気ままに

大船での気ままな生活日誌

越前竹人形

2009-10-25 09:54:35 | Weblog


先日の旅行で、越前竹人形の里を訪れた。そこで観た、すばらしい竹人形の数々には魅了された。顔、胴体、衣装はもちろんのこと、人形の髪の毛も、真竹を割っていき、最終的には0.2mmの太さにまでしたものを使用している。一体の人形に4000本の竹の髪の毛が植えられているそうである。これらの作品をみていると、まさに、”竹の精”が吹き込まれた、という感じがする。

”越前竹人形”というと水上勉。ぼくは、てっきり、実際、越前竹人形をつくる工房があり職人がいて、それをモデルにして、小説を書いたのかとばかり思っていた。ところが、そうではなくて、この小説を書いている時代には、竹細工といえば、ザル、花篭、食器類等がほとんどで、”竹人形”は、存在しなかったそうだ。”越前竹人形”は、彼の小説が評判を呼び、映画化され、舞台化されたあと、県のあと押しもあり、地元の竹細工師が人形をつくり始めたというのだ。

そのことを知ったのは、昨日、近くの図書館でみつけた、水上勉の、竹に関する随想文をあつめた”年々の竹”という本からであった。本当は”越前竹人形”を読んでみたくて、捜したのだが、貸し出し中でなく、たまたま手にとった本だったのだ。その中に”越前竹人形”というタイトルのエッセイがあり、こんなことことが書かれていた。

”越前竹人形”を書いたのは44歳のときで、その着想は、神田の古本屋街でみつけた”竹ならびに竹細工一式”という、大分県下の竹製品協同組合が版元の本だった。その中には前述のさまざまな竹製品についての絵と説明文があったが、人形のないことに気付き、それならば、小説の中でつくってしまおうと思った。父は、大工で、暇なときは竹で尺八をつくっていた、また、自分でもつくった経験をもち、竹細工の基礎知識も多少あった。

竹人形をつくる人物を父にだぶらせ、場所は勝手に”越前竹神村”という村をつくりそこに住まわせた(笑)。そして、近くの芦原温泉の遊郭(実際この温泉地には遊郭はない)のうつくしい娼妓を登場させ、親子二代にわたって、関係させるという構想を練った。

バスガイドさんから聞いたあらすじによると、父親が亡くなったあと、父親の愛人でもあった娼妓、玉枝が訪ねてきて、息子の喜助はひとめぼれする。そして結婚するが、彼女を神のように崇め、夫婦関係を拒絶する。彼女をモデルにした、すばらしい竹人形をつくり、評判となる。しかし、玉枝は、店を訪ねてきた男と一度だけ過ちを犯し、妊娠し、最後は悲劇的な結末になる。詳しくは、原作を読んでみようと思う。

とういうわけで、越前竹人形は、作家、水上勉の”創作”なのである。小説家とはたいしたもんだと思う(笑)。そして、これを受けて、見事な芸術品にしてしまう竹細工師の技術もたいしたもんだと思った。

流れるような長髪が魅力的


あれ、どこかでみたような、そうだ藤沢の遊行寺でみた、一遍(遊行)上人の像だ。ぼくも遊行(遊び歩く)上人(汗)。禅も遊行も修行なのだ(笑)。

材料の竹の数々

そうだった、エジソンは、竹のフィラメントを使った電球を発明したのだ。その再現。”越前竹電球”。

”越前竹人形”の舞台のポスター。主役は三田佳子さん。映画では若尾文子さんが主役だった。若尾さんと同期だった南田洋子さんのご冥福を祈ります。
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