アル・パチーノが本書の著者であるジャック・キヴォーキアンを主人公にしたドラマを見て、読んでみた。
ドラマだと安楽死を推進する活動とそれを告発する検察との対決の方に焦点が当てられていたが、本書ではかなりの部分を死刑執行後臓器を提供することに死刑囚自身が同意しているのに、「お上」が正当な理由もなく説明もしないで、キヴォーキアンと死刑囚の申し出を却下していることに対する抗議が占めている。
いずれにせよ、なぜ安楽死が認められないのか、という説明を反対派がきちんとするというシーンはない。
そんなことは言うまでもない、論外を通り越して議論の俎上に上げるのも汚らわしいという扱い。キリスト教文化圏ということもあるだろうが、日本でも議論自体を避けているのは一緒。
ある程度それもわかるので、私は臓器移植を最近保険証で告知するようになるずっと前から臓器移植提供カードで「すべてOK」にマルをつけて署名しているが、「家族の同意」欄は空白にしている。自分ひとりならといいのだが、そういう意思表示を家族にするのに抵抗はありますからね。
最近、ブレインバンクというものの存在を知って、たとえばうつ病で自殺した人の脳を提供してもらい、その中がどんな状態になっているのか調べるのに使うと聞いて、ちょっとぎょっとしたのを覚えている。摘出したガン組織を調べて研究に供するのと同じことではあるのだが、感情的な違和感はありますね。まして自殺した人の家族においておや。
聞きかじりを続けると、「脳の科学史」小泉英明・著 によると、第一次大戦以降の戦争で頭部に負傷して生きのびた兵士が、脳のどこに損傷を受けるとどういう障害が出るかという研究ができるようになって、脳科学が大幅に進歩したという。医学の進歩というのは、一方で犠牲者たちが支えているものだなとも思う。