ひと月ほど前に、神奈川近代文学館で、芥川龍之介生誕120年記念として、川口浩史監督”トロッコ”(2009年)が上映された。この映画は、芥川の短編小説”トロッコ”を原作としている。しかし、映画では、その終盤に、この小説の雰囲気が漂ってくるだけで、ほとんど、川口らのオリジナル脚本によるものといってよい。
映画会でもらったレジメに、川口監督のメッセージが載っているので、それをまず、かいつまんで紹介しよう。幼いころ、教科書でこの小説を読み、主人公、良平の憧れと恐怖心に心から共鳴した。映画にしようと、日本中、捜したが、トロッコを撮影できる線路がみつからなかった。ようやく探し当てたのが、日本ではなく台湾だった。当時、林業で使われていたという山中の線路を巡るうちに、日本語で話しかけてくる老人から日本と台湾との深くて長い歴史について学んだ。彼らの想いにも突き動かされ、はじめ大正時代の短編物語にする予定が、現代の台湾を舞台にした長編映画となった、とのこと。
ぼくらは、台湾旅行の2日目に、台湾中部の二水駅から車程駅までの、全長、約30キロのローカル線、”集集線”に乗った。そのとき、ガイドさんが、この線路は、日本統治時代に水力発電所の建設資材の輸送のためにつくられたもので、駅舎などが当時のままのものが多い、と説明された。そのとき、ぼくは、ふと、この映画のことが頭に浮かび、もしかして、川口監督は、この鉄道に乗り、この沿線のどこかの駅で降りて、近くの山中でトロッコ線路を探し歩いたのではないかと思った。そしたら、急に窓の外の景色が気になりだした。
集集線は、観光地、日月潭(にちげつたん)へのアクセスルートであり、台湾でも人気のローカル線だ。この日もたちまち満席になった。がたごとがたごと、よく揺れて、まるでトロッコに乗っているよう(笑)。大きく揺れたこともあったが、これはあとで気付いたことだが、同日のM6.1の地震があったときだったかもしれない(大汗)。脱線しなくて良かった。七つほどのローカルな駅をもつこの沿線は、木々のトンネルの中を通るときもあれば、バナナの畑や、ヤシの木のようなビンロウ(檳榔)の畑、そして青々とした田んぼなど、台湾の農村風景の中を行く。まるで映画の画面の中にいるみたい。ぼくはずっと、窓の外ばかりをみていた。
ある夏の日、尾野真千子が8歳と6歳の男の子を連れて、東京からはるばる台湾の田舎に住む義父を訪ねてくる。台湾人の夫の遺灰を届けるためであった。毎日、仕事に忙殺され、心までささくれだっていた尾野真千子としては、子供を手放して、台湾の家族に育ててもらいたいと思っている。お兄ちゃんの敦は、敏感にそのことを感じ取っていた。日本語を話すおじいちゃん(義父)ら台湾の家族との触れ合いの中で尾野真千子と子供たちの心は、次第に癒されていく。
でも、こんなこともあった。ある日、おじいちゃんに日本から手紙が届く。”恩給欠格者通知”だった。”現在日本国籍を有していないため、恩給の対象者にはならない”という。日本のために2年間、軍人として命をかけて務めてきたのにと、おじいちゃんは顔をしかめる。日本統治時代の暗い歴史がちらりと顔を現す。
映画の終盤。トロッコ乗りが面白くて、知らず知らず、山の奥へ奥へ行ってしまった兄弟は、ふと夕暮れになっていることに気付く。線路を歩いて、引き返すが、なかなか辿りつかない。弟は疲れ切って、泣き出してしまう。そんな弟をだましながら連れていくが、敦も不安感で胸がいっぱいだ。でもようやく、村の灯りがみえてくる。心配して待ってた母は弟を抱きしめるが、兄には厳しい目をむける。敦は泣きながら、母さんに、これまでの自分が抱いていた、母に対する気持ちを訴える。敦を抱きながら、尾野真千子は、やはり二人を連れて帰国し、母子三人でがんばってみようと思うのだった。
始発駅二水駅から5番目くらいの集集駅で降りる人が多い。さらにふたつ先が終着駅の車程駅。駅を降りると、前方の山に発電所らしき構造物が少しだけみえた。1919年に鉄道線工事開始、その2年後に完成。この鉄路をつかって木材や石材などを運び、1934年に発電所も完成したという。
始発駅、二水駅舎
気動車
列車内の様子
車窓風景
終着駅の車程駅
ダムがみえる
当時の貨物線の面影
沿線の中心駅、集集駅 (また戻って見学)
集集古街
映画”トロッコ”。 ロケはこの沿線ではなく、前回紹介した、花蓮の山村で行われた。