協力していたのか。世界的映画50本に加え、たくさんの演劇・オペラ演出を抱えていたら、オムツ替えてるヒマはないだろうとか。ベルイマンの暗く沈鬱な作風に批判的な人もいるし、徴兵されて病気で帰されたのを批判する人もいる。(恐怖で病気になったんだ、大戦ではスウェーデンは中立だったのに、とか言われている。)ベルイマンがテーマの映画ではないが、ベルイマンに関する言及が多いのでたくさん見てるほど興味深く見られる映画だろう。
(劇中劇の主人公がサイクリング) 
 で、どうなるんだろう、この映画も「芸術家の苦悩」映画になっていくのか。ここが『ある結婚の風景』を撮影した部屋とか言ってるから、二人の関係も壊れてしまうのか。(ちなみに『ある結婚の風景』はテレビ向け連続ドラマとして作られた。最初は仲良かったように見えた夫婦の関係が次第に破綻していく。テレビで大反響を呼んで、スウェーデンで離婚が増えたと言われる。その後、映画版が作られ、日本でも公開された。)と思うと、ちょっと違って「劇中劇」になっていく。クリスの脚本が行き詰まって、それをトニーに聞いてもらう。そうすると、その脚本が実体化して映像で見られるわけである。
(劇中劇の主人公)
 フォーレ島で結婚式があり、脚本はその間の3日だけを描く。ニューヨークから来たエイミーミア・ワシコウスカ)はシングルマザーの映画監督。15歳の時に出会った17歳のノルウェー少年に恋したが、早すぎて破綻。20歳過ぎに再会したが、今度は遅すぎて実らなかった。その相手ヨセフアンデルシュ・ダニエルセン・リー)も仲間だったので、一緒のフェリーで結婚式に呼ばれてる。最初は周りに配慮して知らないフリしてるけど、エイミーはまだくすぶってた恋の思いが再燃する。ヨセフは結婚を考える相手がいるが、島にいるとエイミーの気持ちに応えるようになる…。で、どうなるって時にトニーのスマホが鳴って、ああ劇中劇だった。
(ミア・ハンセン=ラブ監督)
 こういう風に、クリス=トニー関係、エイミー=ヨセフ関係が二重になっていて、さらにベルイマンにまつわる現実とフィクションが二重になっている。と言うと、面倒くさいように思うけど、基本は劇中劇の青春の恋の悩みである。ミア・ハンセン=ラブは17歳でオリヴィエ・アサイヤス監督作品で映画デビュー、2007年の『すべてが許される』で監督になった。その後『あの夏の子供たち』『グッバイ・ファーストラブ』『エデン』『未来よこんにちは』などを作っている。僕もいくつか見ているが、どうも今ひとつパンチに欠けた青春映画の印象がある。どうやら監督自身の実体験も絡んでいるらしい。他の若手監督の多くが移民、LGBT、都市近郊の荒廃など社会的テーマを扱う中で、ちょっと違う道を進んでいる。

 クリス役のヴィッキー・クリープスは『ファントム・スレッド』で準主役のウェートレスだった人。エイミー役のミア・ワシコウスカはティム・バートン『アリス・イン・ワンダーランド』のアリス役だった人。この二人の魅力が映画を支えている。美しい風景に見合うだけの存在感のある若手俳優として見事。主人公夫婦はアメリカ出身という設定で、ほぼ英語を話している。ベルイマン関係の説明もほとんど英語で、なかなか判りやすいんだけど、下に字幕があるからそっちを見てしまう。このぐらいの英語を理解出来れば、ベルイマン映画に関する話も英語で出来ると判る。

 だから、映画内では「ベルイマン」(Bergman)は、ほぼ「バーグマン」と発音されている。ベルイマン夫妻の墓も出て来るが、妻の名は「イングリッド」だった。まるでスウェーデン出身の大女優イングリッド・バーグマンと一緒のお墓なのかと間違う映画ファンはいないと思うけど、念のため。とにかく風景が美しいので、それを見るだけでも価値がある。一度は行きたいなあと思わせる映画だった。こういう風に、芸術家の記憶と結びついた観光地は、日本にもあるだろうか。こういう作品が日本でも見てみたい。
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金芝河、イビチャ・オシム、ヴァンゲリス他ー2022年5月の訃報②

2022年06月07日 21時12分22秒 | 追悼
 2022年5月の訃報、外国人編。一番大きな訃報はオシムだったけれど、まず金芝河キム・ジハ)から書きたい。5月8日死去、81歳。韓国の詩人、思想家。特に70年代の韓国民主化運動で弾圧された詩人として名高い。ソウル大学在学中に1960年の学生革命に参加し、61年の軍事クーデタで成立した朴正熙政権に反対する学生運動の指導者となった。1970年に雑誌「思想界」に長編詩「五賊」を発表して一躍注目された。この詩は朴政権下の特権階級の不正を鋭く告発していたため、政権から「反共法「違反として訴追された。以後も民主化運動を指導し、1974年に大統領緊急措置で非常事態宣言が出されたときには死刑判決を受けた。その後釈放されたが、「東亜日報」に手記「苦行1974」を発表して、再び拘束され死刑判決を受けた。(民青学連事件。その後無期懲役に減刑。)
(金芝河キム・ジハ)
 僕はこの「民青学連事件」の救援運動が人生で最初に参加した集会だった。「金芝河を死刑にするな」という声はサルトル初め全世界から寄せられた。僕もただニュースを見ているだけでは気持ちが収まらず、新聞に出ていた読売ホールで行われた集会に出掛けたのである。中央公論社から出た『長い夜の彼方へ』(渋谷仙太郎訳)や大月書店(国民文庫)の『良心宣言』(井出愚樹訳)も持っている。訳者の渋谷、井出は同一人物で、実は「赤旗」記者だった後のノンフィクション作家萩原遼とは知る由もなかった。70年代後半に、黒テントが「五賊」を劇化して各地で上演した時には、東京経済大学まで見に行ったものだ。

 1980年に釈放され(1979年秋に朴正熙大統領暗殺事件)、軍事政権の弾圧に屈しなかった詩人として多くの賞を受けた。しかし、その後は政治運動から離れ、パンソリなど伝統芸能を生かした作品を発表した。思想的には「生命運動」を唱えて、環境問題、消費者問題などに関心を移した。次第に神秘主義的傾向が強くなり、「転向」とも批判された。2012年大統領選ではパク・クネを支持して驚かれた。もともと「五賊」も民族的伝統に基づく表現方法で、「伝統」に基づく「開発独裁」批判という側面があったと思う。石牟礼道子が晩年になって「天皇主義者」の側面を強めたことなどと似ているように思う。

 日本の新聞には載らなかったが、韓国の女優カン・スヨン(姜受延)が5月7日に死去、55歳。子役から出発し、高麗大学卒業後に林権澤(イム・グォンテク)監督作品のヒロインとして世界的人気を得た。88年に『シバジ』でヴェネツィア映画祭女優賞を獲得したが、これは世界三大映画祭で韓国映画が獲得した初めての受賞だった。名家に雇われた代理母を演じて、確かに大熱演だった。89年の『ハラギャティ 波羅羯諦』でもモスクワ映画祭女優賞を受賞し、20代前半で「国際的女優」になった。その後テレビドラマなどでも活躍した。死因は脳出血だった。
(カン・スヨン)
 元サッカー日本代表監督のイビチャ・オシムが5月1日に死去した。80歳。なお、本名はイヴァンだった。旧ユーゴスラヴィア代表として、64年東京五輪に参加。初めての近代的大都市で人々の親切に触れて、その時から「親日家」になったと言われる。1970年にストラスブール(フランス)に移籍し、78年に引退した。1986年に旧ユーゴ最後の代表監督に就任。90年ワールドカップ(イタリア大会)でストイコビッチらを擁してベスト8になった。92年、ボスニア戦争に抗議して代表監督を辞任した。
(イビチャ・オシム)
 03年ジェフ・ユナイテッド市原監督に就任、06年に日本代表監督に就任したが、07年11月に脳梗塞で倒れて辞めざるを得なくなった。奇跡的に一命を取り留め、2011年にボスニア・ヘルツェゴビナのサッカー協会統一のために尽力した。その結果、ボスニアは予選を勝ち抜き、14年ワールドカップに参加した。独特の表現が「オシム語録」として有名になったが、ここでは省略。今はなき「ユーゴスラヴィア」に生まれて波瀾万丈の人生を送ったが、日本とは運命的なつながりがあったとも言える。6月6日に行われた日本・ブラジルの試合前に、オシムのための黙祷がなされた。

 ギリシャの音楽家(作曲家、シンセサイザー奏者)のヴァンゲリスが17日死去、79歳。本名はエヴァンゲロス・オディセアス・パパサナスィウ。独学で音楽活動を始めたが、68年の軍事クーデタ後に外国で活動するようになり、パリやロンドンでロックアルバムを発表した。81年に担当した映画『炎のランナー』でアカデミー賞作曲賞を受賞した。『ブレードランナー』『1492 コロンブス』や日本の『南極物語』なども担当し、人気となった。スポーツ大会の音楽として使われることも多く、2002年の日韓共催ワールドカップの公式アンセム(選手の入場時に流される音楽)も手掛けた。本人は映画音楽家ではないと言っているが、シンセサイザーを用いた電子音による世界観がアニメやゲームなどに大きな影響を与えてきた。また本人は楽譜が読めないと言っている。
(ヴァンゲリス)
 アメリカの政治家で、日系人初の閣僚となったノーマン・ミネタが3日死去、90歳。静岡県出身の両親のもと、カリフォルニア州サンノゼで生まれた。戦時中は強制収容所に入れられ、後に謝罪・賠償を定めた法成立に力を尽くした。67年にサンノゼ市議会義員、71年にサンノゼ市長。74年に連邦下院議員に当選し、95年まで務めた。2000年7月からクリントン政権で商務長官、翌年ブッシュ(子)政権でも運輸長官に就任した。つまり、「同時多発テロ」時に運輸長官だったわけで、米国内のすべての航空機を一時的に運航停止にした。しかし、特定の民族に対する乗機拒否には自身の体験から拒否した。
(ノーマン・ミネタ)
スタニスラフ・シュシュケビッチ、3日死去、87歳。ベラルーシの元国家元首。94年大統領選でルカシェンコに敗れた。
レオニード・クラフチュク、10日死去、88歳。ウクライナ初代大統領。エリツィン、シュシュケビッチとともに、ソ連崩壊の引き金を引いた。94年大統領選でクチマに敗れた。
アレクサンドル・トラーゼ、11日死去、69歳。ジョージア出身のピアニスト。77年バン・クライバーン国際コンクール2位。アメリカを中心に活動した。
テレサ・ベルガンサ、20日死去、89歳。オペラ歌手。20世紀最高のメゾソプラノと言われる。ロッシーニやモーツァルトを得意とし、またビゼー「カルメン」が当り役だった。セビリア万博やバルセロナ五輪の開会式でも歌った。
アラン・ホワイト、26日死去、72歳。英国のロックバンド「イエス」のドラマー。「プラスティック・オノ・バンド」にドラマーとして参加。「イマジン」にもドラマーとして参加した。ローリング・ストーン誌選出の「歴史上最も偉大な100人のドラマー」第35位。
レイ・リオッタ、26日死去、67歳。アメリカの俳優。「グッド・フェローズ」「ハンニバル」などの出演。
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上島竜兵、白川義員、小塩節他ー2022年5月の訃報①

