気ままに

大船での気ままな生活日誌

美しい朝

2009-12-06 09:31:38 | Weblog
うちのベランダからみえる、天園ハイキングコースの山です。200メートルに満たない低い山ですが・・・

あれ、噴火かな。平成新山になれるかもしれないぞ


しばらく、パジャマ姿で観ていると(おお寒む)・・・
なんと、朝日が。もう、隣りのマンションより大分、南に移ってきていたのだ。
朝日のせいで、雲が噴煙のようにみえたのだ。こうゆう朝日、生まれて初めてみた。



昨日とうってかわってのビューフテル ディ。
朝散歩の青木神社にも朝日が射し込んでていた。


空を見上げると。きー(木)さまが竹さま、恋しいとランデブー


下をみると、濡れ落ち葉が、石のように冷えきった奥さんに馬鹿にされていた。


また、空をみると、あああ、おうつくしい、お富士さま。きーさまが流し眼をおくっていた。杉さまではないけど。



もっと、人気ものがいた。お月さま。きーさまに囲まれていた。


なにもかも、とても、美しい朝だった。

昨晩も、とてもうつくしい美女をみた。




真央ちゃんがいなかったのはさみしかった。オリンピックでは、今日の朝みたいに、光り輝いてね。




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必殺仕分け人というよりは 

2009-12-05 17:42:27 | Weblog
”事業仕分け”の第一幕が一段落しました。ドラマの”必殺仕置人”から、先のブログで”必殺仕分け人”とからかってしまいましたが、考えることはみな同じで、よく、この言葉は、マスコミでも使われていますね。それにしても、ドラマより余程面白かったです(笑)。

とくに、蓮舫仕分け人の、”悪代官”(笑)スパコンへの斬り込みは見事でした。”一位でなくて、二位では何故いけないのですか”、これが効きました。”悪代官”は、何人ものノーベル賞受賞者まで呼び寄せて、脅しにかかりましたが、かえって、ボロが出てしまったように、ぼくは思います。利根川さんが、”一位を目指しても、(今の実力じゃ)二位にもなれませんよ。二位を目指すようじゃ、もうどうしようもない”みたいな意見を述べました。

これは、一見、悪代官を擁護しているような発言にみえますが、科学というものは、なんでも、1位でなくては駄目で、2位など、ただの、ものまねにすぎず、学術雑誌に投稿してもすぐ却下されます。利根川さんは、これは科学でない、そんなのに公金をつぎこむのはいかがなものかと、言外に言ってるように思いました。

よく、素人が何を言うかと、批判の言葉を耳にしますが、蓮舫仕分け人のうしろには良識ある科学者がついているはずです。”調べはもうついている、この、背中の刺青に見覚えないか”と啖呵をきってやればいいのです。そうすると”必殺仕分け人”というよりは、”遠山の蓮さん”の方がいいでしょうか(爆)。

限られた科学研究予算の中で、仕分けるのですから、経済界の利益につながるような研究は、少なくとも、半分くらいは、大企業の埋蔵金(とよた屋をトップに、国家予算の5年分ももってるそうですよ;ある瓦版から仕入れた情報ですが)から出していいのではないでしょうか。

そして、”役に立たない”と言われている、基礎研究に少しでも多く、公金を回してあげたらどうでしょうか。ついでに年金も少し増やしてください。

遠山の蓮さんの刺青。

(本当は、清方の”刺青の女”)
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夜明けの鉄塔

2009-12-05 11:34:40 | Weblog
夜明けの鉄塔









いろんな空が見えていいな、鉄塔さん。
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遠藤実 メモリアルコンサート

2009-12-04 11:11:31 | Weblog


昭和の歌謡曲を吉田正さんと共に、背負っていたと言っても過言でない、遠藤実さんが亡くなられて、はや1年になった。彼のメモリアルコンサートが東京国際フォーラムであるというので、ふたりで行ってきた。

司会は宮本隆治さん。遠藤実さんとの共通のキーワードがあり、それは荻窪だという。遠藤さんは、荻窪駅北口で10年間ほどギター携え、流しをしていた、そして宮本さんはNHKの荻窪寮に住んでいたという。遠藤さんの歌謡曲人生は、荻窪から始まったのだった。ぼくも結婚後、わりと近くに住んでいたことがあるのだ。

昭和33年、藤島桓夫の”お月さんこんばんわ”のヒットで作曲家としてデビュー。そして島倉千代子の”からたち日記”、こまどり姉妹、小林旭のヒット曲が続く。そして、忘れもしない(同い年だから)、昭和38年に舟木一夫の”高校三年生”の大ヒット曲が生まれるのだ。

