気ままに

大船での気ままな生活日誌

光悦・宗達コラボ 鹿下絵新古今集和歌巻

2013-03-14 05:55:36 | Weblog
先月、山種美術館で開催中の”琳派から日本画へ/和歌のこころ・絵のこころ”前期展を観に行った。五島美術館の”時代の美/第3部 桃山・江戸編”とMOA美術館の”国宝「紅白梅図屏風」と(所蔵)琳派展”とつづく、”琳派三連覇”シリーズ(笑)の納めの展覧会であった。

入場して、いきなり、光悦・宗達コラボの”鹿下絵新古今集和歌巻断簡”が出迎えてくれたのには驚いた。これを山種が所蔵していることは知っていたが、ちらしにも出ていなかったので、今回は出品していないと思ったからだ。何故、喜んだかというと、前述のふたつの展覧会で、それぞれ鹿下絵断簡が展示されていたので、何でも”制覇”好きなぼくには、何とも嬉しいことだったのだ。

断簡の和歌は、西行の”こころなき身にも哀れはしられけり鴫たつ沢の秋の夕暮”であった。もとは22メートルの和歌巻で、28首の和歌が書かれているのだが、今回の断簡はそのトップを飾ったもの。やはりトップの和歌は”鴫立沢”か。西行が奥州へ旅しているとき、この歌が千載集に選ばれると聞き、気になり、都へ帰ろうとしたが、途中で不採用ということを知り、元の道に戻ったいう逸話がある。千載集から20年ほど経つ間に歌の評価は変わり、西行はもうこの世にはいなかったが、新古今集に、それも最高級の評価で選ばれることになったものだ(白洲正子/西行)。

光悦もこの和歌を、”鹿下絵新古今集和歌巻”のトップに選んだ。因みに、二番目は、定家の”見わたせば華も紅葉もなかりけり 浦のとまやの秋の夕暮”。いずれも三夕の歌として名高い歌だが、もうひとつの、寂蓮法師の”寂しさはその色としもなかりけりまき立つ山の秋の夕暮れ”は28首の中には入っていない。不思議に思って、新古今和歌集の”巻四:秋上”を和歌の順番を調べてみると、鴫立沢の前に寂蓮法師の歌が載っていて、定家のは鴫立沢の次ぎだった。そして、定家以後の鹿下絵の歌の順番をみると、新古今の順番と全く同じで、光悦が選択したのはトップの歌だけだったことがわかった。光悦は、どうしてもこの歌を巻頭に載せたかったのだろう。前にいた寂蓮は運が悪かったというしかない(笑)。

鹿下絵の歌の順番が何故、分かるかというと、この和歌巻の後半部分を所蔵するシアトル美術館のホームページで、詳細な全容を知ることができるのだ。

さて、ここで、これまで三展で観てきた鹿下絵和歌巻をまとめてみよう。繰り返しになるが、もとは約22メートルの一巻の和歌巻で、益田鈍翁が所蔵していたが、現在は断簡となり、前半部はMOA、山種美術館ほか諸家、そして後半部はシアトル美術館が所蔵している。

まず、巻頭部が、今回の山種美術館。

こころなき身にも哀れはしられけり鴫たつ沢の秋の夕暮 (西行)


そして、五島美術館が4番目の歌

おもう事 さしてそれとは なきものを 秋の夕べを 心にそとふ(宮内卿)


MOAでは、ふたつの断簡と、さらに、前半部のかなりの部分を含む(全長4~5メートル)和歌巻が展示されていた。量的には、前述の二美術館を圧倒している。その断簡のひとつ。
(ちらしの写真はこれしかない)
秋くれば ときはの山の まつかぜも うつる斗(ばかり)に 身にぞしみける(和泉式部)


と、以上、前半部の大部分を同時期に観ることができた。

だが、少し前に気づいたことだが、なんと、2009年7月25日(土)~9月6日(日)に、サントリー美術館で 「美しきアジアの玉手箱―シアトル美術館所蔵 日本・東洋美術名品展」が開催されていて、前述の断簡などと共に、サントリー美術館蔵断簡と、シアトル美術館蔵の後半部がそろって展示されていたということを知った。ああ観ておけば、良かったと思ったが、 後の祭りである。外国の美術館展はなるべく見逃さないようにしなければならない。これが、鹿下絵新古今集和歌巻を調べていくうちに得た教訓であった。

・・・・・
3月14日 指宿温泉から投稿。砂むし風呂、初体験。博多から九州一周の列車旅も最終日。新幹線さくらで鹿児島から博多へ。
コメント (2)
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