おはようございます。
京都春の旅は、24日から始まって、26日に帰ってきた。もう、今日で3月が終わりというのに、まだ京都日誌は書き終えていない。言い訳になるが、帰宅すると、京都ではまだ開花前後のソメイヨシノが都内では満開になり、鎌倉では海棠が見頃となり、休む間もなく、こちらでもお花見をつづけている(汗)。そんなわけで、日誌も、京都、東京、鎌倉編と交互に書くようになり、必然的に遅れてしまったのだ。とにかく、3月末で完了させたいと思う(笑)。
さて、最終日(3月26日)は、京都駅から地下鉄で東山に出た。ここから、祇園白川そして円山公園へという計画だった。その案は前日、決まった。府立植物園の青める柳がとてもきれいだったので、ふと白川沿いの柳を思い出したのだ。それに祇園白川の枝垂れ桜も咲いているだろうと。
東山駅近くの白川から入る。思った通りのうつくしい柳の並木だった。
空は晴れ上がり、あたたかく、静かな通りを家内とのんびりと歩く。
途中、案内に従って、路地を入ると、明智光秀の塚がある。光秀は山崎の戦い秀吉に敗れ、近江の坂本城へ逃れる途中、小栗栖の竹薮で農民に襲われて自刃、最後を遂げたと言われる。家来が、光秀の首を落とし、知恩院の近くまできたが、夜が明けたため、この地に首を埋めたと伝えられている。
少し行くと、知恩院古門が。
その先に知恩院の巨大な建造物が見える。三門か。
古門前橋から眺める風景。
ここは、テレビドラマ”京都地検の女”でロケ地となった親水テラスがある。浴衣のカップルが夕涼みにきて川に足をつけたりするが、この日は外人さんが来ていた。そして上流には比叡山の修行僧も通る一本橋。
京都地検の検事、名取裕子はこの商店街で買い物をする。この近くに住んでいるのだ。
そして、しばらく歩くと、祇園白川の中心、辰己大明神の前へ。大明神に向かって、左側が白川南通り。そして右側が新橋通り。
辰己大明神。祇園の舞妓さん、芸妓さんが芸事の上達を願ってよく訪れる。
新橋通りは、よく映画の撮影などにも使われる、風情ある町屋風景。
白川南通りを歩くと、枝垂れ桜が!
ひとつ向こうのしだれ桜の右下に吉井勇の歌碑、”かにかくに碑”がある。
かにかくに祇園はこひし寝るときも枕の下を水のながるる
”かにかくに”は、とにもかくにも、という意味。吉井勇は、東京生まれだが、昭和13年から昭和35年まで、亡くなるまで京都に住んだ。この場所は、吉井と親交のあった磯田多佳女が女将を務めていたお茶屋”大友”の跡とのこと。漱石、谷崎も来たらしい。
ぼくらは向かいのとり新で親子丼をいただく。竜馬ご用達の店。
昼食後は、八坂神社から円山公園へ。
円山公園の大枝垂れ桜はまだ開花したかどうか、の段階。
竜馬と中岡慎太郎の像近くの枝垂れ桜は進んでいた。
好天に恵まれ、たくさんの枝垂れ桜や五色八重散椿も見られ、楽しい京都春の旅であった。また、近いうちに行きたいと思っている。
ようやく、京都日誌の完といたしまする。
それでは、みなさん、今日も一日、お元気で!