2022年06月06日 22時23分28秒 | 追悼
 2022年5月の訃報特集。作家早乙女勝元さんを別に書いた。葬儀のニュースでは、長女の早乙女愛が生前の語録を紹介した。「平和は歩いてこない。その火を消すな。どんどんどんどん薪をくべろ」というものである。味わい深い言葉だなと思う。

 お笑いグループ「ダチョウ倶楽部」メンバー、上島竜兵が11日に死去した。僕はあまり知らなくて、93年の新語・流行語大賞に「聞いてないよォ」が選ばれたということも、そんなことがあったかなあと思う。出川哲朗の「充電バイク旅」によく出ていて、追悼特集の番組も見た。出川哲朗と並ぶ代表的なリアクション芸人だと言うが、僕はよく判らない。またちょうど給湯器を変えた時に、頼んだ会社キンライサー(給湯器販売会社)のCMをやってたのが印象的。ところで、「自殺」だとされるが、そのことがニュースで出ていないのに、新聞の訃報に「いのちの電話」の番号が載っている。そこで初めて「ああ」と読者が思う。こういうのはどうなんだろうと思ったりする。どのような報じ方が良いのか、すぐには判らないんだけど。
(上島竜兵)
 写真家の白川義員(しらかわ・よしかず)が4月5日に死去していたことが5月に発表された。87歳。ニッポン放送、フジテレビを経てフリーの写真家になって、世界の大自然、原始的風景などを撮影した。初期には「アルプス」「ヒマラヤ」「聖書の世界」などがある。90年代初期には飛行機をチャーターして各国の基地を周り「南極大陸」を撮影した。その後「世界百名山」選定と撮影のプロジェクトを開始し、「世界百名瀑」も選定、撮影した。内外で多くの賞を受賞している。1971年に始まったマッド・アマノとの「パロディ裁判」でも有名。(白川が勝訴。)
(白川義員)(ダウラギリⅠ峰8167m)
 ドイツ文学者の小塩節(おしお・たかし)が5月12日に死去、91歳。中央大学名誉教授、フェリス女学院理事長。NHKのドイツ語講師を務め、また西ドイツ公使になってケルン日本文化会館会長となったりした。『木々を渡る風』(1989)で日本エッセイストクラブ賞受賞。ドイツ語、ドイツ文化に関する多数の著書があり、ゲーテやモーツァルトについての本も書いた。カール・バルトを中心にキリスト教に関する翻訳も多い。活躍していたときは知名度が高かったのだが、訃報が小さかった。
(小塩節)
 JR東海名誉会長の葛西敬之(かさい・のりゆき)が25日死去、81歳。故松田昌士(元JR東日本社長)、井出正敬(元JR西日本社長)とともに「国鉄改革三人組」と呼ばれ、国鉄の「分割民営化」を推進した。その後は、東証上場やリニア中央新幹線計画に尽力した。保守派の論客としても知られ、安倍元首相らのブレーンとして知られた。トヨタなどと全寮制中高一貫校「海陽学園」を設立し理事長を務めた。僕にはどこにも共感する接点がないが、リニア中央新幹線は歴史の中で評価されるものなのか疑問だ。
(葛西敬之)
柳家小はん、4月25日死去、80歳。落語家。3代目桂三木助に入門し、没後は柳家小さん門下に移って75年に真打昇進。
志村正雄、4月29日死去、92歳。アメリカ文学者。東京外語大名誉教授。ジョン・バース、トマス・ピンチョンの翻訳で知られた。
中山俊宏、1日死去、55歳。国際政治学者、慶応大学教授。ワシントン・ポスト極東総局記者や国連日本政府代表部専門調査員を経て、慶応大学教授。アメリカ研究者として、メディアでも積極的に発言していた。
渡辺裕之、3日死去、66歳。俳優。「ファイト一発」と叫ぶ「リポビタンD」のCMで知られる。
安藤実親(さねちか)、6日死去、90歳。作曲家。「銭形平次」のテーマ曲を作った人である。他に水前寺清子「いっぽんどっこの唄」などがある。
飯田宗孝、7日死去、64歳。バレエ・ダンサー。東京バレエ団団長。「ザ・カブキ」などベジャール作品で主要な役を務めた。
田中健五、7日死去、93歳。元文藝春秋会長。「文藝春秋」編集長時代に「田中角栄研究」を掲載した。その後「週刊文春」編集長時代に、和田誠を表紙に起用した。その後社長になるが、月刊誌「マルコポーロ」のホロコースト否定論文掲載問題で辞任した。
熊崎勝彦、13日死去、80歳。東京地検元特捜部長。退官後にプロ野球のコミッショナー。特捜副部長時代に金丸信副総裁の脱税事件を手掛けた。
池田武邦、15日死去、98歳。建築家。霞が関ビル、京王プラザホテル、新宿三井ビルを設計。ハウステンボスの構想、経営にも関与。
河村亮、14日死去、54歳。日本テレビアナウンサー。プロ野球巨人戦や箱根駅伝の中継で知られた。
浜田卓二郎、16日死去、80歳。元衆議院議員。大蔵官僚から1980年に衆院選当選(旧埼玉1区、自民党)、4期務めた。93年に落選後、離党して新進党に参加したが、96年衆院選で落選。98年に参院選に出馬して当選した。4期務めただけなのに知名度が高かったのは、本人が政策通でテレビに出たりしたこともあるが、それとともに夫人の浜田麻記子の存在が大きい。結婚後に花嫁学校を開校したり、エッセイを書いてテレビ出演も多かった。突然衆院選に出たり、都知事選に出てお騒がせ夫婦として有名だった。浜田麻記子も夫の死後13日目の29日に急死した。80歳。
遠藤滋、20日死去、74歳。仮死状態で生まれ脳性マヒと診断された後、重度障害者として初めて都立養護学校の教師となった。40代で寝たきりになってからは、介助者を組織して自宅で生活した。大学同期の伊勢真一監督の記録映画「えんとこ」に描かれた。
沢孝子、21日死去、82歳。浪曲師。82年に芸術祭優秀賞。日本浪曲協会会長を務めた。
横井美保子、27日死去、94歳。グアム島の日本軍残留兵故・横井庄一さんの妻。06年の夫死後に自宅を記念館とした。
松井守男、30日死去、79歳。フランスで活躍し、レジオン・ドヌール勲章を受章。近年は長崎県五島列島にアトリエを構えた。
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ライオネル・ホワイト『気狂いピエロ』を読む

