東慶寺の秋の花々を楽しんで、急いで、大船に戻ってきた。鎌倉芸術館で上演されるお能と狂言をみるため。”名曲鑑賞能第11回”で、今回の曲目は、お能が”葵上”で、狂言が”墨塗”であった。
はじめに、観世銕之丞から”能の中の源氏物語”というテーマでプレトークがあった。お能の曲目は200程度だが、実際、上演されるのが100曲ほどで、源氏物語関連は、7,8曲。そのうち、一番人気が、今回上演の”葵上”ということだった。”野宮”も同様、六条御息所がシテだが、倍の2時間公演で、なかなか上演されないとのこと。
”葵上”が始まる。舞台正面に一枚の小袖が置かれ、これが実は、物の怪に取りつかれている源氏の正妻、”葵上”。ワキヅレの朝臣が、ツレの照日の巫女を呼び出し、何者の仕業かを尋ねる。巫女が梓の弓を鳴らしながら、呪文を唱えると、六条御息所の生霊(シテ、梅若玄祥)が現れる。光源氏の心が葵上に移ってしまったこと、賀茂の祭りで車争いのことで恥辱を受けたことの怨みで葵上を苦しめているのだ。それを知った朝臣は、生霊を取り払うため、修験者を呼ぶ。六条御息所の生霊との緊迫とした呪文対決が後半の見所。御息所の面も泥眼から般若に変わる。ついには数珠に打たれて、引き下がる六条御息所の生霊。
最初の狂言”墨塗”はコミカルな話。訴訟のため。遠国から都に滞在していた大名(シテ、野村万作)が、無事、役目を果たし、近々帰郷することになった。在京中に親しくなった女に召使いを伴って別れの挨拶に立ち寄ったのだが、女の様子がおかしいと召使いが言う。別れを惜しんで泣き始めるのだが、それはうそ涙で、壺の水をつけているようだ。召使いはそっと、水壺を墨壺に変えてそのウソ涙をばらす。目の下には墨がばっちり(爆)。
なかなか見る機会が少ない、能と狂言だが、見終えたあとの、えもいわれぬ心持の良さは何だろうとか思った。