コンサートには遠藤門下の錚々たる歌手がずらりと勢ぞろいしていた。観客も錚々たる年代(汗)で、われわれ世代が大部分だった。

トップバッターは、千昌夫さん。岩手県から上京し、遠藤先生の内弟子になり、生まれた大ヒット曲。”星影のワルツ”。♪別れることはつらいけど仕方がないんだ君のため・・♪ ぼくの友人が新朗であるのに披露宴で、この歌を歌い、物議をかもしたことを思い出した。”北国の春”も、もちろん歌った。この歌を知らない中国人はいない、というほどアジアの大ヒット曲でもある。ぼくの職場の忘年会は、盛岡出身の上司の音頭で、この歌の全員合唱で締めるのが常だった。

そして、小林幸子さんの”雪椿”。歌も良かったが、振袖の着物姿も良かった。この年で振袖、おほほ、と笑いながら、歌に合わせて、雪椿の模様にしました、と。振袖部分と裾に、白地に大きな椿の花が5つほど、見事に咲き誇っていた。

杉良太郎さんも。もうこの年で、流し眼は通じませんよ、と笑わせ、またこれしかヒット曲がないんですと、”すきま風”。♪いいさそれでも 生きてさえいれば いつかしあわせに めぐりあえる その朝おまえは すべてを忘れ 熱い涙を 流せばいい♪遠山の金さんの主題歌ですが、自殺防止の歌でもあるんですよ、と笑わせる。

休憩があって第二部は、五木ひろしさんと小林幸子さんが、自分の歌ではないが、遠藤メロディーを交互に、あるいは デュエットで歌う。さすが、歌のうまさにはかけては当代きっての歌手、心地よく聞けた。新宿育ち、こまっちゃうな、くちなしの花、他人舟、夢追い酒、ソーラン渡り鳥、一週間に10日来い、浪曲子守唄、せんせい、お月さんこんばんわ、みちづれ、哀愁出船、若いふたり。あれもこれも遠藤実曲だったんだと、改めて驚いてしまう。小林幸子さんは、この間、3回も衣装の早替わり。こちらにも驚いてしまった。

そして、島倉千代子さん。からたち日記、襟裳岬等。ぼくも大好きな歌。そして、お待ちかね、舟木一夫さんの学園ソングメロディー。花咲く乙女たち、修学旅行、仲間たち、君たちがいて僕がいた、ああ青春の胸の血は、学園広場。ぼくの青春真っ只中の歌の数々。全部、今でもソラで歌えますよ。そして、最後は小林旭。アキラのダンチョネ節、ヅンドコ節、ソーレロ節、ついて来るかい、純子、ごめんね。来年年男だそうです。島倉千代子さんもそうだそうです(年男ではありませんが;笑)。ということは72歳になるのかな。宮本アナウンサーも、一回り下の、年男だそうだ。

大エンディングは、”高校三年生”の大合唱。歌手のみなさんも、ぼくら観衆も。みんな、心は、あの時代に戻っていた。

赤い夕陽が 校舎をそめて
ニレの木蔭に 弾む声
ああ 高校三年生 ぼくら
離れ離れに なろうとも
クラス仲間は いつまでも

残り少ない 日数を胸に (汗)
夢がはばたく 遠い空
ああ 高校三年生 ぼくら
道はそれぞれ 別れても
越えて歌おう この歌を

作曲家の遠藤実さんが亡くなられた1年後に、先日、作詞家の丘灯至夫さんがお亡くなりになった。小林旭さんが、遠藤さんが連れにきたんだよ、と笑わすと、舟木一夫さんが、”ということは、来年はぼくですか”と。大爆笑。楽しいコンサートだった。遠藤実さんも草葉のかげでお喜びになっておられたことだろう。

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喪中の葉書

2009-12-03 10:38:39 | Weblog
この春に母が他界したので、先月末、喪中葉書を出した。ぼくらが、いつも年賀状を頂く方のほか、ひとり住まいだった母が、親戚、友人等宛てに賀状を出していた方にも送らせていただいた。喪中葉書を受け取った方の中には、母の死をはじめて知った方もいて、ていねいに電話で弔意を示された方もいた。お仏壇にお線香をあげさせてくださいと、遠方から訪ねてくださる方もいた。今日の午後もそうゆう方がおられ、待機しているところだ。

早いもので、もう7カ月にもなる。悲しみもだいぶ薄れてきたが、ときどき、思いだしては、涙ぐむこともある。ケイタイの、母の最後の言葉は消さずに残しているので、ときどきは聴いている。母の手帳もかばんの中に入れてあるので、ときには開くこともある。