2022年06月05日 20時56分04秒 | 〃 (ミステリー)
 新潮文庫4月新刊で、ライオネル・ホワイト気狂いピエロ』(矢口誠訳)が刊行された。原題は『Obsession』(1962)で、本文中では「妄執」と訳している。何とこのアメリカ製の犯罪小説がゴダールの映画『気狂いピエロ』の原作なんだという。初めての翻訳で、今まで原作なんて考えたこともなかったけれど、確かにこれを読んで納得出来ることが幾つもある。著者のライオネル・ホワイト(1905~1985)はものすごくたくさんのミステリーを書いたが、翻訳されたものは少ない。どこかで名前を聞いたような気がしたのは、キューブリック監督『現金(げんなま)に体を張れ』の原作を書いてるからだろう。

 ゴダールの『気狂いピエロ』は僕の大好きな映画で、ビデオソフトも持ってたから何度も見た。最近も上映されたが、それは前に公開されたものと同じ素材なので、まあいいかと思って見ていない。2019年の年末に『勝手にしやがれ』と一緒に見たときには、「ゴダールの「気狂いピエロ」について」を書いた。最初に見たのは中学3年生の時で、圧倒的な影響を受けた。最近シャンタル・アケルマン映画祭を見たので監督を調べたら、15歳の時に『気狂いピエロ』を見て映画監督を目指したと出ていた。やはりそういう人がいるのである。映画のことは先の記事で書いたので、ここでは触れない。
(ゴダールの映画「気狂いピエロ」)
 はっきり言ってしまえば、この小説はアメリカのごくありきたりのノワール小説である。『気狂いピエロ』が大好きだという人以外は特に読む必要もないだろう。この小説と映画との関係は山田宏一さんの解説に詳しく、それ以上書くことはない。68年の「五月革命」まで盟友だったゴダールとトリュフォーは、競い合うようにアメリカのB級小説を読みあさっていた。トリュフォーの『ピアニストを撃て!』はそんな中から見つけた原作を映画化したものである。ゴダールは明らかに『Obsession』をもとに映画を作ろうとしていたことが解説に良く判るように書かれている。

 特に冒頭の逃亡へと至る展開は基本的に原作通りだった。映画ではジャン=ポール・ベルモンドがつまらないパーティに妻と出かける。つまらなくて先に帰ると、ベビーシッターのアンナ・カリーナがいた。実は二人はもともと知り合いで、家に送っていくと関係してしまう。そのまま朝を迎えると、隣室に謎の死体が…。壁にはOASと赤い文字で書かれている。OASはアルジェリア問題で独立反対のテロを起こしたフランスの極右組織である。もちろん原作にそんな政治的ニュアンスは全くない。そもそも二人は知り合いではなく、ベビーシッターはなんと17歳の女性アリーである。しかし、一人暮らしで謎が多い。死体は彼女が殺した組織の集金屋で、彼は女の部屋代を出していた。その集金の金を持ち逃げするのである。
(ライオネル・ホワイト)
 主人公はコンラッドと言ってニューヨーク近郊に住む失業者。自分で殺したわけではないから警察を呼ぼうと言うが、信用されるわけないと一蹴される。結局アリーと一緒に逃げることになるが、わずか17歳といえど平気で人を殺せるアリーの「ファム・ファタール」(運命の女)性がすさまじい。最初は南部に逃げて、家まで借りる。二人は結婚して別人になりすます。結婚してるのに、何故重婚が可能なのか。なんと結婚を届け出る時には、身分証明書が不要だと書いてある。だから偽名で結婚を申請したら、認められたのである。今でもそうなのかは疑問だが、とにかく戸籍で確認されてしまう日本と違って、別の州に移ってしまえばアメリカでは別人になれるのである。もっとも警察のお世話になってしまえば、指紋が手配されるからバレてしまう。

