
聾唖者ばかりの一家で唯一健常者の娘が歌の才能を見出されて村から出ていく、という話なのだけれど、通常のドラマの組み立てとすると歌と耳が聞こえない人たち、という組み合わせが必ずしも障害にはならないのですね。
つまり折角の娘の歌を両親が聞くことができないというのは悲しいことではあるけれど、親の身としてみればそれはそれとして娘の才能を伸ばしてやりたいと思うし実際その通りになるので、強いて邪魔することはないし、無理解な人間が介入するわけではない。
ふつうに善意に乗っていけばいいことで、別にドラマドラマしていなくてはいけないわけではないし、しょうもない政治家の障碍者に対する認識の甘さは出ているけれど、それはスケッチ程度にとどまる。
キャラクターが全員いい人というのは悪くないし、歌も(あまりなじみがないが)効いているけれど、なんか苦汁が効いていない上等な豆腐みたい。
歌詞にマルキ・ド・サドなんて出てくるというのは日本ではおよそ考えにくい。両親が性生活についてあけすけなのもフランスらしい。一方でヒロインが意外と晩熟なのもむしろありそう。
音楽教師がちょっと身体の構えとか横隔膜の使い方を指示するだけでがらっと声の出方が変わる、というのは実際にあることで、いつまでも声を潰して喚くのが熱い訴えになっていると錯覚している選挙をしている国としては、見本にしてもらいたいところ。日本で身体的なことで教えられるし学べることですっぽ抜けていることは山ほどある。
(☆☆☆★)

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エール! 公式ホームページ
エール!@ぴあ映画生活
映画『エール!』 - シネマトゥデイ
つまり折角の娘の歌を両親が聞くことができないというのは悲しいことではあるけれど、親の身としてみればそれはそれとして娘の才能を伸ばしてやりたいと思うし実際その通りになるので、強いて邪魔することはないし、無理解な人間が介入するわけではない。
ふつうに善意に乗っていけばいいことで、別にドラマドラマしていなくてはいけないわけではないし、しょうもない政治家の障碍者に対する認識の甘さは出ているけれど、それはスケッチ程度にとどまる。
キャラクターが全員いい人というのは悪くないし、歌も(あまりなじみがないが)効いているけれど、なんか苦汁が効いていない上等な豆腐みたい。
歌詞にマルキ・ド・サドなんて出てくるというのは日本ではおよそ考えにくい。両親が性生活についてあけすけなのもフランスらしい。一方でヒロインが意外と晩熟なのもむしろありそう。
音楽教師がちょっと身体の構えとか横隔膜の使い方を指示するだけでがらっと声の出方が変わる、というのは実際にあることで、いつまでも声を潰して喚くのが熱い訴えになっていると錯覚している選挙をしている国としては、見本にしてもらいたいところ。日本で身体的なことで教えられるし学べることですっぽ抜けていることは山ほどある。
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