丹羽文雄「小説作法」(講談社文芸文庫、2017年)を読んだ。
巻末の編集部の註釈を見ると、最初の単行本「小説作法」(文藝春秋社、1954年)「を基に」その後の角川文庫版や「私の小説作法」(潮出版社)、丹羽文雄全集などを参考にしたとある。
ぼくは若いころに角川文庫版の「小説作法」を買って持っていたはずなのだが、読まずに放置しているうちに失くしてしまった。今回図書館で借りてきて眺めると、小説の書き方指南の模範例として示された実作が「女靴」という題名だった。この題名が昔のぼくの読む気を削いだ気がする。
社員旅行の旅先で会社の部下の女性と関係を持ち愛人関係になった(妻子持ちの)男が、海外出張先から赤い女靴を愛人と妻各々に送るのだが、取り違えて妻のサイズの靴を愛人に、愛人の靴を妻に送ってしまう。その後愛人も妻も銀座だったかのホステスになり偶然両者が出会ってしまう、という筋の小説である。
当時のぼくが書きたかったのは、庄司薫「赤頭巾ちゃん気をつけて」というか、サリンジャー「ライ麦畑で捕まえて」のような青春小説である。ところが丹羽の「小説作法」には、若手の初心者が書く恋愛小説や青春小説の批判が何か所か出てくる。こんな(失礼!)「女靴」などという小説を例にとった「小説作法」など、読んだとこところで何の役にも立たないと決めつけて早々に見切りをつけてしまったのだろう。
今読んでみると、「テーマ」「プロット」「人物描写」「描写と説明」「リアリティ」「時間の処理」「書き出しと結び」「題名のつけ方」など、興味深い見出しが続いていて、当時読んでいたらきっと役に立っただろうと思うが、「時すでに遅し」である。
結局ぼくは、いくつか書き出してはみたものの何一つ形のある物を仕上げることはできなかった。 「小説作法」など気にしないで、当時の思いのたけを自分流の文章で書きとめておけばよかったと残念に思うけれど・・・。
丹羽の「小説作法」は、一定の修業を積んだ小説家志望者が、一定レベルの作品を継続的に書きつづけ「文壇」で生き延びるための方法を指南した書のように読めた。
2024年は、川本三郎さんの講演会を機に、川本さんの(永井荷風に関する)評論から始まって、永井荷風の「断腸亭日乗」(抄録)や「濹東綺譚」、半藤一利や吉野俊彦の荷風論を読んだが、だんだん荷風に対する好意的とは言えない評価に近づいていった。紀田順一郎「日記の虚実」が最も厳しい荷風「日乗」批判であった。
さらに平野謙「昭和文学私論」、尾崎一雄「あの日この日」、高見順「昭和文学盛衰史」などで、昭和文壇の人間模様に興味を持った(これらには荷風は全く登場しない)。その登場人物である高見「故旧忘れ得べき」、石坂洋次郎「麦死なず」、丹羽文雄「鮎」、里見弴「十年」などの実作も読んでみることになった。そして丹羽「小説作法」で2024年を終えることになった。
この間驚いたことは、これらの昭和の作家の作品が新刊書店の店頭からはすっかり消えてしまっていたことであった。夏目漱石、森鴎外、芥川龍之介、菊池寛、志賀直哉、堀辰雄、川端康成・・・などなどの作品は書店の書棚には一切置かれていないのである。いつからそんなことになっていたのか。
わずかに岩波や偕成社などの少年文庫の類の中に、漱石「坊っちゃん」、芥川「杜子春」、太宰治「走れメロス」、宮沢賢治「銀河鉄道の夜」、壷井栄「二十四の瞳」、井上靖「しろばんば」などが散見されるだけである。
雪は降らねど、昭和も遠くなりにけり、である。
よもや2024年が丹羽文雄で終わるとは思ってもいなかった。NHK=BSで「エディット・ピアフーー愛の讃歌」を見ながら今年最後の書き込みである。
皆さん、良いお年をお迎えください。
2024年12月31日 記