 ただ逃げているだけの映画と違って、小説ではもっと具体性が求められるから、あちこち逃げ回る様子が細かく書かれる。マイアミで組織に捕まり拷問される。これは映画にもあるが、経過は良く判らなかった。小説では明らかに「女に売られた」のである。生き延びたコンラッドは女を探し回って、ラスヴェガスで見つける。映画も小説も、女の方では「兄がいる」と言うが、映画では兄なんだかよく判らない。しかし、もちろん小説では兄なんかではない。ヴェガスのカジノで働いていた「兄」は強盗事件を仕組む。追いつめられたコンラッドはその犯罪に協力するしかない。そこら辺は映画にはない部分で、結局原作は逃げる話ではなく、カジノの金を奪おうという犯罪小説になっていく。

 映画にあった「詩と政治」は原作にはもちろんない。しかし、圧倒的な疾走感は共通している。設定は最初の出発点、滑走路地点は明らかに似ているが、飛び立つと景色はどんどん違っていく。ゴダールは別れたばかりの妻アンナ・カリーナを悪く描きたくなかったのか、彼女の性格付けが謎めいている。そこが映画の魅力なんだけど、原作では17歳にして極悪である。それもまた魅力と思える人には面白いかな。ノワール小説の『ロリータ』という設定だが、女がすべてを引き回すところが凄い。まあ特に書くまでもないんだけど、あの『気狂いピエロ』の原作という点を珍重して書き残すことにした。
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『ゴッドファーザー』『ゴッドファーザーPartⅡ』再見

2022年06月04日 23時01分46秒 |  〃  (旧作外国映画)
 フランシス・フォード・コッポラ監督の『ゴッドファーザー』『ゴッドファーザーPartⅡ』を続けて再見した。今年は第一作から50周年になるので、デジタル修復版を「午前10時の映画祭」で上映していた。池袋の新文芸坐で続けて上映するので、朝10時45分から第1作、14時20分から第2作を延々と見た。その間に関東地方は激しい雷雨に見舞われていたというが、映画の間に通り過ぎてしまった。かなり疲れていたんだけど、全く退屈せずに見られたのは、やはり面白くて良く出来ているからだ。この種の映画の古典になったほど、脚本、演技、撮影、音楽、編集が見事に融合していて、飽きる間もない。
(「ゴッドファーザー」
 以下、映画を見ていることを前提に書くので了解を。『ゴッドファーザー』(1972)はマリオ・プーゾ(1920~1999)の同名のベストセラー小説の映画化。監督のコッポラとマリオ・プーゾが共同で脚色し、アカデミー脚色賞を受賞した。非常によく出来たシナリオで、それを見事に映像化した『ゴッドファーザー』もアカデミー賞作品賞を受賞した。アメリカで大ヒットして、『ゴッドファーザーPartⅡ』(1974)が作られた。続編もアカデミー賞作品賞、脚色賞を受賞したが、数多いシリーズ映画で続編がアカデミー賞作品賞を受賞したのは、この作品だけである。当時僕は第2部の方が傑作だと思ったが、今回見ると甲乙付けがたい。

 日本でもヒットしたし、両作ともベストテンに入っている。しかし、どっちも第8位である。1位は『ラスト・ショー』(1972年)、『ハリーとトント』(1975年)で、その頃は身近な世界を事細かく見つめたようなアメリカ映画が日本で評価されていた。ベトナム戦争のさなかで、アメリカでは「ニュー・シネマ」と呼ばれた低予算映画がヒットして、映画会社はテレビ社会に対応出来ず地盤沈下していた。この頃からようやく「超大作」を作ることでハリウッドの復活が顕著になっていく。

 しかし、この映画がこれほどヒットするとは予想されてなかった。監督のフランシス・フォード・コッポラ(1939~)は『パットン大戦車軍団』(1970)でアカデミー脚色賞を得ていたが、まだ30歳を越えたばかりの若い監督である。監督としては低予算映画を作っていた若手に過ぎない。主演のマーロン・ブランドは『波止場』(1954)でアカデミー賞を受けたが、その頃は「わがままな大物俳優」のイメージが定着し作品に恵まれなかった。2代目マイケル役のアル・パチーノは舞台で注目されていたが、世界的には無名。今見るとオールスター映画なのだが、皆『ゴッドファーザー』で知られたのである。
(コルネオーネ一家)
 その後の第2部、第3部を通して描かれるのは、マフィア組織のボスの座がどのように継承されていったかである。もっと言えば、2代目マイケルがいかにして「冷酷非情なボス」になったかである。本来ボスの座は長男ソニージェームズ・カーン)が継ぐはずで、マイケルは大学進学を許されていた。戦争開始時(真珠湾攻撃の日)に軍隊に志願し、一家でただ一人従軍した。大学ではイタリア系ではない恋人ケイダイアン・キートン)に家業には就かないと言っていた。しかし、父が銃撃され、兄ソニーが惨殺された後で、一家を代表して復讐に乗り出さざるを得なくなる。

