山仲間から電話があった。同じ山仲間の畑の木を伐採したのでおこぼれを一緒に貰おう、と。元の木は直径1mくらいの大木。だから残ってる枝といっても太さ20cm~30cmというものだ。取り敢えず薪ストーブを持ってる自分を含めた3人が始めることにした。
いそいそと出かけていったけど、実は興味があるのは丸太よりも皆が持ってるチェーンソーだ。今時のチェーンソーというのがどんなのか俺は知らないのだ。その中にはつい最近チェーンソーを買った人がいる。その人は主に製材所から廃材を分けた貰ってたのもあって音がうるさくて近所迷惑なチェーンソーは要らないと言い続けてきた。
ところがストーブを使ってるうちに近所から要らない木があるので切ってくれという話が段々入るようになる。鋸を使って手で切ってたら何日もかかってしまう。そんなこんなでこの人も方針を180度転換してとうとうチェーンソーを買ってしまった。ところがどうも予想以上に面白くて仕方が無いそうだ。クワガタ、じゃなかった奥方によると 「 子供がオモチャを買って貰ったのと同じ 」 だそうだ。
2人が持ってるチェーンソーを見せて貰った。2機種共ハスクバーナというスウェーデンのメーカー製。この世界ではヴィトンとかグッチのような存在だ。1人が持ってたのがこの写真-1の346XPだ。これは薪ストーブのブログによく登場する機種だ。初めて見たがでかい。重さはオレサマ号くらいだけどエンジンの排気量は50.1ccで約1.4倍。これって原付バイクのエンジンとほぼ同じ。
写真-1 薪ストーブのブログによく登場する機種
写真-2がまだ買ったばかりの新品の336。上の機種がプロの伐採用ならこちらは主に庭で使う薪作り用って感じ。排気量はオレサマ号のと同じくらいの35.2ccだ。でも全然軽くて4kg弱。オレサマ号のなんと3分の2しかない。そこには20年という月日の差を感じる。そんなんだからこの人が買った話を聞いた時、自分も新型が欲しいと思ってつい色々とカタログをインターネットで見てしまった。
写真-2 新品のチェーンソー
早速借りて試し切りしてみた。大きな346XPはエンジンをかける時が楽だった。え? と思うくらい紐を引く力が要らなかった。大きな排気量を感じる力強さを感じるエンジンの回りっぷりは軽快。プロ用ってことでその辺りの使い勝手は336より数段上って感じのを少し触っただけで分った。その代わり値段の差もそれなり。ではどっちが良く切れたかというと小さいながらもチェーンの新しい新品。比べて分ったのは、チェーンの切れ味が肝心なんだということ。
いそいそと出かけていったけど、実は興味があるのは丸太よりも皆が持ってるチェーンソーだ。今時のチェーンソーというのがどんなのか俺は知らないのだ。その中にはつい最近チェーンソーを買った人がいる。その人は主に製材所から廃材を分けた貰ってたのもあって音がうるさくて近所迷惑なチェーンソーは要らないと言い続けてきた。
ところがストーブを使ってるうちに近所から要らない木があるので切ってくれという話が段々入るようになる。鋸を使って手で切ってたら何日もかかってしまう。そんなこんなでこの人も方針を180度転換してとうとうチェーンソーを買ってしまった。ところがどうも予想以上に面白くて仕方が無いそうだ。クワガタ、じゃなかった奥方によると 「 子供がオモチャを買って貰ったのと同じ 」 だそうだ。
2人が持ってるチェーンソーを見せて貰った。2機種共ハスクバーナというスウェーデンのメーカー製。この世界ではヴィトンとかグッチのような存在だ。1人が持ってたのがこの写真-1の346XPだ。これは薪ストーブのブログによく登場する機種だ。初めて見たがでかい。重さはオレサマ号くらいだけどエンジンの排気量は50.1ccで約1.4倍。これって原付バイクのエンジンとほぼ同じ。
写真-2がまだ買ったばかりの新品の336。上の機種がプロの伐採用ならこちらは主に庭で使う薪作り用って感じ。排気量はオレサマ号のと同じくらいの35.2ccだ。でも全然軽くて4kg弱。オレサマ号のなんと3分の2しかない。そこには20年という月日の差を感じる。そんなんだからこの人が買った話を聞いた時、自分も新型が欲しいと思ってつい色々とカタログをインターネットで見てしまった。
早速借りて試し切りしてみた。大きな346XPはエンジンをかける時が楽だった。え? と思うくらい紐を引く力が要らなかった。大きな排気量を感じる力強さを感じるエンジンの回りっぷりは軽快。プロ用ってことでその辺りの使い勝手は336より数段上って感じのを少し触っただけで分った。その代わり値段の差もそれなり。ではどっちが良く切れたかというと小さいながらもチェーンの新しい新品。比べて分ったのは、チェーンの切れ味が肝心なんだということ。
先月撮った写真の鴨と同じつがいだと思うけど、また同じところに居た。というのも他にマガモが居ないからだ。
今回は昼間だったのでもう少し良く撮れるかなぁと思ってカメラを覗くと顔を身体に埋めてじっとしてることが多かった。気温が低いからのようだ。折角なので撮ったんだけど、後で写真を見ると1本足で立ってるのが分った。ということは片方の足は身体で温めてるのかな。
少しするととうとう座り込んでしまった。疲れたのか。それにしてもそんなに寒いのなら他の場所に行けば良いと思うのだがなぁ。でも岸の方に行くとキツネなどに狙われちゃうので小さな中州に居るんだろうな。
ラジオの公開録音というのに初めて行った。公開録音も公開録画も今まで一度も行ったことがなかった。やってる内容は放送と同じものの、行ったなりの面白さがあって良かった。
このブログによく登場する天然美人人妻(以下天妻)はラジオの公開録音に参加しようと思って応募した。その番組は真打ち競演(※)というお笑いものだ。1枚では抽選に漏れると考えて4通投函。そしたら全部当選して8人も行けることになったのでボッケ家は誘われた。その電話にこのオレサマが出て即快諾。
※ 放送は毎週月曜日、NHKラジオ第1で午後9時05分~9時55分
暫くすると天妻の母や叔母がラジオで聴けるからといって参加を止めた。場所が小布施(おぶせ)と遠いというのもあるだろう。佐久からは道のりで80kmくらい離れてる。兎に角これなら車1台と思ったら賑やかな女友達の登場。プラトニック愛人との逢瀬を邪魔するのはまたお前達かってわけで分乗。
赤い四角の辺りが会場
行ってみると行ったなりの発見はあって良かった。場所は鳳凰アリーナ。小布施には葛飾北斎がよく訪れていて大鳳凰図という天井画がある。それにちなんだ名前だろう。しかしそれはどう見ても小布施中学校の体育館だった。まぁ段差のある座席や良く効いた暖房、ただの体育館ではないけど。
本番前にはそれなりのリハーサルがある。笑っていいともほどの観客の仕事は無いものの進行役が腕を回したら拍手をすることになった。それがちとうざったかったのは拍手が自然に起きたからだ。あと小布施の皆さんこんばんはと言う割には1人1人に配られた冊子は小布施の観光案内ってのもちと変だ。またNHKの冊子には至るところに受信料という文字があり無粋。
公開録音は2週間分やる。1回分ではちと物足りないが2回分となるとちと長かった。というのも芸人が3組ずつ出演したが2番目がどうも箸休めって感じで詰まらなかったからだ。
今回はどれも漫才、ピン芸人、落語だった落語の方は柳家小さんという大御所っぽい落語家が登場したが漫才が良かった。ちなみにもう1人の落語家は金原亭馬生だったけどヨメは 「 ええっと、キンバラテイバショウかなぁ 」 と。正しくはキンゲンテイ。宇宙学校では落語の屋号の読み方までは教えないようだ。
この真打ち競演は全国各地で公開録音をしてるけど、今回の演目の内容は昭和30年代ものばかり。歌の話題では出て来る歌手は亡くなった人ばかり。若者が行かないからそんな内容になるのか、それともそんな内容だから益々若者が行かないのか。いずれにしろどうもNHKは地方=爺婆の住んでる所、と決め付けてるんじゃなかろうか。
今回宇宙ヨメの生態が少し解明された。周りの年寄り以上に受けていたのは意外だった。笑いのツボは共通してると思ってたけどツボの大きさが随分と違う。何よりこんなに簡単に笑うヨメを相手にしてたのではこのオレサマの話術が鈍ってしまいそうな懸念。
このブログによく登場する天然美人人妻(以下天妻)はラジオの公開録音に参加しようと思って応募した。その番組は真打ち競演(※)というお笑いものだ。1枚では抽選に漏れると考えて4通投函。そしたら全部当選して8人も行けることになったのでボッケ家は誘われた。その電話にこのオレサマが出て即快諾。
暫くすると天妻の母や叔母がラジオで聴けるからといって参加を止めた。場所が小布施(おぶせ)と遠いというのもあるだろう。佐久からは道のりで80kmくらい離れてる。兎に角これなら車1台と思ったら賑やかな女友達の登場。プラトニック愛人との逢瀬を邪魔するのはまたお前達かってわけで分乗。
行ってみると行ったなりの発見はあって良かった。場所は鳳凰アリーナ。小布施には葛飾北斎がよく訪れていて大鳳凰図という天井画がある。それにちなんだ名前だろう。しかしそれはどう見ても小布施中学校の体育館だった。まぁ段差のある座席や良く効いた暖房、ただの体育館ではないけど。
本番前にはそれなりのリハーサルがある。笑っていいともほどの観客の仕事は無いものの進行役が腕を回したら拍手をすることになった。それがちとうざったかったのは拍手が自然に起きたからだ。あと小布施の皆さんこんばんはと言う割には1人1人に配られた冊子は小布施の観光案内ってのもちと変だ。またNHKの冊子には至るところに受信料という文字があり無粋。
公開録音は2週間分やる。1回分ではちと物足りないが2回分となるとちと長かった。というのも芸人が3組ずつ出演したが2番目がどうも箸休めって感じで詰まらなかったからだ。
今回はどれも漫才、ピン芸人、落語だった落語の方は柳家小さんという大御所っぽい落語家が登場したが漫才が良かった。ちなみにもう1人の落語家は金原亭馬生だったけどヨメは 「 ええっと、キンバラテイバショウかなぁ 」 と。正しくはキンゲンテイ。宇宙学校では落語の屋号の読み方までは教えないようだ。
