prisoner's BLOG

私、小暮宏が見た映画のノートが主です。
時折、創作も載ります。

「バトルロワイヤル2 鎮魂歌(レクイエム)」

2003年08月15日 | 映画
前作で「腹腹時計」を出して来たところにも見られた70年代的な反体制運動の感覚がある。米帝に反対するテロリズムの論理というのか。しきりと繰り返される“大人たち”というのは、“30才以上の人間は信用するな”なんて言われた時の、体制に組み込まれた人間とでもいった意味だろう。

もっとも、そう言っていた世代が前米大統領になるだけ時間が経っており、何より敵の敵は味方、とは思えなくなっているのが現状なので、大もとになっているロジックに無理を感じる。より強い者に対する感情的反発に訴えるというだけではもたないと思う。反発だったら、テロリストの方にだって感じるのだ。

大体、なぜ“国家”が殺しあいゲームをさせるのか、という原作からある設定に無理がある。「ローラーボール」や「バトルランナー」みたいに、テレビがどぎついショーとしてやる、というのなら誇張としてはわかるが。単なるゲームの設定のための設定で、本当の国家にはあてはまらない。戦争における殺人をゲームではなくもっと美化したものにしなければ“国家”のタテマエは成立しないし、単に“間引き”のためというなら、近代武器を使わせるのは金がかかりすぎるだろう。(兵器を売るための方便、としてバトルが設定されているのかという展開を途中まで勝手に考えていた。これは考え過ぎ)

殺しあいを楽しむゲーム感覚と、閉じ込められた子供たちが殺しあいを始めるというのは、くっつきそうでくっつかないのだ。国なんてものがなくても閉じた状況に置かれた子供達が別に強制されなくても殺しあいを始める「蝿の王」の物語の方が説得力がある。

テロ組織の「ワイルド7」ってネーミングも問題あり。パクリの上に元祖は権力側のテロじゃないか。それと、使っている小銃が共産圏(ソ連とは限らない)製のカラシニコフっていうのもねえ。
(☆☆★★)


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