熊田千佳慕(ちかぼ)展が銀座の松屋で開かれているというので観てきた。この8月13日に99歳でお亡くなりになったというニュースもあり、是非にとその数日後に出かけてきたのだ。
”プチファーブル”というあだ名は、1989年神奈川県立博物館で開かれた”ファーブル展”に彼のファーブル昆虫記に関連した絵が展示され、これを観たフランスのファーブル友の会の会長がつけたのだ。”ファーブルは虫の生態を文字で、あなたは絵筆で描き、人々に感動を与えた、クマダはプチファーブルだ”と激賞したのだった。
はじめデザイナーだったが、戦後、絵本作家に転じ、”みつばちマーヤの冒険”や”オズの魔法使い”などを描く。そして、念願のファーブル昆虫記の絵本を、なんと70歳になってっから描き始めるのである。
この展覧会でも、この時代のものが中心であるが、昆虫だけではなく、植物、動物、妖精、そしてお化け(これはうそどす)と多彩な生物画が、所狭しと並んでいる。
ファーブルの昆虫記は、昆虫少年はもちろんのこと、たいていの男の子(女の子もいたでしょうね)が、絵本や児童文学で親しんでいる。科学者の書いた本で、こんなに子供時代から読まれる本は他にはないと思う。そして、あの有名な第1巻のはじめに出てくる、糞ころがしの虫を知らない人はいないだろう。実際の場面をみたことはなくても。
もちろん、熊田さんの絵にも出てきます。動物の糞を丸くして転がしていると、他の虫が現われて、横どりしようとする。題して”ふん玉どろぼうとの争い”(笑)。
虫のお食事場面も多くありました。”森のジュースに集まる虫たち”虫のレストラン”とゆう画題も多くありました。
もちろんカマキリのような肉食昆虫は、戦いの場面も。自然界の残酷な一面も、やさしく子供たちに教えます。
植物画もすばらしい。
動物もたくさん。ここでは木の実をついばむ鳥。
猫ちゃんも。八代亜紀さんの猫図みたい(笑)。
どれもこれも、すばらしい細密画ですね。実際、使用された、絵筆、鉛筆、絵の具、羽根が展示されていました。筆先の1,2本の毛で描くこともあるようです。昆虫は動き回るので、しっかり観察して、イメージを頭に叩き込み、それを基に描くそうです。また珍しい昆虫標本が手に入ると、参考に、その形を写生しておくそうです。
横浜中区の生まれで、戦後は三つ沢の”あばらや”に住み、庭の草花に寄ってくる昆虫を腹ばいになって観察して絵を描き続けたそうです。これだけ、自然を心から愛しているので、こんないい絵ができるのですね。
虫と花と対話して
答えを待つ
そんな積み重ねが
一枚の絵となるのです。
熊田さんの言葉です。自然を愛する人は心清き人です。生前から仏さまのようなお顔でしたね。ご冥福をお祈り致します。そして、こんなにもたくさんの、感動的な絵を残してくださり、ありがとうございました。
”プチファーブル”というあだ名は、1989年神奈川県立博物館で開かれた”ファーブル展”に彼のファーブル昆虫記に関連した絵が展示され、これを観たフランスのファーブル友の会の会長がつけたのだ。”ファーブルは虫の生態を文字で、あなたは絵筆で描き、人々に感動を与えた、クマダはプチファーブルだ”と激賞したのだった。
はじめデザイナーだったが、戦後、絵本作家に転じ、”みつばちマーヤの冒険”や”オズの魔法使い”などを描く。そして、念願のファーブル昆虫記の絵本を、なんと70歳になってっから描き始めるのである。
この展覧会でも、この時代のものが中心であるが、昆虫だけではなく、植物、動物、妖精、そしてお化け(これはうそどす)と多彩な生物画が、所狭しと並んでいる。
ファーブルの昆虫記は、昆虫少年はもちろんのこと、たいていの男の子(女の子もいたでしょうね)が、絵本や児童文学で親しんでいる。科学者の書いた本で、こんなに子供時代から読まれる本は他にはないと思う。そして、あの有名な第1巻のはじめに出てくる、糞ころがしの虫を知らない人はいないだろう。実際の場面をみたことはなくても。
もちろん、熊田さんの絵にも出てきます。動物の糞を丸くして転がしていると、他の虫が現われて、横どりしようとする。題して”ふん玉どろぼうとの争い”(笑)。
虫のお食事場面も多くありました。”森のジュースに集まる虫たち”虫のレストラン”とゆう画題も多くありました。
もちろんカマキリのような肉食昆虫は、戦いの場面も。自然界の残酷な一面も、やさしく子供たちに教えます。
植物画もすばらしい。
動物もたくさん。ここでは木の実をついばむ鳥。
猫ちゃんも。八代亜紀さんの猫図みたい(笑)。
どれもこれも、すばらしい細密画ですね。実際、使用された、絵筆、鉛筆、絵の具、羽根が展示されていました。筆先の1,2本の毛で描くこともあるようです。昆虫は動き回るので、しっかり観察して、イメージを頭に叩き込み、それを基に描くそうです。また珍しい昆虫標本が手に入ると、参考に、その形を写生しておくそうです。
横浜中区の生まれで、戦後は三つ沢の”あばらや”に住み、庭の草花に寄ってくる昆虫を腹ばいになって観察して絵を描き続けたそうです。これだけ、自然を心から愛しているので、こんないい絵ができるのですね。
虫と花と対話して
答えを待つ
そんな積み重ねが
一枚の絵となるのです。
熊田さんの言葉です。自然を愛する人は心清き人です。生前から仏さまのようなお顔でしたね。ご冥福をお祈り致します。そして、こんなにもたくさんの、感動的な絵を残してくださり、ありがとうございました。