この真打ち競演は全国各地で公開録音をしてるけど、今回の演目の内容は昭和30年代ものばかり。歌の話題では出て来る歌手は亡くなった人ばかり。若者が行かないからそんな内容になるのか、それともそんな内容だから益々若者が行かないのか。いずれにしろどうもNHKは地方=爺婆の住んでる所、と決め付けてるんじゃなかろうか。
今回宇宙ヨメの生態が少し解明された。周りの年寄り以上に受けていたのは意外だった。笑いのツボは共通してると思ってたけどツボの大きさが随分と違う。何よりこんなに簡単に笑うヨメを相手にしてたのではこのオレサマの話術が鈍ってしまいそうな懸念。
薪ストーブ生活最初の2~3年、木を切るのは全て人力だった。このブログでもチェーンソー買わない宣言してた。だけどそんな主張もあっさり180度転換しそれを使うようになった。というのも古いチェーンソーを貰っちゃったのだ。だから君子だけでなく小人も豹変するって孔子に教えて上げたい。
丸太を1回輪切りにするのに鋸だと20分から30分はかかる。それがチェーンソーだと1分前後で切る事が出来る。ところが切った丸太を運ぶのが厄介だ。何故なら木は校庭みたいに平らな所にあるわけでもないからだ。
一輪車を使うにしても河川敷での移動は凸凹だらけなので大変。それを何往復もしないといけない。板を敷けばいいけどそんな距離では準備も大変。1度200mくらいの距離を運んだけどハァハァゼェゼェだった。ここまでして薪にこだわるって何なんだろうと思った。
今回は梯子が丁度届くところに倒木があった。それも翌年には流されそうな木だったので取り除くことによって少しは社会貢献てなもんだろう。取り敢えずこのくらいなら持ち運びは可能だろうって大きさに切った。一番重たいものでも20kgはない。16~17kgってところだ。
引き上げる時に滑車を使おうかなどと色々考えてみたけど取り敢えず何の出費もかからない方法で試してみた。その方法は、単に丸太をロープで結んで上から引き上げることだ。しかし独りなので梯子を何度も行ったり来たりしないといけない。そこで少しでも回数を減らそうってことで上に行くついでに小さなのを1つか2つ手で持っていくことにした。それと細かいのは大きなザックに入れて運んだ。
まぁ思ったよりは引き上げるのが大変だったけど河川敷で一輪車を押すよりは楽だった。しかしロープを途中で放すわけにいかないし、丸太が何かに引っ掛ったりすると疲れが増すばかり。だから最初に考えてた滑車を用意するよりも岩登りなどで使う下のような制動器の方が欲しかった。これを使えば途中で一休み出来るそうだ。
エイト環(かん)と呼ばれてる道具
丸太を1回輪切りにするのに鋸だと20分から30分はかかる。それがチェーンソーだと1分前後で切る事が出来る。ところが切った丸太を運ぶのが厄介だ。何故なら木は校庭みたいに平らな所にあるわけでもないからだ。
一輪車を使うにしても河川敷での移動は凸凹だらけなので大変。それを何往復もしないといけない。板を敷けばいいけどそんな距離では準備も大変。1度200mくらいの距離を運んだけどハァハァゼェゼェだった。ここまでして薪にこだわるって何なんだろうと思った。
今回は梯子が丁度届くところに倒木があった。それも翌年には流されそうな木だったので取り除くことによって少しは社会貢献てなもんだろう。取り敢えずこのくらいなら持ち運びは可能だろうって大きさに切った。一番重たいものでも20kgはない。16~17kgってところだ。
引き上げる時に滑車を使おうかなどと色々考えてみたけど取り敢えず何の出費もかからない方法で試してみた。その方法は、単に丸太をロープで結んで上から引き上げることだ。しかし独りなので梯子を何度も行ったり来たりしないといけない。そこで少しでも回数を減らそうってことで上に行くついでに小さなのを1つか2つ手で持っていくことにした。それと細かいのは大きなザックに入れて運んだ。
まぁ思ったよりは引き上げるのが大変だったけど河川敷で一輪車を押すよりは楽だった。しかしロープを途中で放すわけにいかないし、丸太が何かに引っ掛ったりすると疲れが増すばかり。だから最初に考えてた滑車を用意するよりも岩登りなどで使う下のような制動器の方が欲しかった。これを使えば途中で一休み出来るそうだ。
物が沢山あるとつい無駄な使い方をしてしまうことがある。キノコが生えてボロボロになりかけた薪を使わずに放置しようとしたらキノコが生えてはダメなのかっていう指摘があってどうも気にかかってた。ダメってことはないんだけどボッケ家では薪は2~3年乾かしてから使う事にしてる。ところがその頃には恐らくキノコに占領されて本当にボロボロになりそうなので放置しようとした。
じゃぁ今燃やしたらどうなのかというとまるでダメってことはなさそうだ。というのも一部のキノコ薪をヨメ職場で焼き芋行事用に使ってもらったんだけど、どうやら薪として立派な燃えっぷりだったらしい。
乾燥不十分な薪は煙突にタールが付く原因になるもののシーズン通してそればっかり燃し続けるわけではない。ならば短目な乾燥期間で燃やすことにするか。それでも今燃やすのはちと早いので来シーズンに使うことにした。キノコに占領されないように皮も丸い木を割って皮も剥ぐことにした。
てなわけで落ち葉の下を掻き集めたら出るわ出るわ。貰い物ってのは一度に大量に来るので処理しきれずに残り気味。これをやる気になったのも予想外にニセアカシヤの薪が減ってたというのが大きい。てなわけで処理しきれないほど余分な物は貰わずマイペースで薪を集めるのが良いっていう教訓だ。
じゃぁ今燃やしたらどうなのかというとまるでダメってことはなさそうだ。というのも一部のキノコ薪をヨメ職場で焼き芋行事用に使ってもらったんだけど、どうやら薪として立派な燃えっぷりだったらしい。
乾燥不十分な薪は煙突にタールが付く原因になるもののシーズン通してそればっかり燃し続けるわけではない。ならば短目な乾燥期間で燃やすことにするか。それでも今燃やすのはちと早いので来シーズンに使うことにした。キノコに占領されないように皮も丸い木を割って皮も剥ぐことにした。
てなわけで落ち葉の下を掻き集めたら出るわ出るわ。貰い物ってのは一度に大量に来るので処理しきれずに残り気味。これをやる気になったのも予想外にニセアカシヤの薪が減ってたというのが大きい。てなわけで処理しきれないほど余分な物は貰わずマイペースで薪を集めるのが良いっていう教訓だ。
チェーンソーは刃がついたチェーンで木を切る機械だ。このチェーンの部分は常にオイルで潤滑するようになっている。そうしないと木との摩擦熱で色々と不都合があるからだ。今までそのオイルに車用のエンジンオイルを使ってた。オイル交換した時の残り物だ。
そのオイルは木を切る時に少量ではあるが地面に落ちる。直接落ちるのもあるし木屑に混ざって落ちるのもある。土壌環境には良くないけど仕事で毎日使ってるわけでもないしってことで使ってた。
それでも何だか気になるってことで自然分解するものにようやく変えた。ホームセンターの商品棚の説明には水で5倍に薄めるとあった。水と油が混ざるのかっていう突っ込みはナシ。念のため製造元のページを見たらオイルと水を1:4の割合で混ぜるとあった。え? 1:5じゃなかったのか。もしこれを見なかったら薄目の液になり潤滑効果は今一つだったかもしれない。
色々調べてみるとこの2つの表現に矛盾は無いようだ。しかし今一つ理解出来ないので簡単な例として2倍に薄めることを考えた。それなら当然1:1の比率だろう。じゃぁ3倍だったら1:2か。ということはA倍に薄める場合のオイルと水の法則はこうなるのかな。
オイル:水 = 1:A-1
インターネットで検索してみると誤解してる人がけっこう居る。やはり×倍に薄めるってのは直感的に分り難いのだ。だから商品には1:5などと必ず書いて欲しい。それでも異なる数字が並ぶので誤解や疑問が出る。
では英語ならもう少し分り易い表現になるのかと思ってライブドアの翻訳サイトで液体を5倍に薄めるを英語にした。すると A liquid is thinned 5 times. と出た。う~ん、同量の水を5回入れたくなるな。
ボッケ家では蕎麦つゆは市販の濃縮してあるのを使ってる。道理で蕎麦つゆが薄くて今一つだったなぁ、なーーーんてことはなかったよ。こういうのは味を見ながらの目分量だからだ。
そのオイルは木を切る時に少量ではあるが地面に落ちる。直接落ちるのもあるし木屑に混ざって落ちるのもある。土壌環境には良くないけど仕事で毎日使ってるわけでもないしってことで使ってた。
それでも何だか気になるってことで自然分解するものにようやく変えた。ホームセンターの商品棚の説明には水で5倍に薄めるとあった。水と油が混ざるのかっていう突っ込みはナシ。念のため製造元のページを見たらオイルと水を1:4の割合で混ぜるとあった。え? 1:5じゃなかったのか。もしこれを見なかったら薄目の液になり潤滑効果は今一つだったかもしれない。
色々調べてみるとこの2つの表現に矛盾は無いようだ。しかし今一つ理解出来ないので簡単な例として2倍に薄めることを考えた。それなら当然1:1の比率だろう。じゃぁ3倍だったら1:2か。ということはA倍に薄める場合のオイルと水の法則はこうなるのかな。
インターネットで検索してみると誤解してる人がけっこう居る。やはり×倍に薄めるってのは直感的に分り難いのだ。だから商品には1:5などと必ず書いて欲しい。それでも異なる数字が並ぶので誤解や疑問が出る。
では英語ならもう少し分り易い表現になるのかと思ってライブドアの翻訳サイトで液体を5倍に薄めるを英語にした。すると A liquid is thinned 5 times. と出た。う~ん、同量の水を5回入れたくなるな。
ボッケ家では蕎麦つゆは市販の濃縮してあるのを使ってる。道理で蕎麦つゆが薄くて今一つだったなぁ、なーーーんてことはなかったよ。こういうのは味を見ながらの目分量だからだ。
犬と比べると猫は綺麗好きで暇とやる気さえあればしょっちゅう身体を舐めて綺麗にしてる。しかし寝る場所はというと理解に苦しむ時がたまにある。薪の上ってどう見ても寝心地が良さそうには見えない。しかも木屑だらけの板の上で寝ることもある。あんた綺麗好きじゃなかったのかい、と聞きたい。
信州の南部、南信(なんしん)にはねこと呼ばれてるちゃんちゃんこがあるというのを最近知った。前身ごろの無い綿入りベストって感じで背中と腰だけ暖かくする服だ。猫を背負ってるように暖かいから猫って名前らしい。これを見てそこの冬の生活が少し見えた。恐らく昔の暖房は囲炉裏か炬燵だけだったので寒い背中を暖めるために考え出されたのだろう。
10代の頃は山梨に住んでいた。冬の暖房は炭を使う掘り炬燵。石油ストーブはあったけど客が来た時しか使わなかったなぁ。なんでだろ、もしかしてビンボーだったのかな。まぁ兎に角下半身は炬燵の中だから暖かいが背中が寒かった、というより冷たかった。
そういえば炬燵に入ってる時、昔は背中が丸まってたな。今は部屋全体が暖かいからそんなあたり方はしない。当時の室温は10℃にも届かなかった。少なくもと寝る頃、寒暖計が丁度0℃を示してるくらいだから居間は5℃前後だと思う。
今の家はというと山梨より遥かに寒い長野でありながら2日くらいでかけて戻って来ても室温は10℃を少し切ったくらいだ。勿論その間暖房は無いのにである。その程度の留守なら断熱材のお陰で氷点下になることすら無い。だから子供の頃の生活を思うと暖房なんて無くてもいいはずなんだけどストーブをつけて起きてる間は20℃くらいにしている。
地球温暖化だの省エネだのと騒いでるけど当時に比べると電気、石油、ガスは随分と使ってる。東京から山梨に移ったばかりの頃、昭和40年だから1965年か、そこには祖父母と叔母が住んでいた。叔母といっても歳が近いから兄弟みたいなもんだけど、その家の電気のブレーカーがたったの5アンペアだった。たったそれだけで生活してたのだ。勿論今よりは不便には違いないけどね。だけど何が不便かっていうとご飯を炊くのと風呂くらいしか思いつかない。
10代の頃は山梨に住んでいた。冬の暖房は炭を使う掘り炬燵。石油ストーブはあったけど客が来た時しか使わなかったなぁ。なんでだろ、もしかしてビンボーだったのかな。まぁ兎に角下半身は炬燵の中だから暖かいが背中が寒かった、というより冷たかった。
そういえば炬燵に入ってる時、昔は背中が丸まってたな。今は部屋全体が暖かいからそんなあたり方はしない。当時の室温は10℃にも届かなかった。少なくもと寝る頃、寒暖計が丁度0℃を示してるくらいだから居間は5℃前後だと思う。
今の家はというと山梨より遥かに寒い長野でありながら2日くらいでかけて戻って来ても室温は10℃を少し切ったくらいだ。勿論その間暖房は無いのにである。その程度の留守なら断熱材のお陰で氷点下になることすら無い。だから子供の頃の生活を思うと暖房なんて無くてもいいはずなんだけどストーブをつけて起きてる間は20℃くらいにしている。
地球温暖化だの省エネだのと騒いでるけど当時に比べると電気、石油、ガスは随分と使ってる。東京から山梨に移ったばかりの頃、昭和40年だから1965年か、そこには祖父母と叔母が住んでいた。叔母といっても歳が近いから兄弟みたいなもんだけど、その家の電気のブレーカーがたったの5アンペアだった。たったそれだけで生活してたのだ。勿論今よりは不便には違いないけどね。だけど何が不便かっていうとご飯を炊くのと風呂くらいしか思いつかない。
隣に別荘が出来たばかりの頃、電気をつけっ放しでよく出かけるどころか東京に帰ったというのに明りがついていた。次に来るのは1週間後なんだけど、金持ちのやることだ、防犯上何か考えての事かなぁと思ってた。ところがそういうのは奥さんだけが来た時だけだった。旦那が独りで来た時はちゃんと電気を消して帰ってた。
庭に電灯を付けて夜でも明るくしてる家がたまにある。この家も夏頃から庭に電灯を設置した。ところがこの別荘は誰も居ないのに庭の電気が付いている。暗くなると自動的につくようになってるので日が短い今は5時頃から朝までついている。これがけっこう目障りだったし何の意味があるんだろう。でも夜中に目が覚めた時に電気つけなくていいからいっか、と思うようにしてた。
夕べから庭の電気が消えている。週末に奥さんがやってきて電気のつけっ放しに気が付いたのかな。でもその前の週もその前の前も来てた。だからつけっ放しに気が付いたという感じでもない。というのも今回は風呂場だか洗面所らしき部屋の電気がつけたまま帰ったからだ。秋深き隣は何をするひとぞ、なんて句がある。だけど冬になっても誰も居なくても気になる隣家なのだ。
庭に電灯を付けて夜でも明るくしてる家がたまにある。この家も夏頃から庭に電灯を設置した。ところがこの別荘は誰も居ないのに庭の電気が付いている。暗くなると自動的につくようになってるので日が短い今は5時頃から朝までついている。これがけっこう目障りだったし何の意味があるんだろう。でも夜中に目が覚めた時に電気つけなくていいからいっか、と思うようにしてた。
夕べから庭の電気が消えている。週末に奥さんがやってきて電気のつけっ放しに気が付いたのかな。でもその前の週もその前の前も来てた。だからつけっ放しに気が付いたという感じでもない。というのも今回は風呂場だか洗面所らしき部屋の電気がつけたまま帰ったからだ。秋深き隣は何をするひとぞ、なんて句がある。だけど冬になっても誰も居なくても気になる隣家なのだ。
醤油は水に溶けるのになんで油って漢字を使うんだろうと思ってた。調べたら油という漢字は植物の種からとれた液体という意味があるのが分った。確かに醤油は発酵させたりという過程があるものの大豆からとれた液体には違いない。その大豆からは味噌も出来るんだけど婆さんがいた頃は手前味噌、つまり自家製味噌だった。
今では買った味噌なんだけどどうも銘柄が一定しない。もしかすると自家製味噌の味を探してるからなんだろうか。専ら安い味噌ばかり買うんだけど高い味噌を買ってたこともあった。でもその理由がこれ。道理で美味いと思ったよと言えるようならいいんだけどね。
安い味噌でもいいんだけど毎日使ってるうちに何だか物足りなくなってくることがある。そうするとヨメがこの味噌は不味いと言う。確かにそう言われるとパッとしない味だったと気がついたりする。
信州といえば味噌って印象があるんだけどなかなかこれだってのが見つからないのはスーパーなんて所で買うからかな。近所には小さな味噌屋があるけどそういう所のも試してみるかなぁ。
今では買った味噌なんだけどどうも銘柄が一定しない。もしかすると自家製味噌の味を探してるからなんだろうか。専ら安い味噌ばかり買うんだけど高い味噌を買ってたこともあった。でもその理由がこれ。道理で美味いと思ったよと言えるようならいいんだけどね。
安い味噌でもいいんだけど毎日使ってるうちに何だか物足りなくなってくることがある。そうするとヨメがこの味噌は不味いと言う。確かにそう言われるとパッとしない味だったと気がついたりする。
信州といえば味噌って印象があるんだけどなかなかこれだってのが見つからないのはスーパーなんて所で買うからかな。近所には小さな味噌屋があるけどそういう所のも試してみるかなぁ。
佐久の方言を調べてたら標準語との対応表がネット上にあった。ところがそれが表にもなってないどころか言葉と言葉の間に隙間が無いので極めて利用しにくいのが残念だ。
佐久語と標準語対応表の一部
ではこれを整形して見易くして公開したらどうか。無料の著作権相談室ってのがあって聞いてみたがそれは許可を得なければダメだそうだ。では標準語をキーにして佐久語を意味として書くのはどうかというとこれもダメ。同じ文言がある限りダメなようだ。ちなみにこの相談室への電話代は勿論自分持ちだ。
数日前、NHKの熱中時間の中で見つけた本が日本山名総覧。18000もの山名が載っている。山の名前はけっこう難しく浅間山と書いてアサマヤマと読むと思ったら大間違い。センゲンヤマと読むのが東京の府中市にあるのだ。この本はそういうのも地元に問い合わせて調べて書いてあるそうだ。
こういうのも1冊あったら良いと思ったら絶版。古本として入手出来るけど定価の2倍以上の5千円前後なのでちと躊躇する。山ブームなんだから復活して欲しいもんだ。
それよりもこの山名に限らずデジタルデータが欲しい。単に並べ替えるだけでも色々遊べそうだからだ。少し前に全国に茶臼山は幾つあるんだろうなんてのを調べたがそういうのも一発で分る。
色々なデータを集めるのは物凄い労力がかかるから著作権で保護するというのは分るもののそのデータを利用することが出来ないものかなぁ、と。早い話格安とかタダでってことなんだけどね。フリーソフトなんてのがあるんだからこれと同じようにフリーのデジタルデータなんてのがあると良いのだが。
ではこれを整形して見易くして公開したらどうか。無料の著作権相談室ってのがあって聞いてみたがそれは許可を得なければダメだそうだ。では標準語をキーにして佐久語を意味として書くのはどうかというとこれもダメ。同じ文言がある限りダメなようだ。ちなみにこの相談室への電話代は勿論自分持ちだ。
数日前、NHKの熱中時間の中で見つけた本が日本山名総覧。18000もの山名が載っている。山の名前はけっこう難しく浅間山と書いてアサマヤマと読むと思ったら大間違い。センゲンヤマと読むのが東京の府中市にあるのだ。この本はそういうのも地元に問い合わせて調べて書いてあるそうだ。
こういうのも1冊あったら良いと思ったら絶版。古本として入手出来るけど定価の2倍以上の5千円前後なのでちと躊躇する。山ブームなんだから復活して欲しいもんだ。
それよりもこの山名に限らずデジタルデータが欲しい。単に並べ替えるだけでも色々遊べそうだからだ。少し前に全国に茶臼山は幾つあるんだろうなんてのを調べたがそういうのも一発で分る。
色々なデータを集めるのは物凄い労力がかかるから著作権で保護するというのは分るもののそのデータを利用することが出来ないものかなぁ、と。早い話格安とかタダでってことなんだけどね。フリーソフトなんてのがあるんだからこれと同じようにフリーのデジタルデータなんてのがあると良いのだが。
