prisoner's BLOG

私、小暮宏が見た映画のノートが主です。
時折、創作も載ります。

「一億玉砕」(小説)

2020年03月22日 | 小説
現代の東京。人、人、人。
レストランにコンビニにあり余る食べ物。
走り回る各種の交通機関。
東京湾上空に、飛び上がって行く、ジャンボジェット。
ジェットの客の視点から、湾を出入りする大小の船がばら撒かれたように見える。
ジェットは雲に入り、視界が白く濁る。
雲の上に出る…。
と、零戦がジェットと平行して飛んでいる。
客「…零戦?」
日の丸を胴に染め抜いた、紛うかたなき零戦。
すうっと零戦はジェットから遅れ、視界から消える。
客「航空ショーでもやっているのかな」
突然、衝撃が走り、ジェットが大きく傾ぐ。
零戦がジェットの翼に機銃掃射を浴びせている。
たちまち、火を噴くジェット。
みるみる高度を下げ、湾に落ちて行く。
東京湾に浮かぶタンカーにジェットが落ち、火山の爆発かと見まごうばかりの火と煙を吹き上げる。
ジェットを撃墜した零戦、そのまま機首を曲げ、東京の街に突っ込んで行く。
雲の中から、すうっと何十機もの零戦が姿を現わす。
渋谷・スクランブル交差点
「戦争反対」と幕を広げている団体。
その向こうで右翼の街宣車ががなっている。
空の彼方にぽつんと零戦が現れ、みるみる大きくなる。
人ごみの上に機銃掃射が走る。
朱に染まった「戦争反対」の幕が破れ、ちぎれた腕がその向こうから飛んでくる。
爆発する街宣車。
国会議事堂はあたかも、会期中。
一機の零戦が現れ、みるみる近付いてくる。
胴に爆弾をくくりつけている。
見ている、警備の警官たち。
近付いてくるのが何であるか、見てはいても理解できていない。
そのまま特攻式に議事堂に突入する。
議員たちが、閃光に包まれる。
靖国神社に奉納されている絵馬の群れ。
零戦・コックピット。
「…帰って、きたぞ」
靖国神社に特攻式に突っ込むする零戦。
火柱が噴き上がる。


「架空OL日記」

2020年03月21日 | 映画
原作もテレビドラマ版も見ていなかったので、冒頭当然OLが出てくると思ったら男のバカリズムが演じているのに、目が点になった。
夏帆が演じる女のOL(本来当たり前だが)が登場して練馬駅前(この場所設定がなんとも言えず芸が細かい)でやりとりしても、夏帆はごく当たり前に話していて相手が男が演じているのを何も気にせず、そのやりとり自体が日常的なようで細かいところにこだわりすぎて何かデフォルメされたおかしさが湧いてくる。

これはちょっと並々ならぬ世界観の作り方だなと思うと、その後も淡々とそのおかしさにキャラクターたちも作り手も何事もないかのように日記を重ねていく。

おかしいといっても、女装が可笑しいなどといった古ぼけたものではない。
ちょっと「家族ゲーム」から「ときめきに死す」の頃の森田芳光をもう少しナチュラルにしたような日常のデフォルメが続く。
グルメか美容かファッションかといったイメージとしてのOL像をあえてなぞってそれ以上新しいイメージを付与するようなことをしていない。
ラストの括り方の世界の歪みが一気に臨界を抜けるような不気味さも納得出来る。

何人ものOLが井戸端会議式に、それもしばしば物を食べながらおしゃべりする、のをフルショットで納め続けてナチュラルなままお芝居になりおおせているさりげない力量。

更衣室が頻繁に舞台になるが下着姿を見せない。ナマな肉体をさらすと男女差があからさまになるからでもあるだろうし、絵面として下世話になるのを避けたようでもある。




3月20日のつぶやき

2020年03月21日 | Weblog



「野性の呼び声」

2020年03月20日 | 映画

最近は動物も飼い慣らした本物の動物ではなく、CGで処理するのが普通になってきている。
CG技術の発達もだが、動物愛護の基準が上がって危険な目に合わせるのはもちろん、過重労働を強いてもいけないことになったせいも大きいだろう。

「トゥルーライズ」でシュワルツェネッガーが土砂降りの雨の中で散歩させる犬が実はロボットなんて例もあったし。

今回のはアニメーション的な動きをつけている感じで、感情表現が分かりやすい。





3月19日のつぶやき

2020年03月20日 | Weblog









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「Fukushima50」

2020年03月19日 | 映画

正直、この映画の評価は見る前から党派的にきまっているものがものが多くて、実際に見てもそれらに影響されない自分の感想を持てるかどうか怪しい。
白紙で見て自分の感想を持つというのはそれほど簡単ではないだろうが、態度を保留していいものでもない。

