「真田の郷を歩く」
「上田城址」~~♪
上田市の地方の一小土豪であった真田家が、「幸隆」の信濃に進出してきた「武田信玄」に仕えて頭角を現し、その後、幸隆、昌幸の二代で真田の地から峠を越えた群馬県の沼田まで勢力を築きました。
昌幸、信之と続き、信
玄の時、松代藩に移封され、以後明治維新までの250年間10代まで松代を統治しました。
←「真田石」
真田氏としては、戦国時代の名将として名高い「真田幸村」が有名ですね。
この幸村は、関が原合戦の一環として知られる「上田城籠城」戦後、天下をとった徳川家康によって、父・昌幸とともに高野山に流されます。
その山麓の「九度山」で長く暮した後、豊臣秀頼に招かれ「大阪・冬、夏の陣」で大活躍
しますが、幸村はここで討死しました。
父「真田昌幸」が、天正11年に築いた「上田城」。
「天守閣を持たない平城」ですが、徳川軍を二度にわたって退けたという戦歴のある「実践用」の名城
です。
城跡には、西櫓、南櫓、北櫓が残っていて、東口虎口には「櫓門」が復元されています。
←真田神社の裏にある「真田井戸」。
籠城した時に、食料を運び込んだり、兵が出入りしたといわれる井戸です。
→真田神社はこちら~~♪
上田城址は、現在は「公園」として整備され、市民の憩いの場となっているようです。
本丸跡やお掘りの周辺に植えられた桜の季節には多くの人が「お花見」に訪
れる場所にもなっているとか~~。
ちょうど、桜やもみじの新緑がきれいで、気持ちが良かったです~~♪
「池波正太郎 真田太平記 館」~~♪
池波正太郎「真田太平記」が、戦国時代から江戸時代にかけて上田の地をおさめていた真田氏を描いた「歴史長編小説」は有名ですね。
この小説の取材のために、たびたび上田市を訪れていたという池波氏。
「折にふれ、上田の人々の顔をおもい、上田の町をおもうことは、私の幸せなのである」と、えっせい7に書いた池波氏。
このことと、真田太平記との縁で、平成十年に開館した「池波正太郎 真田太平記 館」も、主人が行って見たかった場所の一つ~~。
池波氏の大ファンである主人は、氏の故郷、東京・上野(カッパ橋」にある「池波正太郎記念文庫」も訪れていて、今回上田に行くならぜひ~~と、考えていた場所だそうです。
この「真田太平記 館」は、残念ながら内部は撮影禁止ですので、写真は一枚もありません(苦笑)。
氏の「真田太平記」の原稿や、挿絵の原画なんかがたくさんあり、また「愛用の万年筆」とか「ジャケット」とかも展示してありました(笑)。
「草の者」の世界をカラクリ絵で見せる、子どもも楽しい「忍忍洞」という部屋があったりして
結構楽しめました~~♪
上田城址の櫓下から見た「街並み」→
商店のノレンもこの通り~~♪
→「みすず飴」が有名な「飯島商店」の店舗~~。これ「石造り」のように見えますが、木造の建物に「石模様」をぬりつけてあるのだそうです。
老舗の「みすず飴」はおいしいですよ~~。もちろんお土産に買ってきました~~♪