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絵本の話を中心に、好きなもの、想うことなど。

穏やかな気持ち(ますみせんせいの話)

2005-12-16 15:05:18 | 思い出の絵本

 今日は『ぐりとぐらのいちねんかん』についての、思い出の話です。
ぐりとぐらの1ねんかん 
← 写真では実際の大きさはわかりませんが、
  縦26cm・横32cmくらいある、大きい絵本です。






 
 お話は、題名のとおり、ぐりとぐらの1月から12月までの「暮らしぶり」を、
見開き1ページ(左側が絵、右側にリズミカルな文)で綴っていったもの。  
 ぐりとぐらの他に、うさぎのギックやりすたちも登場します。  

 丁寧に描き込まれた、季節ごとの、ぐりとぐらの部屋の中を見るだけでも
楽しい本です。(もちろん、外の景色も素敵です)
 

 山猫編集長が12月7日付の記事で、「この絵本が、どうして大判でなければ
いけないのか?」について、非常に興味深い考察を書いてらっしゃいました。
私は、なるほどと思いながらも、大判であるのは、こういうわけにちがいない、と
納得していた理由=『エピソード』をコメント欄に残しました。
その『エピソード』はコメント欄だけではもったいないなぁ、と返事に書いてくれた、
編集長の言葉に気をよくして(?)、自分のブログでUPしようかなあと思いながら、
でも、なんとなくそれだけでは、動機的に「弱い」気がして、迷っていたのでした。  

 さて、絵本関係のブログではないのですが、とても心の残る記事に出会いました。
ライ麦クラッカーを焼く家族 というタイトルで、hinataさん が、
デンマークで、ある工場を訪れた際のことを書いた記事です。その内容と、
コメント欄でのやり取りを通して、私は肩の力がすっと抜けていくのを感じ、
自分の気持ちが安定していくのがわかりました。(このところの嫌な事件の
連続で、気持ちが尖ってきていたのだと思います) 

 私が、『エピソード』をここに書くことで、誰かの気持ちがほっとしたり、
誰かがにやっとしてくれたり、『ぐりとぐらのいちねんかん』、そういう
「使いみち」もあったんだあと、思ってくれたらいいなあ、と思い、
「すこし弱かった動機」が【書こう!】という気持ちに変わっていきました。 

 長い前置きになってしまいましたが、2つの(お二方の)コメントに
後押しされて、ここからの本文を書き出すことができるのだ、ということを、
まず記しておきたかったのでした。  

 その『エピソード』とは、娘が保育園の年長組だった時の、担任の先生の
お話なんですが。20代の若い先生で、年長組を受け持つのは初めてだったようです。
仮にますみ先生と呼ぶことにします。ますみ先生が他の先生と違っていたのは、
家から、先生自身の絵本を持って来て、お部屋に置いてくれたこと。
(もちろん、保育園にも年長組さんの教室のすぐ隣に、絵本の棚があり、
好きに読むことができましたが。) 
 ますみ先生の持ってきた絵本は、エリック・カールあり、飯野和好さんの
「あさたろう」シリーズあり、和田誠さんの「これはのみのぴこ」や
「ことばのこばこ」もありました。そんな中の1冊に、『ぐりとぐらの
いちねんかん』もあったのです。  

 先生はみんなにその絵本を読んだあとに、棚の上の「絵本の場所」には
戻さずに、子供たちがノートに、出席のシールを貼ったりするためのテーブルに、
その月のページを開いて、立てかけておいてくれました。1ヶ月間ずっと同じ
ページがそこに開かれているわけで、日にちのないカレンダーのような役目
でもあったわけです。そして、月が変われば、絵本のページも1枚繰られて、
また、クリップで留められます。同じ絵本を、その時すでに持っていましたが、
保育園の教室で、みんなが使うテーブルに飾られているその絵本は、
なんだか「別のもの」のように見えました。

「あ、こういう使い方、楽しみ方もあるんだ」

 送り迎えで、教室に入るたびに、見慣れたぐりとぐらが、そこに居ることを
毎回確かめては、そう思っていたのです。だから、私は、『ぐりとぐらの
いちねんかん』があんなに大きい本なのは広い場所に飾って、1年中、
みんなで楽しむことが(も)、できるためなんだと思っていたのです。

 ついでに、ですが。 
 ますみ先生は、折り紙もとても上手でした。小さい頃から大好きだった
のでしょうね。使い古された、折り紙の本の裏表紙に、明らかに子供の字で、
「〇〇〇〇ますみ」と名前が記されていました。子供たちのリクエストに応えて、
本を見ながら、どんなものも軽々折っていました。 
 月ごとのテーマにそって、(3月だったらひなまつりとか)折り紙で
作品を作り、その下には、翌年の3月のカレンダーをつけて・・・。
そうやって1年間かけて、1年生になった時から使えるカレンダー作りも
させてくれました。娘が入学した時から、翌年の3月まで、年長組の時に
自分で作ったカレンダーを壁にかけておくことができたわけです。 
 
 素敵な試みだと、思いました。 
 ますみ先生は、素敵な先生でした。

 保育園の送り迎えの、ちょっとした時間で「先生のお仕事ぶり」を見るにつけ、
保育園の先生って、「まるでアーティスト」だなあと、感心させられっぱなしでした。
(歌にピアノ、折り紙、工作なんでも、簡単そうに、そしてとても楽しそうに
やってのけるのです) 

 これが『ぐりとぐらのいちねんかん』についての、『エピソード』であり、
ますみ先生の思い出まで全部ひっくるめて、『ぐりとぐらのいちねんかん』に
対する思い出となっています。   



 ゆうべ、久しぶりに、家でこの絵本を娘と一緒に読んでみました。
どのページを開いても、そこにはその月、その季節を存分に楽しんでいる、
ぐりとぐらとお友だちがいて、はつらつとした、伸びやかな空気を感じる
ことができます。 
 季節は動いているし、植物は育ち、子供たちは日に日に、成長を続けて
いるんだよと、あらためて教えられているようでした。 

 「1年が終わると、また次の1年がすぐに来るから、この本はどこまで
いっても終わらないよね。ぐりとぐらの終わらないいちねんかん、に
すればいいのに」と言った数分後に、娘はもう眠っていました。
穏やかな気持ちが、エアコンで暖められた室内に溶けていって、
私も気持ちよく眠ってしまいました。

コメント (14)
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