ずいぶんと当たり障りのない、あれだけの大事故を当たり障りなく描くことがふさわしいのかと思った。

事故の再現の画面上のリアリティーは確保されていたが、それが現実にどう位置づけられるかで緩さが出た。

商業映画としてはヒーローを立てた方が作りやすいし受け入れやすいだろうが、本来ヒーローが解決できることではないだろう。

ラストの字幕はいささか鼻白んだ。




3月18日のつぶやき

2020年03月19日 | Weblog








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「初恋」

2020年03月12日 | 映画
ヤクザの描き方などまるっきり暴対法施行前のそれで、内野聖陽のムショ帰り(スマホをめずらしがること)ぶりで時代のズレを意識的に取り込んでいる。

ベッキーのブチ切れぶりが痛快。なんでバッシングされたのか実はよく覚えていないのだが、逆に一皮剥けた感じ。

ヴァイオレンス描写がコメディに踏み出して相当にふざけた展開につながる辺りのジャンルの横断ぶりかユニーク。のジャンル横断ぶり。
ヒロインが清純派(って死語かというとそうでもない)風でいてシャブ中で、とんでもない幻覚を見るあたりのブラックな可笑しさ。




3月11日のつぶやき

2020年03月12日 | Weblog



「ガン・ファイター」

2020年03月11日 | 映画
製作が1961年ということは、主演のカーク・ダグラスと脚本のダルトン・トランボが組んだ「スパルタカス」の翌年ということになる。
トランボがそしてそれまで赤狩りで出せなかった名前を出したのはスパルタカス」とオットー・プレミンジャー監督の「栄光への脱出」からで、これは名前を堂々と出せるようになってすぐの仕事。

お尋ね者のカーク・ダグラスとそれを追う保安官のロック・ハドソンがダグラスが昔わけありだった女とその娘が仕切るロングドライブ(牛追い)に、呉越同舟の体で女たちを助けながら旅に出る。

牛の大群の移動や砂嵐の襲来といったスペクタクルも盛り込んでいるが、西部劇としては女性キャラクターの比重がかなり大きく、ダグラスと娘役のやたら可愛いキャロル・リンレーが一緒にいるとどうも危なくていけない。
ダグラスは完全な悪役、それも母親と娘両方を相手にする毒々しい悪役にもなりうる役で、ネヴィル・ブランドが盗賊役で出てきたりするが、いわゆる西部劇の定型が崩れてきている感じ。
監督がロバート・アルドリッチという男性的アクションものが得意という売りを一方で持っていて、「何がジェーンに起ったか?」のようなニューロティックな女性映画も作れる監督というのも微妙なスタッフ編成。

本格的に西部劇が崩れたのはベトナム戦争からだが、この頃はベトナムの南北対立が激化していて、アメリカ国内でもトランボの復権のように一方的な反動路線はほころびを見せていた時期ということになる。

クライマックスの対決はよくある背中会わせからだんだん遠ざかっていくのではなく、遠くからだんだん近づいていく趣向。様式よりリアル寄りとも言えるだろう。



3月10日のつぶやき

2020年03月11日 | Weblog

「黒い司法 0%からの奇跡」

2020年03月10日 | 映画
それにしても冤罪というのは杜撰な捜査と決めつけの産物で、きちんと常識を働かせればおかしなところは簡単にわかるのだが、その誤りを認めさせるのが大変な点ではどこも一緒と思わせる。
理屈が正しいから勝つわけではなく、まして人種偏見が絡むと正すのは本当に困難。

キャラクターの中で大きく変わるのは、冤罪を決定づける証言をした白人の囚人、本物の死刑執行の光景を見てしまい、少しづつ囚人に対し人間的な感情を持つようになる若い看守、など実は脇の白人キャラクターだったりする。
変わるのは黒人より白人の側というメッセージでもあるし、一種の慰撫政策ならぬ製作でもあるだろう。

マイケル・B・ジョーダンとブリー・ラーソンの人種や性別の違いと無縁な相棒感覚がいい。




3月9日のつぶやき

2020年03月10日 | Weblog




「スケアリーストーリーズ 怖い本」

2020年03月09日 | 映画
一冊の本が伝えるいくつもの物語が、繰り返され積み重ねられると現実のものになるという、ミヒャエル・エンデの「はてしない物語」をちょっと思わせるモチーフ。

もっともその分構成的には奇怪なクリーチャーが唐突に出てくる繰り返しみたいになってルーズで、わけがわからないコワさもあるが、中途半端にまとめた印象が先に来る。




3月8日のつぶやき

2020年03月09日 | Weblog