prisoner's BLOG

私、小暮宏が見た映画のノートが主です。
時折、創作も載ります。

「山谷(やま) やられたらやりかえせ」

2020年02月10日 | 映画
"東京山谷の日雇い労働者が直面する現実や、敵対する暴力団との闘いを記録した自主製作映画。この「寄せ場」の闘争を通じて映画という手段を選んだ佐藤満夫(1947-1984)は、撮影11日目に暴力団組員に刺殺される。その遺志を引き継いだ労働者のリーダー山岡強一(1940-1986)と制作上映委員会は全国の「寄せ場」を行脚するが、その山岡もやがて凶弾に倒れた。映画史的な文脈から独立して闘争手段としての映画の可能性に賭けた本作は、日本のドキュメンタリーにおいて類なきポジションを占める。 "
(国立映画アーカイブの解説)

今の日本とはまるで別の国のよう。今は山谷といってもかつてのドヤ街は外国人バックパッカーが寝泊まりする場にシフトしているが、ここでの山谷はルンペン・プロレタリアートの闘争あるいはとんど革命の場のようですらある。
泪橋といっても、当然「あしたのジョー」の下町の風景とは大きく違う。あれは、ちばてつやが育った下町の風景だろう。

寄せ場のシャッターが開きかけると隙間からわらわらと日雇い労働者が殺到してくる図など、知識として知ってはいても実際に映像として見ると生々しさに圧倒される。

機動隊と一般人が揉み合って争う、しかも機動隊の方がやや下がりぎみで応対している図というのはまず今の日本では、よくも悪くも見られなくなってきている。
というか、昔はこういう争乱状態は異例であり排除すべき対象として捉えられていたのだろうが、今見ると、不正義と理不尽に対して一種動物的に生き物としてのエネルギーむき出しに争っていく姿はある意味健全にすら見える。

実際、ここであからさまな形で描かれる搾取と弾圧、警察が守っているのは体制であって市民社会でも、ましてや被差別民ではない(守る対象は体制によって恣意的に決められる)という事実そのものは実は表面的に見えなくされているだけで、それがむき出しになっていてわかりやすい。
さすがにこうも暴力団が表に出てくるのは認めない方針に転換してはいるだろうが。

国立映画アーカイブの上映は日曜16時からでもあるだろうけれど、一つの空席もない満席。「前に公民館で見たのよりずっと細かいところまでよく見えた」と連れと話している年配の人あり。





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