還暦直前に心臓弁膜症(僧帽弁閉鎖不全症弁形成術体験記)

還暦を目前にして滋賀医大の浅井徹先生の執刀で僧帽弁形成術を受けました。
私の体験が同病の方の参考になれば幸いです。

大津宮遺跡巡り

2018年11月28日 | 近郊・日帰り
667年3月から672年7月までの5年5か月間だけ存在した、大津宮(おおつのみや)の遺跡を巡りました。
遺跡は、京阪電鉄近江神宮前駅の西側を、南北に走る道路の両脇に数か所、固まって存在します。

667年3月に天智天皇が飛鳥から近江に遷都しました。そして672年、天智天皇崩御後に壬申の乱が起こり、戦いに勝利した大海人皇子が即位して天武天皇となり、都を再び飛鳥に定めたため、大津宮は廃墟になりました。たった5年半の都だったのです。

遺跡第8地点の説明板


遺跡第1地点(第8地点のすぐ北)


説明板


道路脇の標識


柿本人麻呂の歌碑
壬申の乱の後、柿本人麻呂が近江を訪ねたときに詠んだ長歌です。

柿本人麻呂作歌
玉襷 畝傍の山の 橿原の ひじりの御代ゆ 生れましし 神のことごと つがの木の いや継ぎ継ぎに 天の下 知らしめししを 天にみつ 大和を置きて あをによし 奈良山を越え いかさまに 思ほしめせか 天ざかる 都にはあれと 石走る 近江の国の 楽浪の 大津の宮に 天の下 知らしめしけむ 天皇の 神の尊の 大宮は ここと聞けども 大殿は ここと言へども 春草の 繁く生ひたる 霞立ち 春日の霧れる ももしきの 大宮処 見れば悲しも
<万葉集> 巻一 二十九番

遺跡第2地点
内裏正殿のあった場所と推定されています。大津宮の中心に当たります。

道路を挟んで反対側に遺跡第7地点と第9地点があるのですが、すっ飛ばしてしまいました^^;;;

道路をそのまま北に進むと、近江神宮に至ります。

楼門


紅葉


社務所のすぐ北に位置する近江勧学館は、かるたの名人位、クイーン位戦や高校生のかるた大会が行われるかるたの聖地です。

また、ちはやふるの舞台です。

大津宮に最も近いJR駅名は大津京です。2008(平成20)年3月15日に、それまでの西大津から変更されました。地元から、変更費用は出すので駅名を変更して欲しいと、JR西日本に要望して実現しました。

「京」はおかしいのではないかと、かなりすったもんだがあったようですが・・・・

駅名変更にかかった費用は、市内の「雄琴駅→おごと温泉駅」の改称と合わせて1.3億円だったそうです。JRからは2億と言われ、市は1億を予算に計上し綱引をして、結果1.3億に落ち着いたらしい。1.3億でできたのなら最初の2億はふっかけすぎ?