今日、5月25日が米原万里さんの命日(2006年、56歳)であることを、昨日の鎌倉文学館で開催されている”米原万里展”で知った。感想文は、ご命日に書こうと、今、キーを打っている。展示は米原さんの一生を辿る構成になっている。よく知られているように、父親は日本共産党の国会議員だった米原いたる氏である。彼の仕事の関係で、少女時代をプラハで過ごす。そして帰国する。実妹の井上ゆりさん(井上ひさしさんの奥さん)によると、万里さんは建築家か獣医さんになりたかったそうだが、結局は入学しやすい外語大のロシア語学科に入った。
そして、卒業後はロシア語通訳となる。1985年の米ソ首脳会議のブレジネフの同時通訳でスタートをきった。そして、通訳業の傍ら、エッセイを書くようになり、二足のわらじをはいていた。しかし、お母さんの介護の関係もあり、2000年、ゆりさんも住む、鎌倉へ引っ越す。その日から著述業に専念する。建築家を目指したこともあるくらいだから、自分で設計した家を源氏山の麓につくる。そして、獣医さんを目指したくらいだから、犬を3匹、猫を5匹飼う(数字はうろおぼえです)。
鎌倉に移って、万理さんに変化が起こった。東京時代は”人は年をとると汚くなるばかりだから、きれいにしなければ、だめよ”と後輩に言い、実際、自分も濃い化粧をし、服装にも気をつかっていた。それが、鎌倉では毎日、フリースの上下に、スニーカースタイル、化粧もなしで、訪ねてくる友人たちは、一様にその豹変ぶりに驚くそうだ。
”終生ヒトのオスは飼わず”の著書があるくらいだから、生涯独身で通した。毛深い家族たち(犬、猫)と生活を共にした。”パンツの面目、ふんどしの沽券”と下着にも詳しい(爆)。ロシアには面白い小噺がいっぱいあるそうで、ユーモアのセンスはロシア人とのつきあいで磨かれたのかもしれない。さらに、義弟、井上ひさしさんの仕上げ砥石があったのだろう。”嘘つきアーニャの真っ赤な真実”、”不幸な美女か貞操な醜女か”、”ガセネッタ&シモネッタ”、”魔女の1ダース - 正義と常識に冷や水を浴びせる13章”等など、爆笑ものの、そしてぼく好みの表題である(大汗)。しばらく米原万理づくしの読書になりそうだ。