気ままに

大船での気ままな生活日誌

お月見10連勝 富士と桜と夕焼け観音

2021-02-22 20:52:36 | Weblog

こんばんわ。

今日も暖かく、なんと5月の陽気だとか。でも、うかうかばかりしてはいられない。今日は、二日月からはじまったお月見10連勝がかかっているのでね。もし、月が見えていても、撮影を忘れてしまえば、これまでの連勝記録が水泡に帰してしまう。できれば、今が満開の玉縄桜と一緒に撮りたいと思っていた。

宝戒寺の梅見に出掛け、大満足しての帰り道、八幡さまの参道、若宮大路脇の玉縄桜がもう満開になっていた。これでお月さまが入れば、ばっちりと思ったのだが、そうはとんやがおろさなかった。

まだお月さまは空高く上がってきていなかった。

でも、(月曜日でも休館でない)逗子図書館へ寄って、夕方、大船駅からの帰宅途中、いつもの川沿いの玉縄桜の上にちょうどお月さまが昇ってきていた。

ようやく、満開の玉縄桜と合わせることができた!

これで、お月見10連勝達成!それも玉縄桜と合わせて!目指すは世界記録(笑)の26連勝!

帰宅すると、夕焼け富士と夕焼け観音がお祝いしてくれた。

そういえば、鎌倉駅近の大巧寺の氷室雪月花もこれまで最大の花数で前祝をしてくれていたっけ。

本覚寺の松ぼけ(ぼくが名付けた)も早々と満開になって迎えてくれた。

まるで松の根元から噴き出した花のように。ぼけているわけではありません。

2021年2月22日にお月見10連勝!(2+0+2×1+2+2+2=10)

では、おやすみなさい。

いい夢を。

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三浦海岸の河津桜 満開!

2021-02-22 09:37:22 | Weblog

おはようございます。

春のようなうららかな陽気に誘われて、京急三浦海岸の河津桜見物へ。思い起こすと、2009年2月末に京急逗子駅で見たポスターに惹かれ、そのまま、京急に乗ってお花見に行ったのが最初。それ以来、12年間、ほぼ毎年、訪ねている。今年も二月初めに早咲き系の河津桜を見に行っているので、二度目。そのとき、今、満開になっている普通系のが数輪開花しはじめていた。

京急三浦海岸駅を出ようとすると、駅前広場のピンク色の河津桜が目に飛び込んでくる。

もう、満開!

年をとって歩けなくなったらここだけでもいいくらい(笑)。まだ、なんとか歩けるので、京急沿いの桜並木とさらに小松ヶ池公園の桜も見てきました。

駅から15分も歩くと跨線橋から線路伝いに桜並木がつづく。

桜のトンネルを歩く。

途中、京急の電車が通り過ぎて行く。

菜の花も満開。本場の河津川沿いのも、松田も、菜の花がコンビ。

今度は青い車両。これはなかなかないチャンス。もっと頻度が低いのが黄色の車両。まだ一度しか出会っていない。

では、線路をくぐって、小松ヶ池公園へ。

おおいぬのふぐりも満開

しばらく歩くと、小松ヶ池沿いの河津桜が見えてくる。

ここでカワセミを何度か目撃しているが、今回は現れてくれなかった。水鳥もわずかで、オオバンが数羽いただけ。

ここから、帰り。高台の畑道へ。振り返ってみる桜並木。

線路沿いの桜並木を三浦大根畑を前景に見る。

跨線橋近くで河津桜と京急電車を合わせて見る。

跨線橋を降り、桜並木に別れを告げ、駅へ戻る。カフェで休憩し、駅近くの海防陣屋跡地に立ち寄り、千年紀樹の河津桜を見る。海防陣屋跡地とは。弘化四年(1847年)徳川幕府が、当時の異国船渡来に怯えて、急ぎ江戸湾(東京湾)防備のために置いた。彦根藩主井伊直弼が赴任した。嘉永6年(1853年)に長州藩が交代し、さらに安政5年(1858年)には熊本藩に代わり、その後は浦賀奉行所に移管された。桂小五郎(後の木戸孝允21歳のとき)や伊藤俊輔(後の伊藤博文16歳の時)はこの陣屋に勤めていた。

2000年1月に植樹された千年紀樹の河津桜も満開だった。もう21年。三浦海岸の河津桜もすっかり有名になった。

素晴らしい三浦海岸の河津桜でした。

それでは、みなさん、今日も一日、お元気で!

コメント (2)
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