気ままに

大船での気ままな生活日誌

平家物語の帰り道

2009-10-16 18:39:33 | Weblog


女子大の生涯学習センターの秋季講座が始まった。ぼくは火曜日の芭蕉と、金曜日の平家物語を受講している。どちらも、3年間ほど続けている。火曜日は家の近くのキャンパスだが、金曜日は、二階堂校舎で、結構、距離があるが、鎌倉駅からいつも歩く。

前面の大きな窓に緑があふれる、すばらしい教室である。”緑陰講座”といった風情である。受講者は、当然ながら、年配の方が多いが、みなさん、居眠りもせず(ぼくはときどき;汗)、熱心に聴いておられる。先生は、半分おだてて、鎌倉の人はレベルが高いから、大学院レベルの講義をしてるんですよ、といつも言う。でも、ボクの友人の大学教授は、最近の大学院生は、博士課程が、われわれの時代の修士程度、修士課程は、学部生程度の実力だと聴いているから、別に驚くことはない(笑)。

平家物語を読むだけではなく、吾妻鏡とか玉葉の歴史書や、謡曲なども取り入れてくれ、素人のぼくには、とてもうれしい講義である。この日から巻十一に入り、”義経と源氏軍の内訌”というテーマで、義経が後白河法皇に平家追討の意志を奏上し、西国に向かうところである。次回は屋島、次々回は、壇ノ浦と、いよいよ佳境に入る。

帰り道のそぞろ歩きも楽しい。頼朝の墓所の横を通り、幕府(大倉)のあった場所の辺りを抜けて、八幡宮に入る。八幡宮の源平池で一休み。平家を滅ぼそうとした頃、1182年に政子が大庭景義(茅ヶ崎辺りを本拠にする武将)につくらせた池である。面白いのは、太鼓橋を境に、近代美術館前の西側の池を平家池として、平家が滅ぶように四つ(死)の島をつくり、東側には三(産)つの池をつくり、源氏池と称し、源氏の繁栄を願ったという。

四つの島がみえる平家池畔。白い建物は美術館。

三つの島がみえる源氏池畔。

源氏池のひとつの島に旗上げ弁財天社がある。平家追討のために旗上げしたときに弁財天に励まされたことにより、建立した。






こんなふうに、平家物語ゆかりの場所を、ぶらぶら歩いて帰れるのは、とてもうれしいことだ。
。。。

段蔓の通りの、ハトサブレの本店の前のつつじが、また(去年も)狂い咲きをしていた。それにしても、ハトサブレのハト文様、なかなかいいな。
源氏の都だけあって、つつじもハトも、白になっているのだろうか。実際、源平池には白鳩も多い。





今日はこれから、新根津美術館に行こうと思っている。
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大乱歩展 in 横浜

2009-10-16 10:36:47 | Weblog


昨晩、久しぶりに、高校時代の友人と川崎で飲んだ。話しの中で、友人は自分が一番、本を読んだ時期が三度あり、最初は少年時代の乱歩の”怪人二十面相”シリーズであり、二度目は三十代で横溝正史シリーズ、そして今(五木寛之)だそうだ。

そうかい、俺は昨日、横浜で乱歩展に行ってきたばかりだよ、それに、乱歩は後輩の横溝正史を引き立てていたそうだよ、と受けた。もちろん、ぼくらの世代は、明智小五郎、小林少年、そして怪人二十面相を知ない人はいないだろう、それほどの人気だった。たしか、月刊誌、少年倶楽部に連載されていたはずだったし、少年向けの単行本シリーズもあったはずだ。ぼくももちろん読んだ。

その時代、ぼくは、山川惣治の”少年ケニア”の大フアンでもあって、いつか弥生美術館で山川惣治展を観にいって、なつかしの単行本シリーズを目の当たりにして、懐かしさで胸がいっぱいになってしまったものだ。だから、今度の、乱歩展でも、当時の単行本シリーズや少年倶楽部の展示を期待していた。

しかし、残念ながらというか、その関連の本の展示はなく、少年ケニアのときのような、なつかしさを感じることがなかった。でも、今まで、わずかにしか知らなかった彼の世界を一覧することができ、まさに、展覧会タイトルのように、乱歩は、”大乱歩”であることがわかった。

少年探偵団は、乱歩の最終期の作品であり、”二銭銅貨”で作家デビューしてから以降、陰獣、吸血鬼、盲獣、幽霊塔とか、題名からも推察できるような、怪奇的な推理小説を主として書いていたのだ。盲獣の挿絵を担当した、竹中英太郎の作品も展示されていたが、不気味な絵だった。

一方、学者的な面もあり、江戸時代の本を含め2万冊の蔵書があり、男色文献、残虐文献、怪異怪談、裁判物、手妻本(手品本のこと)などを分類蒐集し、西鶴本もほとんどもっていたという。浮世絵も蒐集していて、気の弱い人なら、目をそむけたくなるような(笑)、最後の浮世絵師ともいわれる、月岡芳年の”無残絵”も展示されていた。

♪ぼぼぼくらは少年探偵団、勇気りんりんるりの色♪とは、対極の乱歩が大部分だったのである。一方、推理小説の巨人として、前述の横溝正史を励ましたり、昭和30年には乱歩賞を創設し、推理小説家の育成に力をそそいだ。受賞者に、西村京太郎、森村誠一、井沢元彦、東野圭吾、桐野夏生、などそうそうたる作家が名を連ねている。山崎洋子の名もあった。彼女は、横浜にお住まいで、横浜の遊郭を舞台にした”花園の迷宮”が受賞作である。先日、参加した”横浜歩き”の講師になり、遊郭を含む、開港以来の、横浜の歴史の話しをされたのだ。”花園の迷宮”は、先日読み終えたばかりである。

乱歩の古希のお祝いに贈ったという、棟方志功の大きな絵が飾ってあった。おっぱいを出した(汗)女人の大作だった。とてもいい絵だった。実は乱歩は、荷風先生みたいに、おおらかなところもあり、おっぱいを出した、日劇ミュージックホール(もうだいぶ前に閉鎖されいるが)の踊り子さんたちと一緒に撮った写真も近くに飾られていた。ミュージックホールの脚本も書かれたこともあるという。きっと、志功のこの絵を部屋に飾り、いつも、にこにこながめていたことだろう。

この展覧会をみて、乱歩は、たしかに”大乱歩”だと思った。
。。。

帰りみち、外人墓地の横の、アメリカ公園へ下る坂道で、タモリと女性アナが話しながら、こちらに昇ってくるの撮影しているクルーに出合った。何か、面白いことを話していたらしく、回りの人を笑わせていた。彼は、ぼくと同じサユリストでもあり、好感をもっている。最近では、赤塚不二夫との交友関係の美談を知り、ますます好きになった。帰宅してワイフに、その話をしたら、NHKの”ぶらタモリ”の撮影じゃないのと言っていた。もしかしたら、ぼくも、ちらりと映っているのではないか、今度、観てみようと思っている(笑)。



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