「トロル2」とはいっても、「トロル」とは何の関係もない「ゴブリン」という映画をレッテルをはりかえて公開したらあまりのひどさに最初は無視されたが、そのうちあまりのひどさが逆に話題になって妙な人気が出てきて作り手が映画祭の類に引っ張り出されるのを追ったドキュメンタリー。
サイテー映画をそのサイテーぶりを楽しむ、という見方がいつごろから現れたのかよくわからないが、実感としては今はなき東京ファンタスティック映画祭の初期の熱狂がそれにあたると思う。
「死霊の盆踊り」などは正式出品されないで番外上映にまわされてしまったわけだが、ビデオが急激に普及してとにかくなんでもいいからリリースしなくてはいけないものだから強引な宣伝を仕掛けたのと、観客の側が映画をありがたがって見ないでツールとして利用する見方とが一致して「お祭り」化したのと軌を一にしたように思う。「カルト」なんて便利な言葉も出てきたのがうまくオモチャ化、お祭り化をそれと思わせなくした。
当時としてはもったいぶった映画の見方に対するアンチテーゼみたいな気分があったのだが、たちまち映画を内実や作り手と関係ないオモチャ化するようになったと今にして思う。
サイテー映画「トロル2」の作り手側がマニアのおもちゃになって最初は喜ぶが途中から憮然とするあたりはどうも痛ましい。当時サイテー映画にはしゃいでいた身としてはどうもいたたまれないような気分にもなる。「カブキマン」を見たと「カブキマン」の配給会社の人に言ったら、あんなもの見たんですかと言われたのを思い出す。
前はそんなにひどいなら見てみようという気にもなったが、今では時間のムダだとわかったので見ない。作り手にとってはオモチャになるのと無視されるのとどっちがいいのか、という究極の選択になるが、いちいち考えなくなった。
「死霊の盆踊り」の監督などは映画祭の後も正式出品作だと思っていたらしいが、だとしたら幸せだ。
本ホームページ
サイテー映画をそのサイテーぶりを楽しむ、という見方がいつごろから現れたのかよくわからないが、実感としては今はなき東京ファンタスティック映画祭の初期の熱狂がそれにあたると思う。
「死霊の盆踊り」などは正式出品されないで番外上映にまわされてしまったわけだが、ビデオが急激に普及してとにかくなんでもいいからリリースしなくてはいけないものだから強引な宣伝を仕掛けたのと、観客の側が映画をありがたがって見ないでツールとして利用する見方とが一致して「お祭り」化したのと軌を一にしたように思う。「カルト」なんて便利な言葉も出てきたのがうまくオモチャ化、お祭り化をそれと思わせなくした。
当時としてはもったいぶった映画の見方に対するアンチテーゼみたいな気分があったのだが、たちまち映画を内実や作り手と関係ないオモチャ化するようになったと今にして思う。
サイテー映画「トロル2」の作り手側がマニアのおもちゃになって最初は喜ぶが途中から憮然とするあたりはどうも痛ましい。当時サイテー映画にはしゃいでいた身としてはどうもいたたまれないような気分にもなる。「カブキマン」を見たと「カブキマン」の配給会社の人に言ったら、あんなもの見たんですかと言われたのを思い出す。
前はそんなにひどいなら見てみようという気にもなったが、今では時間のムダだとわかったので見ない。作り手にとってはオモチャになるのと無視されるのとどっちがいいのか、という究極の選択になるが、いちいち考えなくなった。
「死霊の盆踊り」の監督などは映画祭の後も正式出品作だと思っていたらしいが、だとしたら幸せだ。
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