 「敵」は警察ともつながっていたため、マイケルは警官も暗殺せざるを得ず、その結果シチリア島に逃れることになる。そこで一目惚れした相手と結ばれるが、妻も暗殺される。このような過酷な体験がマイケルを変えたのは間違いないだろう。父の銃撃事件をもたらしたのは、麻薬をめぐる問題だった。戦争直後であり、これからはギャンブルや売春だけでなく麻薬に乗り出すしかないと考える組織が出て来て、コルレオーネ一家に協力を求める。だが父のヴィトーは他の一家の妨害はしないが、自分の組織では麻薬は認めないと宣言する。その時にソニーは儲けを逃すのかと父に反論する。そのことで父を排除して、ソニーの時代になれば一家は変わるかもと思わせてしまった。これがマイケルにとって「一家の団結を乱すものは容赦しない」という教訓になったのか。
(「ゴッドファーザーPartⅡ」)
 ただ彼としては本気で、「合法ビジネス化」も考えていたのだろう。だからマイケルが実権を握ってからは、組織を二分していずれは一家ごとラスヴェガスに移転することを計画する。しかし、全米で、あるいは革命直前のキューバまでも進出する「一大娯楽産業」になっていく中で、他組織とのあつれき、議会やFBIの追求、妻ケイの離反など悩みが尽きない。その中で家族の問題を大きく扱うのが、イタリア系組織を描くシリーズの特徴だ。ちょうど同時期に、日本で『仁義なき戦い』シリーズが作られた。これは東映の岡田茂社長がアメリカでの『ゴッドファーザー』大ヒットを聞き、日本でもヤクザの実録映画の企画を命じて始まったとされる。

 しかし、結果的に両シリーズの感触はかなり違う。共通するのは見た後でテーマ音楽が耳から離れなくなることぐらいだろう。『仁義なき戦い』の山守親分(金子信雄)は各組織の上に乗っているだけで、専制君主ではない。そのため権謀を尽くして生き残りを策謀し、徹底的に「無責任」である。「無責任の体系」としての「天皇制」を体現しているとも言える。一方でアメリカのマフィア組織はボスが専決し、部下はボスに信服する。マイケルはヒトラーやスターリンを思わせる非情なボスになっていく。生き残るための冷酷さが妻や長男を遠ざけてしまい人生に悲劇をもたらす。そのギリシャ悲劇のような運命劇がこのシリーズだ。
(若き日のヴィト=ロバート・デ・ニーロ)
 『ゴッドファーザーPartⅡ』はマイケルをめぐる組織間の争いと同時に、父ヴィトーの少年時代が並行して描かれる。200分を越える、当時としては異例なほどの大作だが、実質的に二つの作品が融合しているのである。この作り方は明らかに新しいもので、当時の僕が第1部より面白いと思ったのは、この作り方の新鮮さが大きい。少年時代のヴィトーは若手のロバート・デ・ニーロが演じて、アカデミー賞助演男優賞を受賞した。このデ・ニーロを見ると、シチリアを追われてアメリカに移民した少年時代、やがて地域ボスとしてのし上がっていく様子が実によく判る。ここが見どころで、アメリカの移民社会の実態を描いた意義は大きいと思う。

 僕は特にこのシリーズが好きなわけではなく、公開時に(恐らく名画座で)見ただけである。だからおよそ半世紀ぶりなので、細かいことは忘れていた点が多い。しかし、見れば大体その後の展開が判った。それは物語として基本的な構造で作られているということだろう。悲劇ではあるが、意外感がないのはそのため。第1部は妹コニーの結婚式から始まるが、それは黒澤明『悪い奴ほどよく眠る』の影響だという。他にも儀式が重要なところで出て来る。特にコニーの子どもの洗礼式で、マイケルが名付け親になるシーン。それと同時にマイケルは「同時多発粛清」を命じていて、その子の父も殺される。その時マイケルは神父に誓いを立てているところなど、実に悪魔的なまでの凄みである。

 その後、1990年になって第3部が作られた。2020年になって修復、再構成された『ゴッドファーザー<最終章>:マイケル・コルレオーネの最期』が公開された。今回はそれも2回だけ夜に上映されるんだけど、大変だからパス。バチカンのスキャンダルも取り込みながら、長男が後を継がずオペラ歌手になってパレルモでデビューする。イタリアを舞台に壮大な映像が繰り広げられるが、当時見た記憶では「まあ一応面白いし、その後も知りたいし」のレベルでは満足したが、映画の出来そのものは中の上かなと思った。

 このシリーズを通してゴードン・ウィリスが撮影していて、陰影の深い映像美が素晴らしい。ウッディ・アレンの『アニー・ホール』『カメレオン・マン』などの撮影監督である。また聞けば誰もが判るほど有名になったニーノ・ロータの「愛のテーマ」が効いている。フェリーニ映画で知られるが、他では『ロミオとジュリエット』と『ゴッドファーザー』が有名。第2部でアカデミー賞を得ている。妹コニー役のタリア・シャイアは監督の実妹で、後に『ロッキー』で知られた。詳しく書く余裕がなかったが、一家の養子となって育てられたトム・ヘイゲンロバート・デュヴァル)は一家の懐刀役で見事な存在感を出している。『仁義なき戦い』シリーズの成田三樹夫みたいな感じで素晴らしかった。話題は尽きないが…。
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映画『帰らない日曜日』、秘密の一日を生きる

