例えばお店で服を幾つか買って総額10万円になったとする。レジで店員が全部で1000円になりますと言ったとしたら普通の人はラッキーとは思わず間違いを指摘する。だけど明らかに間違っていると分っててもラッキーと思いちゃっかり買っちゃった証券会社はいた。株の世界は生き馬の目を抜くような世界と言われるけど、どちらかというと浅ましい世界って感じがした。下流界に生きる住人のひがみかな ハハハ
日本人は議論が下手だなんてよく言われる。だけど塾講師が小学生を包丁で殺害した事件、大人が小学生と口論して包丁で殺すってのはねぇ。動機は「・・・カッとなって・・・」とある。
他の事件では「むしゃくしゃして・・・」なんてのがあるけど、「カッとなって」といいこの2つの言い回しって会話の中にあまり出て来ない。勿論そういう感情にならないわけではない。そんなわけで若い世代はもっと使わないような気がする。だから警察の取り調べの慣習の中にある言葉なのかな。
他の事件では「むしゃくしゃして・・・」なんてのがあるけど、「カッとなって」といいこの2つの言い回しって会話の中にあまり出て来ない。勿論そういう感情にならないわけではない。そんなわけで若い世代はもっと使わないような気がする。だから警察の取り調べの慣習の中にある言葉なのかな。
「要するにカッとなってやったんだな。」 |
「はい、そうです。」 |
「カッとなって刺した、と。」 ←調書にメモ |
ドライヤーから煙が出た。直るせるかな、でも20年以上使ってる物だしなぁ、と思いながらも分解。中を見ると積年の埃が溜まってたもののそんなに損傷してる感じではなかった。原因を調べようとしてスイッチを分解し、端子をショートさせてスイッチが入った状態にしようとしたが何度やっても火花が飛んだ。何だか原因が良く分らないのでファンのモーターが壊れたせいにして作業終了。何の解決にもならなかったけど30分くらいはかかったかな。
もう少し俺の頭が良かったら故障を直したか、それともそもそもそんな無駄な時間を費やさず買い替えを即断すべきだったか。否、もう少しというよりもっとか。だいたい何も直せず時間を浪費するってのが情けない。でも無知の知って言葉もある。己のバカさを先ず知るのが知への道だ。だからこの無駄な時間も無駄ではないのだ、多分。でも分解して元に戻らない経験って4~5歳の頃に置時計を分解してからずーーーーーっとやってるじゃん。
結局ドライヤーは買った。店頭で物色していると同じワット数でも少しずつ違う。風量も違うし暖まりの速さなんかも違う。それは大きさとあまり関係ない。こんな事が分ったのも電気が入る状態で展示してある店だったからだ。
もう少し俺の頭が良かったら故障を直したか、それともそもそもそんな無駄な時間を費やさず買い替えを即断すべきだったか。否、もう少しというよりもっとか。だいたい何も直せず時間を浪費するってのが情けない。でも無知の知って言葉もある。己のバカさを先ず知るのが知への道だ。だからこの無駄な時間も無駄ではないのだ、多分。でも分解して元に戻らない経験って4~5歳の頃に置時計を分解してからずーーーーーっとやってるじゃん。
結局ドライヤーは買った。店頭で物色していると同じワット数でも少しずつ違う。風量も違うし暖まりの速さなんかも違う。それは大きさとあまり関係ない。こんな事が分ったのも電気が入る状態で展示してある店だったからだ。