ローナン・ファロー『キャッチ・アンド・キル』(関美和訳、文藝春秋、2022年“。原題は “Catch and Kill --Lies, Spies, and a Conspiracy to Protect Predators”,2019)を読んだ。
ハリウッドの大物プロデューサー、ハーヴェイ・ワインスタインの女優や秘書らに対する性虐待(レイプ被害を含む)を番組に取り上げて糾弾しようと奮闘するNBCテレビ記者の記録。2018年のピュリツァー賞受賞のドキュメントである。
ハリウッド映画に出演した子役たちが映画会社や親(親権者)から搾取されてきた実態を当事者(元子役)が暴いた『ハリウッドのピーターパンたち』(早川書房、1987年)のつながりで読みたいと思った。新聞に広告が載った直後の5月初旬に図書館に申し込んだのだが、18人待ちでようやく先週順番が回ってきた。
しかし2ヶ月待っている間に森達也の『千代田区一番一号のラビリンス』をきっかけに天皇に興味が移ってしまい、ほかの本を優先しているうちに返却期限が明日に迫ったので、慌てて読んだ。
偶然にも、テレビ番組を企画するテレビマンの行動を描いたという意味では『千代田・・・のラビリンス』と同工異曲だが、『千代田・・・』がフィクションなのに対して、『キャッチ・・・』は実話(ノンフィクション)である点で、迫力は圧倒的に『キャッチ・・・』のほうが勝っていた。
しかも『千代田・・・』が最終的に天皇との対面が実現するのに対して、『キャッチ・・・』のほうは結局テレビ局上層部によって放映を差し止められてしまう。それでも(というか「それだからこそ」)『キャッチ・・・』のほうが迫真性に勝っている。
『キャッチ・・・』の難点をあげるなら、告発されるハーヴェイ・ワインスタインなる「大物」プロデューサーをぼくはまったく知らなかったことである。
加害者ワインスタインが「大物」であることは本書に示された諸事実から納得できた。ワインスタインなる人物は、「恋に落ちたシェークスピア」などで独立映画を興行的に成功させる手法を確立し、「英国王のスピーチ」などの製作者であるという。それなら「大物」だったのだろう。
ところが彼は、映画祭の会場ホテルでも女優に性的関係を迫ったりする、業界でも有名ないわくつきの人物だった。被害者からクレームがつくと、顧問弁護士が登場して、高額の慰謝料と引きかえに「秘密保持契約」に署名させて口外を禁ずる。そして映画界から追放してしまう。
自分に都合の悪いスキャンダルが発覚しそうになると、探偵会社を雇って被害者側のスキャンダルを探し出して、それをネタに被害者の口を封じてしまう。本書の題名の『キャッチ・アンド・キル』とは、相手方(被害者側)のスキャンダルや弱点を見つけて(catch)、相手の告発を揉み消してしまう(kill)ことを表す業界用語だそうだ(391頁)。
本書に登場する被害者たちがどのような女優なのかも分からないので、著者が最初は信頼していたテレビ局の社長が「こんなことは番組で取り上げる価値があるか」といった疑問を呈したり、加害者が被害者を「売春婦」だと言ったりする場面で、「そうかもしれない」と思わされってしまうこともあった。被害者の中には10万ドルや100万ドル(!)の慰謝料で和解してしまった者もいたのである。しかし著者が丁寧に取材をつづけ、証言や証拠のテープを入手していくうちに、実名での報道に同意する被害者はどんどんと増えていく。
2016年に取材が始まったが、十分に証拠も固まり、社内法務部の審査も通った段階で、上層部から放映どころか調査の中止までが言い渡される。ワインスタイン側の攻撃、懐柔が功を奏したようである。結局、著者は取材内容をニューヨーカー誌に発表することになる。著者と並行して事件を取材していたニューヨーク・タイムズ紙も同時期にこの事件を記事にした。
この記事をきっかけに警察、検察当局の捜査が始まり、ワインスタインは「性的いやがらせ」「性暴力」「略奪的な性的暴行」の罪で起訴され(398~9頁)、懲役23年の刑を言い渡されウェンデ刑務所に収監される(401頁)。わざとらしく車椅子(歩行器)で裁判所に出廷する姿は日本のテレビでも放映された。
この結論を知っていたので、読んでいるときのサスペンス性はそがれるが、「悪い奴ほどよく眠る」という苛立ちを感じないで安心して読むことはできた。
なお、最後にオチがあって、ワインスタインの性虐待が報道された後に、著者のお膝元のNBCテレビの上層部らの性的嫌がらせの事案が多数発覚して、何人もが解雇や辞職に追い込まれることになったのである(414頁~)。著者の取材のもみ消しはワインスタインのためではなく、NBC上層部の自己保身のためだったのかもしれない。
ちなみに著者のローナン・ファローは、女優ミア・ファーローとウッディ・アレンとの間の子で、姉は幼児期にウッディ・アレンから性虐待の被害を受けたとして父を訴えて勝訴している。
そのため、ワインスタインは、ウッディ・アレンと映画製作で協力関係があったので、著者はウッディに対する意趣返しで父の友人ワインスタインを告発しようとしている、「利益相反」であると反論している(そんなクレームが通用するはずもないと思うが)。
著者はイェール大学ロースクールを卒業して弁護士資格を持っており、オックスフォードにも留学経験があり、ユニセフや国務省に勤務した後にNBCに入社した異色の報道記者である。本書の出版後はテレビ界に復帰できたのだろうか。
ワインスタインは民主党シンパで、クリントンやヒラリーとも親しかった。そのため彼らの本事件への関与はきわめて及び腰である。メリル・ストリープも褒められた対応ではない(ページ数は見つからなかった)。
自分が関係した作品に賞を取らせたり、大物映画監督の名前だけ借用して自作を絶賛する映画評論を掲載させたりなどといったハリウッド映画界のエピソードを読むと、アカデミー賞にノミネートされたといって騒いでいる日本の映画関係者がむなしく見えてくる。
2022年7月6日 記