2022年06月02日 22時46分42秒 |  〃  (新作外国映画)
 イギリスを舞台にしたエヴァ・ユッソン監督『帰らない日曜日』(Mothering Sunday)は素晴らしい映画だ。原作を調べると、グレアム・スウィフトマザリング・サンデー』がクレストブックスから翻訳されていた。この作家は『ウォーターランド』『最後の注文』も同シリーズで出ていて、イギリスでは有名なんじゃないかと思う。題名の「マザリング・サンデー」が判らなかったが、イギリス中のメイドが年に一度の里帰りを許される〈母の日〉だという。1924年3月のある日曜日のことである。

 邦題「帰らない日曜日」には二つの意味が掛けられている。主人公はニヴン家で働くメイドのジェーン・フェアチャイルドオデッサ・ヤング)だが、孤児だったので母の日にも帰るところがない。名前も孤児院で付けられたものである。大きな屋敷に住むニヴン家は、第一次大戦で二人の男子が戦死してしまった。今は当主夫妻のゴトフリーコリン・ファース)とクラリー(オリヴィア・コールマン)が二人だけで孤独に耐えている。この夫婦役二人の米アカデミー賞受賞俳優(「英国王のスピーチ」と「女王陛下のお気に入り」で二人とも英国君主を演じて受賞した)の存在感が凄くて、イギリス上流階級の犠牲に粛然とする。
(夫妻とメイド)
 メイドがいないその日、ニヴン家とご近所のシェリンガム家ホブディ家の人々は会食する決まりである。ニヴン家のメイド、ミリーとジェーンにも一日ヒマが与えられ、二人は一緒に自転車で出掛けた。ジェーンはどこに行くのだろうか。ゴトフリーに聞かれたジェーンは、「晴れた良い日だから、どこか外で一日本を読む」と答えたけれど、実は秘密の行き場所があったのである。朝食中に電話があって、間違い電話だと取り繕うが、実はシェリンガム家のポールジョシュ・オコナー)からの密会の誘いだった。シェリンガム家も二人の兄が戦死して、残ったポールはホブディ家のエマともうすぐ結婚する予定である。
(シェリンガム家の屋敷)
 このお屋敷が凄い。初めて訪れたジェーンは肖像画に見入ってしまう。シェリンガム夫妻は先に会食に出掛けてしまい、ポールは「つがいが不在」と表現して愛人を呼んだのである。屋敷は初めてだが、二人の関係は明らかに初めてではない。その経緯は描かれないが、ジェーンはポールに奔放に身をゆだねている。ポールが遅れて会食に向かうと、その後は裸で屋敷を歩き回る。ここら辺のシーンではセックスシーンもあるし、ヌードシーン満載だが嫌らしさは全く感じない。一人生き残ったポールはエマと結婚するしかなく、どんなに愛していても孤児のメイドと結ばれることはあり得ない。ジェーンもそのことはよく判っている。 

 そして悲劇が起こり、その二度と戻ってこない秘密の一日が「帰らない日曜日」となった。映画では時々未来のジェーンが挿入されるが、本が好きだった孤児ジェーンはやがて本屋で働き、タイプライターをもらったとき、ジェーンに作家になる夢を叶える道が開けた。そして晩年のジェーン(グレンダ・ジャクソン、『恋する女たち』『ウィークエンド・ラブ』でアカデミー賞を2回受賞した伝説的女優)は大作家になっている。世界的作家を作ったのは、心の中の「秘密の場所」だったのである。内面の秘密を描く点で『流浪の月』と共通するが、悲しみがたくさん積み重なったジェーンが報酬を受けるのは見るものの救いになる。
(ジェーンとポール)
 この映画が納得出来るのは、ジェーンとポールに誰もが知る大スター、絶世の美男美女をキャスティングしなかったことである。オデッサ・ヤングはオーストラリアのテレビ出身の新進女優。ジョシュ・オコナーはもう少し有名らしいが、テレビシリーズ「ザ・クラウン」でチャールズ皇太子役を演じてゴールデングローブ賞を受けた人だという。主演の二人に若手を充て、脇に重厚な名優を配した作戦が見事に当たった。監督のエヴァ・ユッソン(1977~)はフランス出身の女性監督だが、日本でも公開された『バハールの涙』は「イスラム国」に我が子を誘拐された母親が兵士となって戦う姿を描く映画だった。国を超えて活躍している。

 イギリスのお屋敷を描く文学、映画は数多い。ブロンテ姉妹の『嵐が丘』『ジェーン・エア』やジェーン・オースティンの諸作からE・M・フォースターの『ハワーズ・エンド』『眺めのいい部屋』、そして現代作家のカズオ・イシグロ日の名残り』、イアン・マキューアン贖罪』(映画題名『つぐない』)などなど。ダフネ・デュ・モーリアの『レベッカ』などを変種として挙げるとすれば、もっと増えるだろう。こう見てくると、英国のお屋敷の描き方もいろいろだ。美しい風景に見事な洋館が出て来ると、実に「絵になる」。そこにはロマンスや犯罪がよく似合う。この映画は「秘密のロマンス」が一生を決めた様を忘れがたく描いた。
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李相日監督『流浪の月』、心の中の秘密の場所

