気ままに

大船での気ままな生活日誌

皇室の名宝/日本美の華

2009-10-08 14:30:53 | Weblog


この6日から、東博で”皇室の名宝展”が始まった。その初日の午後、出掛けた。小雨模様で、平日であったこともあり、思いのほか空いていて、ゆっくりと”名宝”を観賞することができた。さすが、皇室の所蔵品だけあって、すばらしい作品ばかりで、大満足だった。

とりわけ、”動植綵絵”三十幅が勢ぞろいした、”伊藤若冲の部屋”には、その豪華絢爛たる様に圧倒され、どぎもをぬかれた。ぼくはもともと生き物が好きだし、その生き物たちを細密に描く若冲には、はじめから好感をもっていた。ただ、少しこってりした感じが、ちょっと自分の好みには合わないような気がしていた。しかし、何度か彼の作品を観ているうちに、好感度が増してきていて、今回さらに、その度数が上がったようだ。

三十幅の中には、それこそ様々な動植物が登場する。とくに、ぼくの干支でもある鶏を中心とした鳥類が多いが、樹木、草花、魚や蛸まで顔を出してくれる。どの動物の眼差しもやさしく、どの花々も笑みを浮かべている。若仲が動植物を心から愛していたことがよくわかる。実際、自分の家に鶏を何十羽も飼っていたそうだ。それに、裏彩色という技法を随所に使ったり、西洋からきた濃青色のプルシアンブルーをはじめて使用するなど、技術的な工夫にも怠りなかったらしい。それも、人生50年の時代に、40歳で家督をゆずってから(定年退職してから)、絵画を始めたゆうのだからすごいことだ。


永徳の”唐獅子図屏風”の唐獅子は迫力があった。一方、となりの左隻、狩野常信の唐獅子はやさしそうで女形の唐獅子のようだった(笑)。常信は永徳の曽孫になるらしい。きっと、やさしい性格だったのだろう。下図は恐い方の唐獅子。刺青するなら、こちらの方かな(笑)。


明治に入って、帝室技芸員という制度ができ、これに選ばれることは大変名誉なことであった。大観もそうだし、松園もそうだった。おふたりの作品も展示されていた。大観の朝陽霊峰。これは左隻だが、右隻は対照的な、静かな深山のような景色であった。


そして、松園の”雪月花”。雪は枕草子、月は源氏物語、そして花は伊勢物語にもとずく王朝風俗をあらわしたものである。

その隣りに、清方の”讃春”。左隻は清洲橋を背景にした隅田川の水上生活者の母娘(だったと思う)、右隻は皇居前広場でくつろぐ制服姿の女学生。貧富にかかわらず平等に訪れる春のやすらぎ。清方らしい作品で、印象に残った。

どれもこれも良かったので全部は紹介できない。北斎の西瓜図、円山応挙の牡丹孔雀図も、70歳からやまと絵に転向したという、海北友松の浜松図屏風だって良かった。工芸品も、七宝の花瓶などうつくしいものが多かった。

ひとつのガラスの花瓶に目がとまった。菊桐鳳凰文ガラス花瓶(大連窯業株式会社製)だ。日本近代ガラス製品史上に残る名品だそうである。そしてこの図案は各務鑛三(かがみこうぞう)によるものだという。ガラスに詳しくないボクだが、各務の名でピンときた。あの、カガミクリスタルの創始者ではないかと。宮内庁や大使館関係に、高級ガラス製品を納めるクリスタルガラスの会社なのだ。何故知っているかというと、その工場が茨城県のつくばの里工業団地にあって、年に何回か、安売りする日があり、そこで、江戸切子のぐい呑みや花瓶を買ったことがあるからだ(茨城県民の時代にだけど)。

というわけで、その晩はブルーのカガミクリスタル製江戸切子で、晩酌をやったのだった(汗)。一方、この花瓶は重いからいや、と言ってワイフはお蔵入りにしている。もったいないことだ。我が家の”名宝”(汗)も、たまには公開してほしいものだ。

”皇室の名宝展”の第二期は”正倉院宝物と書・絵巻の名品”で11月12日から始まる。これも是非行きたい。その前に、奈良の正倉院展に行く予定にしている。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする