気ままに

大船での気ままな生活日誌

山梨県立美術館ミレーコレクションのすべて

2013-03-02 08:33:42 | Weblog
少年時代に、はじめに好きなった西洋画といえば、ミレーの晩鐘と落ち穂拾い、という方が多いのではないかと思う。ぼくもそうで、その後、いろいろな画家の絵をみるようになっても、ジャン・フランソワ・ミレーは、いってみれば、少年時代の”初恋の人”といった感じでいつまでも心の奥に残っている。

さて、山梨県立美術館といえば、”ミレーの美術館”として有名だが、今回、70点すべてのミレー作品一挙大公開というコレクション展(3月3日まで)を開催しているというので、遠路はるばる出掛けてきた。甲斐まで出掛けてきた甲斐がありましたよ。そうカイ、そんなに良かったカイ。 はい、とても楽しめましたよ。

展示室に入って、まずびっくり。あちこちのミレーの絵の前で、小学生(あとで聞いたら6年生だった)が三人づつ立っていて、順に、お客さんに絵の説明をしている。説明というか、自分たちの絵に対する感想を述べている。”この女の人の左目はよくみるとうるんでいるようにみえます。きっと何にか悲しいことがあったのだと思います”、と言った具合に。終わったあとに、お客さんから拍手。随分よくみてるんだね、とか賞賛の言葉がいっぱい。

そして、別のところでは、もう少し、年少の子供たちが絵の回りに座っていて、学芸員さんらしい人の説明を聞いている。欧米の美術館でよく見る光景だが、日本ではほとんど見かけない。さすが天下のミレー美術館をもつ山梨県、教育もお見事と、思わずうなってしまう。

さて、ミレーコレクション展は、四つの章に分けて展示されている。順に、紹介したい。ほんとに偶然、出掛ける前日に、近くのブックオフで”山梨県立美術館名品選”を手に入れたので、その写真を載せたいと思う。

第1章 農民画家ジャン・フランソワ・ミレー

美術館が最初に購入したのが、この”種をまく人”。ミレーの代表作のひとつ。パリから60キロほどのバルビゾン村に移り住んで、翌年、サロンに出品した作品。おおむね好評だったが、以前の農民反乱の社会的事件を思い起こさせると、保守派の批評家から批判もされたとのこと。ボストン美術館にも同名の絵があり、ここで同時に展示されたこともあるそうだ。


そして、”落ち穂拾い、夏”も、この時期に描かれた。 オルセー美術館のとよく似た構図だが、山梨の方が、背景の収穫物の上にいる豊かな人々がより大きく出ていて、貧富の格差を前面に出しているという見方もできる。

(比較に、オルセーの絵を載せてみました)


油彩画のほかに、これらの絵のリトグラフやエッチング、習作なども展示されている。

第2章 家庭生活への暖かいまなざし

ここでは、農民たちの家庭での生活風景、たとえば、パンを焼く女、鶏にえさをやる女、裁縫する女、羊飼いの女とか、身近な風景を、ガラス版画やエッチング、鉛筆、インクなどで描いた作品が集まっている。油彩画では、”鶏に餌をやる女”。農婦のモデルは、長年連れ添った、(ミレーが死ぬ直前、入籍をした)後妻カトリーヌといわれている。


第3章 ミレー作品の諸相

えっ?これがミレーという作品が集まっている。様々なジャンル。出版向けの版画や神話画や宗教画まで。
まず妻を描いた肖像画から紹介しよう。”ポリーヌ・V・オノの肖像”。ミレーは、1841年11月にオノと結婚し、巴里に出る。彼の最も貧しく、不遇だった時代の3年間を共にした。しかし、44年に病弱で亡くなる。冒頭で述べた、ちびっこ学芸員さんの感想、左目がうるんでいるオノです。


その後、ミレーは、45年、ブルターニュの農家出身の18才のカトリーヌと結婚。新婚時代、生活費を得るために描いた絵のひとつ。”ダフニスとクロエ”


”冬、凍えたキューピッド”


第4章 風景画の展開
1860年頃より、ミレーは風景画を描くようになる。ここでの目玉は”古い塀”。アメリカの美術愛好家が所有していて、公開されず、”幻のミレー作品”といわれていた。それを山梨県が購入し、2012年から一般公開されている。

古い塀


夕暮れに羊を連れ帰る羊飼い 夕陽がとてもうつくしい。


ヴォージュ山中の牧場風景 のどかな風景


こうして、ミレーの70点もの作品を観ることができた。所蔵品だけでこういう展覧会を開けるなんて、すごいこと。隣りに、今回は時間の関係でさらっとしかみなかった文学館もあるし、次ぎは泊まりできてみたい。

おいしいほうとうも食べたいし


種まく人や鶏に餌をやる女にもなりたいし


ちびっこ学芸員さんにも会いたいし
コメント
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