2022年06月01日 22時23分16秒 | 映画 (新作日本映画)
 凪良ゆうの2020年本屋大賞受賞作を李相日(リ・サンイル)監督が映画化した『流浪の月』を見た。主演者(広瀬すず松坂桃李)や原作の名で見る人が多いと思うけれど、僕はまず李相日監督だから見るべきだと思った。初期の作品(『69』や『スクラップヘブン』まで)は、それなりに満足しつつも中途半端感があった。しかし、続く『フラガール』(2006)や『悪人』(2010)はほぼ満点だったし、その後の『許されざる者』『怒り』も完全には納得出来なかったが間違いなく力作だった。

 そこで今回の『流浪の月』も見なくてはとチェックしておいた。そして十分に満足したけれど、見るものを選ぶ作品だなとも思った。原作の設定を受け入れられない人もいるのではないか。映画としては力作だけど、いつも以上に(内容的にも、画面的にも)暗い。感触も少し今までと違っている。それは何だろうと思ったら、撮影を韓国のホン・ギョンポが担当していた。『パラサイト 半地下の家族』を撮影した人である。他にも『母なる証明』『バーニング劇場版』などを撮影していて、そう言われてみると何となくタッチが似ているような気がする。どこか日本じゃない場所で撮ったような画面が効果を上げている。

 最近本屋大賞受賞作はほとんど読んでなくて、今回も未読。何となく「誘拐」が絡むことは事前に知ってたけど、細かなストーリーは知らないで見た。映画は最近になく、過去と現在が複雑に絡み合って進む。主人公は家内更紗(かない・さらさ=広瀬すず)という25歳の女性。ファミレスでアルバイトしているが、上場企業に勤める中瀬亮横浜流星)と同棲している。広瀬すずも大人になったなあという感慨を覚えるラブシーンをやっている。更紗には「秘密」があり、それは15年前「男に誘拐された被害者」だったのである。亮は事件を知った上で、結婚を考えている。
(更紗と婚約者)
 10歳の更紗(白鳥玉季)は両親が亡くなり叔母の家にいたが、家に帰りたくない事情がある。公園で本を読んでいたら雨が降ってきて、同じように本を読んでいた19歳の佐伯文(さえき・ふみ=松坂桃李)が傘を差し掛ける。家に来るかと聞かれ、付いて行ってそのまま帰りたくないという。ずっと一緒にいて2ヶ月学校にも行かなかったら、テレビで女児行方不明のニュースになった。ある日、湖で文が逮捕され、「誘拐犯」と「被害女児」になった。逮捕シーンは居合わせた人がスマホで撮影し、SNSで騒がれて今も見られる。それから15年、更紗は深夜に入ったカフェでコーヒーを入れていた文と突然再会したのだった。
(再会した文と更紗)
 更紗は警察で「あること」を告白できず、だから文に負い目を持って生きてきた。実は文と暮らした2ヶ月だけが、人生で心安らぐ日々だったのだ。亮に対しては、好きになってくれたから愛していないのにセックスに応えて来た。文と再会し、つい毎日のようにカフェに足が向き、亮も怪しく思い出し、ネット上や週刊誌に「15年前の被害者を犯人が見つけた」といった記事が出回る。更紗はその写真は亮が撮ったと思い、家を出て文が住んでいるアパートの隣室に移り住むが亮は追ってくる。

 ここら辺の筋は書いていても、なかなか納得しにくい。映画はひんぱんに関係者の過去・現在を行き来し、それぞれの「孤独」を見つめる。世の中から納得されないながらも、更紗と文は「心の中の秘密の場所」で結びついていることが判ってくる。それは性的なものではない。むしろ性的でないことによって、二人は居場所をともにできたのだった。文は交際している谷あゆみ多部未華子)を大切にしていたが、それでも性的な結びつきはなかった。世間的には「ロリコン」「小児性愛」と非難され続けた文にも、実はトラウマと秘密があったことが判ってきて、この二人の関係が実は分かちがたいものだと当人たちも理解してゆく。
(子ども時代の更紗)
 暗い情念が画面からヒリヒリ伝わってくる映画。二人の関係が「ロリコン」というようなものじゃなかったとしても、やはり見ていて元気が出るようなものじゃなく、どこか秘密めいた関係であることは否めない。だから並みの「誘拐」じゃないことに納得は出来ても、こんな暗い映画は見たくないと思う人はいるだろう。それでも映画に引き込まれるのは、松坂桃李の(『弧狼の血 REVEL2』とは全く相反した)存在感の凄さ、そして子役の白鳥玉季の素晴らしい演技である。ポーの詩集を読んでいる文、それを声に出してと頼む更紗。二人の孤独な姿が心に染み入るシーンを観客だけが知る。

 主に長野県の松本で撮影されたようだが、何か人工的な空間のような映像が続く。それが「人の心の中にある秘密の場所」にふさわしい。文と更紗のようなものでなくても、人は「秘密の場所」を持っているものではないか。それが暗い映画なのに忘れがたいものにしていると思う。また、原摩利彦の音楽、種田陽平の美術の素晴らしさも特筆される。(なお、湖シーンのロケは長野県の青木湖、木崎湖、文と更紗がスワンボートに乗るのは東京大田区の洗足池だという。)ところで、「かない」と言ってるから「金井」かと思っていたら、ウェブサイトを見ると「家内」だった。「ドライブ・マイ・カー」の主人公は「家福」だったけど、そんな姓は実在するのかな。力作だし感動もしたが、ちょっとビターな後味が残る。
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