ニセアカシヤは直径20cmの木を2つに割った薪だと灰になるまで5時間以上持たせることが出来る。ところが同じような赤松の薪は早ければ1時間、がんばっても2時間もすると灰になってしまう。ならばもっと太い木ならいいかもしれないと思った。
ボッケ家では薪に関しては恵まれている。近くの河川敷で入手出来るからだ。ある時軽井沢町に丸太をタダで持ってていいよっていう場所があるというのを聞いた。ものは試しとヨメ見に行った。そこには直径50cm以上はあるような大きな丸太がゴロゴロと転がっていた。管理人は町民でなくても持ってていいよと言っていた。しかし木は太過ぎて切るのも大変そうなのでそこを利用するのは止めた。でも直径40cmから50cmの丸太が長さ30cm程度に切ったのが幾つかあった。これを貰わない手はないってことで10個ほど持って帰った。
そんな輪切りの丸太だけどあまりにも立派なので何かに使えないかと思いつつ燃やせないでいた。でも薪割り台にしたら2つに割れてしまったのがあった。そこでこれを細かくせずに燃やしてみようとストーブの中にそのまま入れてみた。
燃焼室が半分くらい塞がる大きな薪
1時間ほどしたら火が消えてしまった。そりゃそうだ、燃焼室の半分くらいを占めるようでは酸素不足ってもんだ。それでも細かい薪を補充したところ4時間くらいは燃え続けてくれてた。放置すればもう少し燃えていただろう。もしかすると空気の調整をすればこんな太い薪でなくても長時間燃やすことが可能なのかな。
ボッケ家では薪に関しては恵まれている。近くの河川敷で入手出来るからだ。ある時軽井沢町に丸太をタダで持ってていいよっていう場所があるというのを聞いた。ものは試しとヨメ見に行った。そこには直径50cm以上はあるような大きな丸太がゴロゴロと転がっていた。管理人は町民でなくても持ってていいよと言っていた。しかし木は太過ぎて切るのも大変そうなのでそこを利用するのは止めた。でも直径40cmから50cmの丸太が長さ30cm程度に切ったのが幾つかあった。これを貰わない手はないってことで10個ほど持って帰った。
そんな輪切りの丸太だけどあまりにも立派なので何かに使えないかと思いつつ燃やせないでいた。でも薪割り台にしたら2つに割れてしまったのがあった。そこでこれを細かくせずに燃やしてみようとストーブの中にそのまま入れてみた。
1時間ほどしたら火が消えてしまった。そりゃそうだ、燃焼室の半分くらいを占めるようでは酸素不足ってもんだ。それでも細かい薪を補充したところ4時間くらいは燃え続けてくれてた。放置すればもう少し燃えていただろう。もしかすると空気の調整をすればこんな太い薪でなくても長時間燃やすことが可能なのかな。
子供の頃の蕎麦の印象はというと黒くて細くて固いうどんって感じだ。18歳の頃、戸隠で蕎麦を食べた。だけど時の印象は今一つだった。それは汁の味のせいだった。東京の濃い味に比べてのことなんだけどそのせいで蕎麦の味は記憶も感動もなし。山梨でも年越し蕎麦を作ったけどつなぎにトロロイモを使ってたせいもあると作り方も婆さんの自己流なので味はちょっと独特。長野に来てから蕎麦を時々食べてこれが蕎麦ってもんかと思ったものの普段は乾麺で十分だと思ってた。
ボッケ集落では新蕎麦を食べるという行事がある。その目的はここでは触れないけど何と種蒔きから始めるという懲りようである。その役に当ると春頃から種蒔きだ草取りだなどと何かと出番が多い。それでも新蕎麦を食べてからこれが蕎麦の味なのかぁと思った。それから数年、そんな蕎麦の味をもう一度体験したいと思い集落の行事が嫌いな俺が初めて自らの意志で参加。手伝った人は蕎麦を食べることが出来るのだ。
蕎麦打ちも教わりたかったけどどうもそれは女の人の仕事みたいで専ら茹で担当。といっても釜の傍で沸騰しそうになって湯に水を差すだけ。まぁ子供でも出来る仕事だけどワークシェアリングってなもんだ。
蕎麦は昼に食べるんだけど、朝の8時頃から準備が始まるという気の長い話。素人が作った蕎麦の太さはうどんのように太い。かなり細く切れただろうと思ってても蕎麦屋で出て来るような細い麺にはならない。でも味は遜色無い。自分の中ではこの蕎麦が一番美味い。
何より風味が良い。蕎麦屋で食べても臭いというか風味を感じないことがあるが新蕎麦のせいか蕎麦独特の臭いがする。蕎麦湯、これの何が美味しいんだろうと思ったがそれ以来好むようになった。唯一の欠点はというと、これまでどんな蕎麦でも美味しく食べることが出来たのにそれ以来こんなのは蕎麦じゃないなって感じで舌が贅沢になってしまったことかな。困ったもんだ。
来年の参加はどうかというと微妙かなぁ。あの人は他所から来たのにこの集落に積極的に馴染もうとしてるなんて思われて色々な役に白羽の矢を立てられるのも困るしなぁ。ヨメも役でもないのに流しの前で最後まで食器を洗ってた。すると再び夫人部に入らないかなんていうお誘いがかかったりすることもありそうだ。色々と不幸(?)なこともありそうなのだ。
