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晴、19度、74%
子供の頃、昭和30年代から40年代にかけてのことです、福岡から東に向かう旅は、「寝台車」で行きました。東京の祖母、四国の母の実家、大阪の父の仕事の取引先。年に3回、4回「寝台車」に乗りました。狭い通路、窓辺にある小さな椅子、狭くて天井が低いカーテンで仕切られたの個室、真っ白なシーツの匂い、どれも懐かしく思い出します。そして一番の楽しみは「食堂車」でした。
夕陽が赤くなる頃「寝台車」に乗ります。最初は普通の座席です。しばらくするとシーツを抱えた乗務員がベットを作りにやって来ます。狭い通路でベットができるのを待ちます。上の段へは梯子で登ります。小さな穴蔵のような個室です。狭さが心地よいのは押入れのあの感覚です。目が覚めると洗面所からは知らない方達の歯磨きの匂いがして来ます。「食堂車」の開始のアナウンスが流れると、母と一緒に急いで向かいました。調理場と客席で一両車、朝のメニューは2つだけでした。「和定食「洋定食」。「和定食」を頼む人がまだ圧倒的に多かったように覚えています。子供の頃はお味噌汁もご飯もあまり好きでなく、私はいつも「洋定食」でした。「ベーコンエッグ」が目当てです。お盆にパンや紅茶が並べられ運ばれて来ます。添えられるのは「フォークとナイフ」です。目玉焼きを「フォークとナイフ」で食べる、これは私の大きな難関でした。10歳そこらの子供です、どんなに頑張っても卵の黄身が流れてお皿を汚しました。母もお給仕をしてくれる人も「お箸は?」とは聞いてくれませんでした。それでもいつも「洋定食」を頼みました。「フォークとナイフ」を手に持って、目玉焼きを見つめて今日こそきれいに食べようと思いました。
「寝台車」から飛行機に変わったのは小学5年生からでした。「食堂車」の目玉焼き、「フォークとナイフ」で食べる「目玉焼き」からは遠ざかりました。ところがかれこれ60年、いまだに私の望みは「フォークとナイフ」で目玉焼きをお皿を汚さずに食べることです。パンで拭き取ればいいのですが、パンを使わずに「ナイフとフォーク」だけきれいに食べれた日はルンルンです。
「寝台車」、「食堂車」、夜の景色、早朝の景色、どれも心に収まる記憶です。でも、「食堂車」の目玉焼き、これがいまだに私を励ましをくれる思い出です。
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