気ままに

大船での気ままな生活日誌

出久根達郎さん ”御書物同心日記”を語る

2009-01-19 09:47:20 | Weblog


”私の顔の半分、こちら側は作家の顔ですが、こっち側は古本屋のオヤジの顔です”と笑いを誘い、始まった出久根達郎さんの1時間半の講演は興味が尽きませんでした。実際、直木賞作家の出久根さんは、現在も高円寺で古本屋さんを開いているのです。横浜の、県立神奈川文学館で開催された”私の本について話そう”「出久根達郎著/御書物同心日記」の講演会にワイフと一緒に聞きにいったのです。

霞ヶ浦の向こうの北浦の中学校を出てすぐ、出久根さんは”集団就職”で東京に出て、月島の古本屋さんに就職します。この古本屋のオヤジさんがりっぱな方で、自分が上級学校へい行きたいというと、ここの古書のひとつひとつが先生であり、月謝はいらないし、いつでも気が向いたときに勉強ができる、こんないい学校はないと諭され、それに従ったそうです。小僧として、古書の読み方、値段の付け方など勉強し、次第に力をつけていき、高円寺にお店をもつようになりました。

研究書の値段の付け方で、その本に索引がついているか、いないかが、値の決め手になるという、古本屋さんの基準を聞いてなるほどと思いました。また、偽物でも、話題性があれば、高い値段がつく、ボクらはあまりみかけませんが、和本はまだまだたくさん、うずもれていて、今後300年は商売できるとのこと等、興味深いお話が目白押しでした。

徳川家康は無類の愛書家で、古い書物の収集から、出版まで手がけた方で、古本屋さんには神様のような人だそうです。家康は収集した書物を、のちに紅葉山に移し、紅葉山文庫と呼ばれるようになりました。3代将軍、家光のときに御書物奉行がおかれ、同時に、御書物方同心という職種が設けられ、蔵書の管理にあたらせたようです。以後、これらは、300年もの間維持され、現在も宮内庁等で継承されているそうです。

この間、御書物奉行の勤務日誌が書かれ、それが現在まで150年分残っているそうです。この日誌は、東大の史料編纂所で活字化されていますが、まだ完結していないという膨大な資料です。出久根さんは、この日誌を1年分読み(あとは似たようなものだそうです)、御書物方同心の日常を描いた”御書物同心日記”を書かれたのです。古本屋さんならではの題材ですね。でも、色恋もなしで、内容が地味なので、はじめ売れ行きは芳しくなかったのですが、最近、文庫本になってから、本好きを中心に売れ出したと、うれしそうに語っていました。

ボクも、著者サイン入りの文庫本をここで買い、今、読み始めたところです。そのうち、読書感想文でもと思っています。



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