おはようございます。関東では1日雨というところが多いようですね。でも、紫陽花見物には雨がよく似合う、と鎌倉は相変わらず、混み合うことでしょう。さて、今朝は、先日、明治神宮の花菖蒲を観に行った帰りに寄った渋谷の美術展のこと。できれば、ブンカムラ、ギャラリー、松濤美術館と三つ行っているので、一気に今日中に仕上げたいところ(汗)。まずは、ブンカムラ。
昨年の都美で開催されたウフィツィ美術館展で、ボッティチェリの作品がたしか5点以上は来ていて驚いたが、今、Bunkamuraミュージアムで開催されている”ボッティチェリとルネサンス展”では17点もきている。この半年の間に20以上のボッティチェリがみられるなんて、信じられない!サブタイトルに”フィレンツェの富と美”とあるように、サンドロ・ボッティチェリ(SandroBotticelli,1445年~1510年)らフィレンツェの画家たちの作品をサポートし続けた、金融業で富を得たメディチ家の盛衰にも目を向けている。
序章 富の源泉:フィオリーノ金貨
1237年にフィレンツエはトスカーナ侯国から独立し、52年にはフィオリーノ金貨を造る。近代の経済の礎を築いたという貨幣。これも展示されている。表面にはフィレンツエの花、百合が刻まれている。
第1章 ボッティチェリの時代のフィレンツェ
ボッティチェリの《ケルビムを伴う聖母子》の額縁に貨幣の鋳造や銀行業、商人の活動を監督した両替商組合の象徴である金貨の文様があしらわれている。この時代のフィレンツェでは芸術と金融、商業活動は密に関わっていた。ここでは絵画だけでなく、当時の経済活動の資料や商人の仕事道具が展示されている。
ボッティチェリ ”ケルビムを伴う聖母子”
第2章 旅と交易:拡大する世界
フィレンツェの銀行の支店が欧州各地に開設され、旅行も容易になり、交易は活発化し、フィレンツェにはヨーロッパ、中東からの商品も行き交いようになる。ここでは、航海図、旅の道具、商品を輸送する船旅の様子を伝える絵画などを紹介される。
第3章 富めるフィレンツェ
13世紀以降、ヨーロッパではたびたび奢侈禁止令が発せられ、金融、商業で富めるフィレンツェでも例外ではなかった。ここでは、禁止の対象となった壮麗な婚礼や葬儀の様子を表した作品、フラ・アンジェリコ 《聖母マリアの結婚》等が展示されている。
第4章 フィレンツェにおける愛と結婚
商人や銀行家の寝室は、結婚生活・出産・死が展開されるプライベートな空間だった。寝室の調度のうちカッソーネ(長持)と呼ばれる婚礼家具や宗教画、出産盆(出産祝いを載せる盆)には、夫婦の社会的役割を示す図像が選ばれ、フィレンツェ・ルネサンスの社会が依って立つ価値観や美徳が示される。
第5章 銀行家と芸術家
ルネサンス期のフィレンツェの名作の数々はメディチ家をはじめとする銀行家一族の注文によって制作された。メディチ家から絶大な信頼を得ていたボッティチェリは、彼らの要望を満たす作品を生み出す理想的な画家だった。
この章で、いよいよボッティチェリが大量に登場!
サンドロ・ボッティチェリ《受胎告知》 ウフィツィ美術館所蔵の至宝、横幅5メートルにも及ぶ大フレスコ画。
サンドロ・ボッティチェリ《聖母子と二人の天使》
サンドロ・ボッティチェリ ”ヴィーナス” 名作”ヴィーナスの誕生”から抜け出してきた!年末展覧会美女ベスト10入り濃厚(汗)。
サンドロ・ボッティチェリ 受胎告知(第2章)&キリストの降誕
第6章 メディチ家の凋落とボッティチェリの変容
メディチ銀行の衰退とともにフィレンツェは危機の時代を迎える。この頃、台頭した修道士サヴォナローラが行った「虚栄の焼却」では贅沢品や宗教上好ましくない芸術作品が燃やされる。ボッティチェリの晩年の作品はそうした時代の空気を反映している。
たくさんのボッティチェリをありがとう!
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