ものすごく昔の記憶がありまして、果たしていつ頃の記憶なのか全然わからなかったのですが、ようやくかなりはっきりしたのでここに書き留めておきたいと思います。
私がまだ幼かった頃、生母の心臓弁膜症はすでにかなり悪く、寝ていることが多かったのです。というより、そもそも元気な姿というのを見た記憶がありません。保護者同伴の幼稚園の遠足も母は家で寝ていました。父は仕事に行き私は1人だったので、今思えば少し淋しかったくらいですが、両親の心中は辛いものがあったかもしれません。
それよりさらに何年か前のことです。私が小学校に入学する1958(昭和33)年春まで、父は独立前で親方の元で働いており、毎日自転車で通勤していました。
当時の父は30歳代前半~半ばでしたが、私の目にはもっと老けて見えました。
父は私を連れて隣町のお寺、大山寺という大山の中腹にあるお寺に、よくお参りしていました。途中吉野川という大きな川を渡りますが、渡し船で対岸に渡った記憶と、潜水橋(別名沈下橋)を父がこぐ自転車で渡った記憶の両方が有ります。橋は渡しの少し下流にありました。この記憶、これは果たしていつの記憶だったのか・・・・?
久しぶりに思い出して調べたところ、1954(昭和29)年に潜水橋ができて渡し船が廃止されたと、地元の国交省河川国道事務所の記録にありました。私は1951年12月生まれなので、この渡し船に乗った記憶は3歳になる以前のものであること、つまり2歳の頃の記憶であることがわかって驚きました。驚きましたが、これで疑問が解けました。
この潜水橋、当時は川全体に架けられた橋ではなくて、水が流れる南半分にだけ架かっていて、北半分は河川敷を整備した道路(と言っても未舗装)になっていました。お盆に墓参りに帰る予定なので、橋のたもとまで行ってみたいと思います。
このお寺ですが、母も一緒に三人でお参りに行ったことがあります。いつものように麓の民家に自転車(※この頃は多分自転車オートバイ)を預けて(三人乗りしてました)、そこから山道を登っていきます。半分も登ったかどうか、見晴らしの良いところで母は1人休憩することになりました。父と2人でお参りを済ませ、再び母と合流しました。
・・・・と書きましたが、私が覚えているのは、母を残して父と2人でお参りに出かけるところまでです。この日は晴れて良い天気でした。
※この頃、自転車にエンジンを後付けした、自転車オートバイというものが流行し、親父も近所の自転車店でエンジンを取り付けてもらいました。
自転車オートバイの写真を載せておきます。一例ですが・・・・
写真はここから引用しました。
潜水橋とはこんな橋ですが、少し前のNHKのクローズアップ現代で数秒間だけ映りました。吉野川には7つの潜水橋がありますが、最下流の高瀬潜水橋が最長です。番組構成上においても、これが昔よく通った橋ではないかと思います。
私がまだ幼かった頃、生母の心臓弁膜症はすでにかなり悪く、寝ていることが多かったのです。というより、そもそも元気な姿というのを見た記憶がありません。保護者同伴の幼稚園の遠足も母は家で寝ていました。父は仕事に行き私は1人だったので、今思えば少し淋しかったくらいですが、両親の心中は辛いものがあったかもしれません。
それよりさらに何年か前のことです。私が小学校に入学する1958(昭和33)年春まで、父は独立前で親方の元で働いており、毎日自転車で通勤していました。
当時の父は30歳代前半~半ばでしたが、私の目にはもっと老けて見えました。
父は私を連れて隣町のお寺、大山寺という大山の中腹にあるお寺に、よくお参りしていました。途中吉野川という大きな川を渡りますが、渡し船で対岸に渡った記憶と、潜水橋(別名沈下橋)を父がこぐ自転車で渡った記憶の両方が有ります。橋は渡しの少し下流にありました。この記憶、これは果たしていつの記憶だったのか・・・・?
久しぶりに思い出して調べたところ、1954(昭和29)年に潜水橋ができて渡し船が廃止されたと、地元の国交省河川国道事務所の記録にありました。私は1951年12月生まれなので、この渡し船に乗った記憶は3歳になる以前のものであること、つまり2歳の頃の記憶であることがわかって驚きました。驚きましたが、これで疑問が解けました。
この潜水橋、当時は川全体に架けられた橋ではなくて、水が流れる南半分にだけ架かっていて、北半分は河川敷を整備した道路(と言っても未舗装)になっていました。お盆に墓参りに帰る予定なので、橋のたもとまで行ってみたいと思います。
このお寺ですが、母も一緒に三人でお参りに行ったことがあります。いつものように麓の民家に自転車(※この頃は多分自転車オートバイ)を預けて(三人乗りしてました)、そこから山道を登っていきます。半分も登ったかどうか、見晴らしの良いところで母は1人休憩することになりました。父と2人でお参りを済ませ、再び母と合流しました。
・・・・と書きましたが、私が覚えているのは、母を残して父と2人でお参りに出かけるところまでです。この日は晴れて良い天気でした。
※この頃、自転車にエンジンを後付けした、自転車オートバイというものが流行し、親父も近所の自転車店でエンジンを取り付けてもらいました。
自転車オートバイの写真を載せておきます。一例ですが・・・・
写真はここから引用しました。
潜水橋とはこんな橋ですが、少し前のNHKのクローズアップ現代で数秒間だけ映りました。吉野川には7つの潜水橋がありますが、最下流の高瀬潜水橋が最長です。番組構成上においても、これが昔よく通った橋ではないかと思います。