子供にとっては、母親はいつまでも永遠の存在なのだろう。生物学的にも、もちろん父親の遺伝子は必要だが、実際、胎児が成長するのは母親のお腹の中であるし、そこから生まれてくるのだから、父親より親密度が深くなるのは、当然のことなのであろう。一方、母親にとっては、自分のお腹を痛めた子は、どんなどら息子でも(汗)、あほ娘でも(笑)、可愛くてしようがないのではないのだろうか。

先日、友と明月院の紅葉狩りの帰り道、近くの葉祥明美術館に寄った。ほのぼのとした絵の中に混じって、”母親というものは”という葉祥明さんの詩が展示されていた。友が別の部屋にうつったときに(照れくさいので)、その詩をノートにメモしておいた。ちょっと、胸がつまってしまった。
。。。

母親というものは

母親というものは 無欲なものです 
我が子がどんなに偉くなるよりも
どんなにお金もちになるよりも 
毎日元気でいてくれることを 
心の底から願います

どんな高価な贈り物より 
我が子の優しいひとことで
十分すぎる程に幸せになれる

母親というものは 
実に無欲なものです
だから母親を泣かすのは 
この世で一番いけないことなのです

(老父母の金婚式のときに書いた詩) 葉祥明



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平山郁夫画伯逝く

2009-12-02 22:14:36 | Weblog


ふたりで新丸ビルの和食レストランで夕食を済ましたあと、東京駅の構内の新聞スタンドで、目に飛び込んできた、悲しいニュース。平山郁夫画伯逝く。

ぼくは昔から、日本画が好きで、暇人になってからはわりと幅広く作家を知るようになったが、現役時代は、東山魁夷など数人の作家にしか関心をもっていなかった。そのひとりに平山郁夫画伯がいた。退職後、鎌倉市民になり、より画伯に親近感をもつようになっていた。鎌倉宮から瑞泉寺に向かう道沿いに、お宅があり。そこを通るときには、いつも画伯のシルクロードの絵と、やさしいお顔を思い浮かべていたものだった。

本当にさみしいことだ。そういえば、今年はずいぶん、画伯の絵に出会った。この春には、近くの鎌倉芸術館で、鎌倉名誉市民になられた記念として展覧会が開かれ、最近の作品をみさせていただいた。夜(月)の昼(日)のシルクロードを行進するキャラバンの大作が、いくつも、それぞれ左右の大きな壁に展示され、なんとも印象深い作品だった。





その他、院展や、最近では奈良の薬師寺の玄奘三蔵院大唐西域壁画を観てきたし(記事にはしていなかったが、正倉院展に行ったとき)、ごく最近では芦の湖畔の成川美術館でも作品を拝見している。そうそう、八幡さまのぼんぼり祭りのぼんぼり絵も観たっけ。来年から、それも観られなくなると思うと、とてもさみしい。

79歳。ご冥福をお祈りします。
大船に着くと、空には、あのキャラバンの絵のような、満月が、しずかに輝いていた。

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新宿御苑 初冬の風景

2009-12-02 11:07:33 | Weblog
新宿御苑、初冬の風景。

フランス式庭園のプラタナスの並木。ぼくの好きな風景。
♪プラタナスの枯葉舞う冬の道でプラタナスの散る音に振りかえる帰っておいでよと振り返ってもそこにはただ風がふいてるだけ人は誰も恋をした切なさに人はだれも耐えきれずふりかえる♪ そんな時代もあったね。老いらくの恋の可能性もないこともないけど


枯葉いっぱいの公園も好き。
パリの、落ち葉いっぱいのリュクサンブール公園のベンチでワイフと座っている写真、それを今は亡き親父が色鉛筆画にしてくれた。今も部屋に飾ってある。よく似た光景だなと思って撮った。

陰と陽 インド洋の給油はどうなるのだろうか 

銀杏と幼稚園生 20年後の年金、よろしくお願いします。この世代、老人社会支えるの大変だろうな。なるべく早く姿を消そう 縄文時代のヒトの寿命は30歳だった。動物学的には、これくらいがちょうどいいのノダ。

タムケヤマ はじめタワケヤマと読んでしまった

真っ赤なもみじ。カメラマンがいっぱい。♪真っ赤に燃えるもみじだから初冬の公園は恋の季節なの♪ 今陽子さんは、いくつになったのだろうか。老いらくの恋の季節かな。

ぼくの好きなメタセコイアも色づいてきた。横浜山手のイタリア山も”行かねばならぬ、行かねばならぬのだ”。三波春夫の俵星玄蕃みたいだな。

水面にうつる木々もうつくしい。つやとはりがなくなり、しわだけが増えた中高年のご婦人も水面にうつすと少しはみられるかな


初冬からいきなり新春。水仙が真っ盛り。
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御苑の華 ハナノキ 

