藤沢の遊行寺で、国宝・一遍聖絵展が始まったというので、初日(10月10日)に出掛けてきた。藤沢駅から遊行通りを抜けて、10分も歩くと、時宗総本山、遊行寺がある。本堂の前の、一遍上人(遊行上人)が迎えてくれる。
この時宗宗祖・一遍上人の生涯を描いた絵巻、国宝”一遍聖絵”全12巻が、リニューアルオープンした遊行寺宝物館で一挙、公開されている。
”聖絵”12巻、すべてが遊行寺にあるわけではなく、そのうち、第七巻は東博が国宝として保存している。そのため、ここでは七巻だけは、江戸時代の摸本の展示となっている。また、第六巻の第一段は断簡として切り取られ、掛幅装(重文)として個人蔵となっているが、これも、ここに展示されている。
”聖絵”は2002年に修理後、京都と奈良の国立博物館で展示されたが、遊行寺で、このような全巻展示は、はじめてで、今後もないだろうとのこと。この展覧会のあと、11月から、金沢文庫で二、三、八、九巻を、神奈川歴史博物館で、四、五、六、十巻を、遊行寺では、一、七、十一、十二巻の展示となる。同時に、東博でも前述の第七巻と関連展示がある。
従って、全巻を一挙にみることができるのは、遊行寺だけで、それも、11月中旬まで。しかし、全巻がすべて拡げられているのではなく、各巻の一部だけ(場面の展示替えはある)の展示である。MOA美術館の岩佐又兵衛絵巻のように、ほぼ全部が拡げられ、それぞれの場面の説明があるというなことはしていないし、展示場の広さからいって、とても無理。今回は、全体の雰囲気を知って、さらに、11月以降の各館の展示で、ゆっくり鑑賞するというのがいいかもしれない。ぼくも全館廻るつもり。そのため、いつもは買わない(笑)、図録を購入した。
感想文は、このあと、3+1館を巡りながら、ゆっくりと書こうかと思っています。
ここでは、第十二巻の第二段、一遍上人ご臨終の場面と第六巻第一段江ノ島断簡を載せておきます。大勢の人物描写が素晴らしいですね。
十二巻(第2段) 一遍上人ご臨終の場面
中央部拡大
第六巻第一段 江ノ島断簡
右下部拡大
聖絵を納める箱も展示されている。三巻ずつ並べて重ねるようになっている。
これらの品々も展示されている。
重文 絹本著色 一遍聖絵 江之島断簡 正安元年(1299)
神奈川県重文 絹本着色 一遍上人像 南北朝時代
神奈川県重文 絹本着色 一遍上人像 南北朝時代
神奈川県重文 紙本墨画淡彩 一遍上人像 室町時代
神奈川県重文 紙本着色 一遍上人縁起絵 第一巻 室町時代
神奈川県重文 絹本着色 二河白道図 南北朝時代
重要美術品 紙本金字色紙金字 阿弥陀経(蝶鳥経) 平安時代
重文 紙本墨書 六時居讃 南北朝時代
重文紙本墨書 安食問答 他阿真教筆 正和三年九月九日(1314) 鎌倉時代
せっかく遊行寺に来られたら、是非、ここもお寄りください。小栗判官と照手姫のお墓があります。この夏、三の丸尚蔵館の”絵巻を愉しむ/をくり絵巻を中心に”展で、をぐり(小栗判官絵巻)をみられた方も多いと思います。絵巻の主人公たちがここで眠っています。
小栗判官と十勇士の墓
照手姫の墓
名馬、鬼鹿毛(おにかげ)の墓
ちょっと説明を、以前のブログ記事から。
ここでは、遊行かぶき等の説経節おぐりではなく、”小栗略縁起”を基にした内容が紹介されている。”史実”である。室町時代、足利持氏に謀反の疑いをかけられた常陸の国の小栗判官と家臣10人が、一族の住む三河に落ちのびる途中、藤沢宿近くの豪族、横山大膳邸に身を寄せる。しかし、大膳は彼らから金品を奪おうと、人喰い馬、鬼鹿毛(おにかげ)をしかけるが、乗りこなされる。次には毒入り酒を飲まされようとするが、事前に妓女、照手姫から聞いていて拒むが強要され、毒殺され、上野ヶ原(藤沢市)に投げ捨てられる。しかし、判官は閻魔大王の慈悲と夢告に現れた大空上人により蘇生。土車に乗せられて、熊野の湯の峰温泉へ送られる。つぼ湯で湯治し、復活した判官は、謀反の疑いを晴らしたあと、横山を成敗し、照手姫と再会。その後、仲良く暮らす。子息が遊行寺の池の畔に、父と十勇士の墓を建てる。照手姫は尼になり菩提供養した。