気ままに

大船での気ままな生活日誌

トリノ・エジプト展

2009-08-28 09:47:21 | Weblog


トリノというと、ボクには荒川静香が金メタルをとった処というくらいの知識がなく、ここに、大英博物館やルーブルの所蔵品に匹敵する、古代エジプトコレクションをもつ博物館があることを今まで知らなかった。

東美のトリノ・エジプト展を観てきた。たいていの人はトリノ博物館って?と思うだろうと思って、ちゃんと第1章は博物館の紹介から始まった。なんと3万3千点の所蔵品があるとのことだ。19世紀ナポレオンの遠征に従軍した、ドロベッテイ(どろぼーテイじゃないですよ;爆)が蒐集したものだそうだ。

トリノ博物館での展示室は、鏡を導入したり、照明装置を駆使して、少しでもより良い鑑賞をと、演出をこらしているが、今回の展覧会でもそのような工夫が取り入れられていた。

第二章の彫像ギャラリー。ここに、今回の主役、少年ツターカーメンとアメン神の並んだ彫像がある。ツターカーメンは少年らしい純真な顔であったが、神であるアメンも、少しもえらそうなところがなく、まるでお兄さんかお姉さんのような姿であったのが印象的であった。神は身近なものであったのだろうか。

アメン神とツターカーメン王の像

オシリス神をかたどった巨像頭部


神は身近なところに存在する。第三章に”祈りの軌跡”でそれが分かった。古代エジプト人は、非常に信心深い人々であることを知った。それも、超人的な能力をもつ、動物、たとえば隼やトキ、ジャッカルそして猫まで、神として尊敬されていた。もちろん太陽、月、ナイル河、など、もろもろの自然も崇拝されていて、太陽神ラーは、国家神だった。多神教なのだ。日本人もむかしからそうだった。自然を恐れ、あがめていた。(現代は、そうゆうひとが少なくなってしまったが)。

隼、トキ、ジャカルの像

青銅製の猫の像


エジプトの原始王朝がBC4000年ぐらいから始まり、この前、横浜で観た、絶世の美女、クレオパトラで終わる、BC30年まで、4000年もの間、いろいろあったにしろ、比較的平穏な王朝が続いていたのだから、すごいことだと思う。(ここでは第20王朝(BC1186~BC1070年頃)時代のものが中心に展示されている)これは、民衆にこうゆう自然をあがめる宗教心があったことが根底に関係しているのではないかと、勝手に思ってみたりする。

それに引き換え、AD以降、現代まで引き続いている、宗教間の争い、あるいは同一宗教でも宗派間の争いは絶えない。元祖はりっぱな人だったかもしれないが、そんな姿をみていると、宗教家あるいは信徒とは名ばかりで、宗教心のかけらもないようにみえる。もちろん、りっぱな方もたくさんいらしゃるが。

それ以降の章は、死後の世界である。古代のエジプト人は、再生と復活を信じて、墓がつくられ、遺体をミイラにして埋葬した。こういう考えは、日本人には、少なくとも、ぼくにはない。死後は自然に同化し、魂ぐらいが残り、時たま、この世の見物に来るくらいで十分だ(笑)。みいらの作り方も勉強できた。内臓も脳も取り出し、甕に納め、外観は腐敗しないように処理して、お棺に入れる。多種類の護符が、ミイラとともに副葬される。そうゆう、ミイラ、彩色木棺や副葬品の数々も展示されている。

ロータス(蓮)文様のファイアンス製容器。青空のような、うつくしい色だった。


一度も訪れていないエジプト。また行きたくなってしまった。砂漠を歩くのはもうきついので、ナイル川をクルージングで、のんびりとかな(汗)

コメント
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