2009-12-02 09:40:02 | Weblog
昨日は、新宿御苑へ。第一の目的は、ハナノキだった。新宿門から入って、右側のカエデの紅葉のトンネルを越えて、少し進むと、左脇にその木はある。ハナノキの名の由来は、春の新芽が出る前に、紅い花を咲かせることからきているようだが、ぼくは、今の朱色や黄色に染まった葉が、まるで花のように華やかだから、そう呼ぶのかとしばらくの間、思っていた。

絶滅危惧種で、自生しているところはいくらもないそうだが、公園ではときどきみかける。ぼくがよく行く、大船フラワーセンターにも何本かある。しかし、御苑のハナノキの大木の豪華絢爛な姿にはとても及ばない。まさに、御苑の華だ。ちょうど見頃を迎えていた。

しばらくの間、四方八方から、ながめていた。

まず、全体像から。松園さんの”序の舞”のようなうつくしさだ

横からの姿にも品がある。

風雪に耐えた太い幹。でも、まだまだ青春。

落ち葉が一休み。

落ち葉まできれいね、と。

たしかに。

冬桜越しに。桜にも負けない華やかさ。

青空にも映える。


ハナノキは松園さんの”序の舞”の別嬪さんに負けないくらいの、御苑の華だった。また、来年も来るね。
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神宮外苑 銀杏並木と絵画館

2009-12-01 17:23:28 | Weblog
昨晩、あんなに痛飲したのに、二日酔いにもならず、元気に、大船始発、湘南新宿ラインで、またお出かけ(汗)。新宿御苑と神宮外苑。まず、夕食前にひと仕事(笑)。まず、外苑の銀杏並木と絵画館の壁画見学をご紹介します。

さすが、日本一の銀杏並木。左右二列、計四列の並木が整然と並び、また一本一本の姿が美しい。円錐形の、うるわしきお姿。横浜の日本大通りのとはちょっと格が違います。それらが、みな黄金色に輝き、今一番の見頃を迎えていました。

青山通り側からみた銀杏並木。奥に絵画館がみえます。


平日だというのに、この人出。


日傘をつぼめたような、うつくしい姿。剪定しているのでしょうか。


昭和63年当時の並木道。

昭和2年当時の並木道。


聖徳記念絵画館


10日ほど前、鎌倉の清方記念館で、”清方と巡る東京展”があり、その展示品に”初雁の御歌(小下絵)”が2枚ありました。絵画館の壁画の小下絵です。皇后さまの衣装が白いのと、青いのがあり、どちらが飾られているのか確認したかったのです。ちらしの絵の、白い方でした。実際の絵は4~5メートル四方ほどの大きさですので、小下絵とは違って、雁の姿、萩の花、皇后さまのお顔などがよくわかりました。明治天皇のご誕生からご崩御までの一生を、日本画40、洋画40、計80枚の絵が2室に壁画として並べられています。なかなか壮観でした。清方のは日本画の最後を飾っていました。身びいきになるかもしれませんが、清方のが一番良かったです。



はつかりをまつとはなしに この秋はこしじの空をながめられつつ

明治11年秋、天皇が北陸地方にご巡幸の折り、初雁の飛ぶのをご覧になりつくられた和歌です。それを清方が絵にしたものです。
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円覚寺&明月院 紅葉に酔う

2009-12-01 07:38:24 | Weblog
はや、12月。暦の上では冬。秋の日の最後、旧友と、北鎌倉の紅葉見物。最高の見頃を迎えている紅葉に酔いしれました。その夜は、大船の居酒屋でも酔いしれました(汗)。

円覚寺の紅葉








甘酒を飲みながら、向こう側の東慶寺を望む。銀杏が黄金色になっていた。


明月院




石庭と紅葉

丸窓からの紅葉。奥の苑に入るつもりだったが、3時に閉じるとのことで、ここからだけしか観られなかった。


5時に大船に帰り、小さな居酒屋で飲む。サービス券でまず生ビール(汗)そして、ぼくは熱かん大徳利(汗)。友はさらに生ビール。加えて二人で、またまた大徳利2本と、久しぶりにしこたま飲んだ。”必殺仕分人”のことや”沈まぬ太陽”のことや、”男類、女類、猿類”のことや、言いたい放題、飲み放題(爆)。大船の夜は更けていった。
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