気ままに

大船での気ままな生活日誌

玉縄桜物語

2022-03-06 14:20:17 | Weblog

こんにちわ。

退院後、徐々に歩数を増やしているが、まだ、いつもの朝散歩の半分程度。散歩道の川辺に、大船フラワーセンターが育成した玉縄桜が、併せれば10株ほど植栽されている。例年なら二月中旬から咲き始め、今頃は満開のはずだが、まだ、ほとんどが咲き始めで、数株が五、六分咲き程度。まるで、ぼくの退院を待っていてくれたよう(笑)。

メジロも迎えてくれた。

ちょうどいい機会だから、ぼくの過去ページをくくりながら、玉縄桜の歴史を振り返ってみよう。いわば、玉縄桜物語です。

ぼくのブログは2006年8月にはじまるが、玉縄桜の記事は翌07年2月12日が最初である。”ぼくの「春一番」玉縄桜が開花”で大船フラワーセンターで2株、開花しているのを見つけ、それがフラセン育成の品種だと知る。

そして、その翌日、早速、”玉縄桜 出生の秘密”という特ダネを報じている(笑)。フラセンの近くに玉縄図書館があり、そこの郷土資料を集めた書棚から特別な資料を見つけた。その資料とは、センター長さんが、ご自分の月一度の園内ガイドの資料をまとめたもので、「わくわく花散歩」という小冊子。そこに誰も知らない玉縄桜の出生の秘密が詳しく書かれていた。

以下、その日のブログ記事からです。余計なことも書いていますが、そのまま載せます。

タマちゃん(玉縄桜)の生れ年は1969年でした。昭和44年です。ということはアポロ12号の年です、人類月に立つ、歴史的な年に生まれています。タマちゃんすごいね。この年に接ぎ木用の台木をつくる目的でたくさんのソメイヨシノの種が蒔かれました。そしたら、元気よく、ひとより先に芽を出して、ぐんぐん成長しているのがみつかりました。こんな尋常でない子は、ふつうは捨てられてしまうところですが、心やさしい職員の人が、何年も大事に育ててくれました。この子がタマちゃんなのです。

タマちゃんが5才になったとき、初めて蕾をつけ、そして、なんと皆より20日も早く花を咲かせたのです。そして、ひとつの芽につく蕾の数まで多いことも分りました。職員の人は、そのあと、毎年観察して、いろいろなことを調べあげました。そして、1987年に、タマちゃんが、花も恥じらう18才になったときに、「品種登録」申請という、成人式に出られるかどうか審査するところに出されました。そのときの名前は、「かしお桜」として出されていました。このセンターの近くを流れる、柏尾川に因んでつけられました。ところが審査が進んでいくうちに、もうこの名前はよそで使われていると、却下されてしまったのです。タマちゃんの最初の挫折です。やっぱり悲しい過去があったのですね。

そして、今度は名前を「玉縄桜」と変えて申請されました。この辺の由緒ある地名からとったものです。むかし、近くに玉縄城という、小田原北条の出城がありました。難攻不落の山城で、戦国時代、上杉謙信も落とせなかったそうです。今は、そのお城のあった丘には、女の城が建っています、お嬢さん学校の清泉女学院です。ですから、玉縄というと、玉縄城から、「強靱」「男らしい」「武士の一分」といったイメージが浮かんできます。一方、女学院からは、「優しい」「女らしい」「大奥の一分」といった全く逆のイメージも浮かんできます。

でもこの名前のおかげで、1990年、タマちゃんが21才のとき、審査会をパスして、1才遅れでしたが、晴れやかに成人式を迎えたのでした。そして年々、花の数を増やし、ますますきれいになって、そして、目立ちたがり屋の性格がますます冴え、なんだか、年々咲く時期まで早めています。現在、女盛りの38才となり、フラワーセンターの女王(早春の部だけのね)にまでに成長したのです。

その後の遺伝子解析から片親がダイカンザクラ(大寒桜)であることが、判明している。ソメイヨシノとの交雑があったのだろう。一般的に河津桜、熱海桜など早咲きの桜は、濃いピンク色の寒緋桜が片親なので、色が濃くなるが、玉縄桜は、早咲きではあるが、花弁が大寒桜やソメイヨシノのようにうすいピンク色をしているのが特徴。

それ以来、ぼくは玉縄桜に夢中。その年、07年3月に園内に原木を含む4本をみつけ、タマナワ家族とし、原木に”肝っタマ母さん”、玄関口の華やかな木に”タマ三郎”、築山の二本は、叶姉妹にならって”タマタマ姉妹”と名付けた。それ以降、次々と植栽がすすみ、そのたびに命名していたのだが、ついに、名前が出尽くしてて、追加の玉縄桜には、とうとう”無名塾生”の枠に入れることになった。

こうして、繁栄の一途をたどっていた玉縄家族に、2019年に悲劇が襲った。スーパー台風の襲来で、原木(肝っタマ母さん)と名優タマ三郎が倒壊した。幸い、母さんは復活したが、タマ三郎は引退、二代目にとって代わられた。

ここに全盛期のタマナワ家族の写真を載せておこう。2016年3月3日。

タマ三郎

肝っタマ母さん(原木)

タマタマ姉妹(手前が姉)

2016年3月3日は僕自身も全盛期のようで(笑)、この日にこれを含め、4本の記事をあげている。その中に、”京都、早春の旅”が二本も入っている。1日に4,5本、平気で書いていたあの頃の力がなつかしい。6年前というと古希過ぎたばかり。でも、その翌春に、ぼくは第1回目の入院で挫折(笑)。そして、さらに5年振りの挫折で現在に至る。もうあの全盛期には戻れないか。

そして、2019年9月の悲劇。猛烈台風15号が襲来。原木とタマ三郎が倒木。

原木の倒木

タマ三郎の倒木

翌20年、2月27日、肝っタマ母さん、復活!!よかった、よかった。

さらに、2018年の日比谷花壇大船フラワーセンターへのリニューアルに伴い、園内にも「玉縄桜広場」が新設され、一気に仲間が増えた。

なお、玉縄桜は、大船フラワーセンターだけではなく、わが散歩道、砂押川プロムナードのほか、若宮大路、大船観音通りなど鎌倉市各所で増えている。また、市外でも平塚総合公園などに次々と進出している。将来、有望な玉縄桜。ぜひ、みなさんの土地でも誘致して。

昨夕の三日月。

それでは、みなさん、今日も一日、お元気で!

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする