これまでに、何冊くらい絵本を買ったことでしょう。
今年になって数が増えたものの、それまではそんなに多くはなかったと思います。
そのほとんどが、娘の成長に合わせて彼女のために買ったものでした。そして時折、
どうしても欲しくなった自分のために‥。
娘以外の誰かに贈るために買った絵本は、いつ、何の本を、誰に、とはっきり記憶しています。
それぐらい数が少ないのです。まして、おとなへ贈ったとなると、それはたったの2冊しか
ありません。
1冊目は、コイビト時代の夫に、五味太郎さんの『絵本ことばあそび』(1982年岩崎書店発行)。
私も、もちろん夫も、絵本のエの字も口にしなかった頃。五味太郎さんがどんな方なのかも
知らずに、ただ中味の言葉遊びのおもしろさゆえに、誕生日プレゼントにしたのでした。
そして、もう1冊は、今年の10月22日に、大学時代からの友人にこの本を。
『森の絵本』
長田弘 文
荒井良二 絵
大きくなって。自分で、自分の進む方向を決めなくてはいけない時期がやってきて。
さてどうしたもんだろう、と考えるー。
それは、大きな木の茂る森の入口に立ったときと似ているかもしれません。踏み入って
行くには勇気がいる。けれど入口で立ちすくんでいるわけにもいかない‥。
そんなとき、声が聞こえます。
「いっしょに ゆこう」
すがたの見えない 声が いいました。
「いっしょに さがしにゆこう」
「きみの だいじなものを さがしにゆこう」
すがたの見えない 声は いいました。
「きみの たいせつなものを さがしにゆこう」
声に誘われて進んでいくと、目の前が開けていき、大切なもの、忘れてはいけないものを
教えてくれます。たとえば、
「だいじなものは あの 水のかがやき」 というふうに。
誰の声なんだろう、と思いました。森の中へと誘い、導き、諭し、励まし、ともに歩んで
くれるその声の持ち主はー。森の入口に立った時、そんな人がすぐ近くに居てくれたなら、
とても心強いにちがいない‥。
すこし前の私は、その声が誰の声であったのかわからなかったし、わかろうとして
いなかったのかあと思います。でも、今は、それが「自分の内なる声」だということに、
気がつきました。
そう。励ましてくれたのも、思い出させてくれたのも、忘れちゃだめだと戒めてくれたのも、
自分自身にほかならないのです、きっと。
それは、こう言いかえることもできると思います‥。
自分の内側から響いてくる声に、しっかり耳を澄ませていないと、森が息している
ゆたかな沈黙 や 森が生きている ゆたかな時間 を知ることもなく、ただ森の中を
さまよい続けることになるかもしれない、と。
この本を、喜んで受け取ってくれた彼女は、「内なる声」に、耳を澄ませる努力を惜しまない
人にちがいありません。だからこそ、ゆたかな森を築きつつあるのです。
私を、20年来の友人としてくれていることへの感謝と、『森の絵本』を選んだ、今の私を
知って欲しくって。彼女の誕生日と、本が出版されたことと、ギャラリーショップオープンの、
すべてのおめでとうをこめて、贈りました。
「ほら、この本」と その声は いいました。
その本は 子どものきみが とてもすきだった本。
なんべんも なんべんも くりかえして 読んでもらった本。
「その本のなかには きみの だいじなものが ある。
ぜったいに なくしてはいけない きみの思い出がー」
こんなに大好きな本になったのに、自分のを、まだ持っていません。でも、今度の
クリスマスには買おうと決めています‥。