ボッケ集落では新蕎麦を食べるという行事がある。その目的はここでは触れないけど何と種蒔きから始めるという懲りようである。その役に当ると春頃から種蒔きだ草取りだなどと何かと出番が多い。それでも新蕎麦を食べてからこれが蕎麦の味なのかぁと思った。それから数年、そんな蕎麦の味をもう一度体験したいと思い集落の行事が嫌いな俺が初めて自らの意志で参加。手伝った人は蕎麦を食べることが出来るのだ。
蕎麦打ちも教わりたかったけどどうもそれは女の人の仕事みたいで専ら茹で担当。といっても釜の傍で沸騰しそうになって湯に水を差すだけ。まぁ子供でも出来る仕事だけどワークシェアリングってなもんだ。
蕎麦は昼に食べるんだけど、朝の8時頃から準備が始まるという気の長い話。素人が作った蕎麦の太さはうどんのように太い。かなり細く切れただろうと思ってても蕎麦屋で出て来るような細い麺にはならない。でも味は遜色無い。自分の中ではこの蕎麦が一番美味い。
何より風味が良い。蕎麦屋で食べても臭いというか風味を感じないことがあるが新蕎麦のせいか蕎麦独特の臭いがする。蕎麦湯、これの何が美味しいんだろうと思ったがそれ以来好むようになった。唯一の欠点はというと、これまでどんな蕎麦でも美味しく食べることが出来たのにそれ以来こんなのは蕎麦じゃないなって感じで舌が贅沢になってしまったことかな。困ったもんだ。
来年の参加はどうかというと微妙かなぁ。あの人は他所から来たのにこの集落に積極的に馴染もうとしてるなんて思われて色々な役に白羽の矢を立てられるのも困るしなぁ。ヨメも役でもないのに流しの前で最後まで食器を洗ってた。すると再び夫人部に入らないかなんていうお誘いがかかったりすることもありそうだ。色々と不幸(?)なこともありそうなのだ。
今では色々なチーズが売られてるけど、50年ほど前は雪印の牛の絵が書いてあるチーズや6Pチーズなど数種類くらいだったと思う。スライスチーズなんてのはかなり後から出てきたものだ。
何時だったかオーブントースターで焼くと融けるチーズなんてのが雪印で出した。その時の牛の絵のチーズは熱を加えると固くなった。ところが今の牛の絵のチーズは融けるから少なくとも50年前と同じ物では無いってことだ。そしてその牛の絵のチーズなんだけど昔は今よりもっと赤味がかった色をしてたと思う。
普段はなるべく安いチーズを買ってるが、赤味を帯びたチーズの記憶があるせいか輸入品コーナーでチェダーチーズを見るとつい買ってしまうことがある。
何故そんな昔の物を食べたくなるかというと今の食べ物がただ甘くなったり柔らかくなったり癖が無くなって物足りないというのがあるんだと思う。外国なんて数度しか行ったことないんだけど、そんな昔の記憶にある味を外国で経験した事が何度かあって懐かしいと思うのが不思議。
普通そういうのは田舎に行った時に感じると思うんだけどね。ところがそうでもない。例えば田舎でトウモロコシ食べても昔の品種はもう絶滅してるみたいだ。今のところ何処に行っても柔らかくてただ甘いだけのトウモロコシしか出て来ない。
焚き火にしろ薪ストーブにしろ火を点ける時はまず新聞紙などを丸めて下に置き、その上に細い木をピラミッド状に組む。そして火が強くなるに従って段々と太い木を上から乗せてくもんだと思ってた。ところが全く違う燃やし方を教わった。なんと最初に太い木を下に敷くのだ。それが写真-1だ。
写真-1 大きな薪を下に敷いてその上に焚き付け用の細い木
太い木を敷いて木と木の間に新聞紙を入れる。そしてその上に細い木を橋渡しするように乗せる。この良い所は新聞紙が燃え尽きても細い木が下に落ちるなんてことがない。井桁に組めばなんて話もあるが何よりこの方法はただ乗せるだけなので簡単だ。今までのやり方だと新聞紙が燃え始めると木を支えられずにピラミッドが潰れて火が消えてしまうということがあった。まぁそんな時は火吹き竹で吹いて何とか火を点けるのだがただ見てるだけではダメだ。
火を点けて暫くすると下に敷いた太い木が燃え出した。燃え易い松とはいえ意外な方法だ。元々手間のかかる薪ストーブに効率を求めても高が知れてるがこれは楽な方法だと思った。
写真-2 下に敷いた太い木が燃え出す
でも写真-1のようではさすがに木が少な過ぎて写真-2のように燃えたにもかかわらず一旦火が消えてしまった。2回目にやった時は太い木の上に木を沢山乗せたので火は消えずにそのまま燃え続けた。
太い木を敷いて木と木の間に新聞紙を入れる。そしてその上に細い木を橋渡しするように乗せる。この良い所は新聞紙が燃え尽きても細い木が下に落ちるなんてことがない。井桁に組めばなんて話もあるが何よりこの方法はただ乗せるだけなので簡単だ。今までのやり方だと新聞紙が燃え始めると木を支えられずにピラミッドが潰れて火が消えてしまうということがあった。まぁそんな時は火吹き竹で吹いて何とか火を点けるのだがただ見てるだけではダメだ。
火を点けて暫くすると下に敷いた太い木が燃え出した。燃え易い松とはいえ意外な方法だ。元々手間のかかる薪ストーブに効率を求めても高が知れてるがこれは楽な方法だと思った。
でも写真-1のようではさすがに木が少な過ぎて写真-2のように燃えたにもかかわらず一旦火が消えてしまった。2回目にやった時は太い木の上に木を沢山乗せたので火は消えずにそのまま燃え続けた。