気ままに

大船での気ままな生活日誌

お月さまと遊ぶ 盃に映る月

2011-05-21 06:07:38 | Weblog

今日も3時に目が醒めて、用をたし、床(ゆか)に映る、ぼんやりとしたお月さまを眺めて寝床に入ろうとしたとき、はたとひらめいた(汗)。このお月さまを鏡に映すことができないか。そして、WIFEの鎌倉彫の手鏡をとりだした。床に置き、お月さまが映っているかどうか。な、ななんと、うつくしい、そのまんま南のお月さまが。お月さまが我が家に訪問してくれたような、喜び。

はじめ、床面のときと同様、暗闇でノーフラッシュで撮っていた。ふと、フラッシュでも可能か、と思い撮ってみると、床面とは違い、なんと、ばっちり写っているではないか。フライパンと卵の黄身みたいだな。

満足して、寝床に入った。うとうとし始めたとき、また、はたとある考えが頭に浮かんだ。そうだ、水に映すことも可能かもしれない。そうすれば、さらに拡大して人工池を室内につくり(幼稚園生用のプールでもいい)、そこに名月を浮かべ、よもすがら、観月できるかもしれない。その予備実験を行おう。ボールに水を入れて、月を映してみる。すると、水面が揺れている間は月も揺れていたが、落ち着くと、まさにお月さまが。今朝、PCでみたら、月のリサちゃん(兎のこと)まで映っているではないか。これも、フラッシュで撮れた。

そして、満足して寝床に入った。また変な考えが頭に浮かんだ。そうだ盃に月を浮かべると風流だな、と思い、起き出した。そして、実験。見事、お酒をたたえた小さな盃にお月さまを浮かべることができたのだ。しばらく観月し、祝杯をあげ、お酒を呑みほした。これはいい。秋になったら、名月を酒に浮かべて月見かな もできるぞ。

結局、朝が来てしまった。お日さまとお月さまに笑われてしまった。いい歳のおじさんがこんなことばかりして、遊んでていいのだろうか。

 

これから、箱根の、山のホテルの躑躅を観にいきます。 リサには黙って行きます。

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北大路魯山人展 in 平塚

2011-05-20 17:12:50 | Weblog

平塚市美術館でふたつの展覧会が開かれている。まず、こちらを紹介しようと思う。魯山人は大船の、山崎小学校の近くの山麓に住んでいたもあり、親近感もある。展覧会も何度か行っているし、気が向けば、小町通りの専門美術館いつでも観られる。だから、魯山人の作品は、ぼくの頭の中では、”日常的な”食器であったり茶碗であったりで、あまりコーフンしない。古女房のような感じといってよいだろうか。いつか高島屋日本橋で開催された魯山人展では、ポルトガルの貨客船アンドレ・ディトロン号の喫煙室と食堂用に描かれた、ふたつの壁画が里帰りしていたが、こういうのは、是非、観てみたいという気がする。

かといって、魯山人の、織部や志野や染付や備前等の茶碗や食器類がつまらないというわけではない。今回、世田谷美術館の塩田コレクションが平塚に勢揃いしているが、壮観だというしかない。膨大な作品を残しているが、雑のものがないのがすごいと思う。食器は飾っておくものではない、お料理をのせて、なんぼのものだ、という。また、器はお料理の着物のようなものだともいう、料理が主役なのである。美食家の集まる”星ヶ岡茶寮”を主催していたほどの無類の料理家だからだからいえる言葉である。だから、織部だろうと、染付だろうと器の形式にはこだわらないのである。実際、どこの展覧会でもお料理を載せた器の写真が同時展示されているが、今回もそうだった。大根や小松菜、茄子などが実においしそうに器に添えられている。お料理された野菜や魚たちが、居心地よさそうにしている。だから、誰もが居心地良く、うっとりした眼で眺めているのだろう。

めったにみられない、世田谷美術館の魯山人陶磁器のコレクションをみることができ、ラッキーな一日だった。もうひとつの、”画家たちの二十歳の原点”については別の機会に感想記をと思っている。

 

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床月観音菩薩半跏像

2011-05-20 08:07:08 | Weblog

ぼくは東慶寺の水月観音半跏像が好きだ。岩にゆったりした格好でお座りになり、静かに水面に映る月を眺めるお姿から”水月観音”の名で呼ばれている。ぼくのうちは、マンションだから、こういうふうに池に映る月を夜通しながめ、名月や池をめぐりてよもすがら(芭蕉)、なんてことは生涯できないと思っていた。ところが、今日、その疑似体験をやってしまったのだ。

ご多聞にもれず、ぼくも夜中に一、二度、トイレに起きるが(汗)、天気がよければ、そのたんびにベランダで月を観る。午後2時頃だったか、リビングが月明りでいやに明るい。そして、窓枠の影が床に映っている。影をまっすぐ辿ると、お月さまの方向に行くから、間違いなく月光による影だ。

そして、ぼくは、あっと驚いた。ぴかぴかの(WIFEがお掃除好きなので;汗)床に円形の光が輝いている。そして、それを辿ってみると、なななんと、お月さまが、床を池と間違えて(爆)、我が身を映しておられるのだ。お月さまが我が家を訪問されてるといってもよい。今日のお月さまの行路が低く、たまたま入られたのかもしれない。それにリビングの大部分はカーペットで覆われているので、露出した床部分は限られているから、めったにない幸運というべきだろう。

で、ぼくはうれしくなって、水月観音さまのように、片足をひざにのせて、床に座り、その床面(ゆかも)に映るお月さまを眺めたのだ。いってみれば、自分が”床月観音”になった気分だった。本当は、めったにないことだし、よもすがら座っていたかったのだが、つい、うとうととしてしまった。もしかして、”床面の月”が撮れるかと、フラッシュなしでシャッターを押してから寝床に入った。朝起きて、PCでみると、かすかに、証拠だけは写しだしていた。

朝5時に起きたら、南西の夜明けの空に、お月さまが、リサちゃん(うさぎのこと)をのせ、にっこりしてくれた。東の空に目を向けると、ちょうどお日さまが、いつもの寝起きのWIFEのように、ねぼけた顔を出していた。

すばらしい、床月観音菩薩半跏像体験だった。

東慶寺の水月観音半跏像

 

 

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疾走する五月

2011-05-19 18:35:17 | Weblog

最近、行ったばかりなのに、大船フラワーセンターは様変わりしていた。前回、最盛期だった芍薬が落ち目になり、前回もうひとつだった薔薇が最盛期を迎えていた。なんじゃもんじゃの白い花も、もう、見る影もなく、草花も”政権交代”をしていた。五月は普通の月とは違う。疾走する五月なのだ。

最盛期を迎えた薔薇園。マリアカラスも鎌倉も我世の春だった。


落ち目に入った芍薬園。ただ、がんばっている品種もいた。ただ晩生ということかもしれない。

これは、本当にがんばっている。倒木の大島桜。花を咲かせ、そして今、こんなりっぱなさくらんぼを。花も実もある、いい男とは、おまえのことだぜよ。

疾走するルピナス・ミラクルロケット

疾走する五月物語。(拡大すると物語になります)

 疾走も失速もしない、落ち着いた風景。

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ドクダミが咲いた

2011-05-19 08:03:32 | Weblog

昨日の散歩で、道端のドクダミが咲き始めたのをみつけた。今日はカメラをもって、出掛けた。一番乗りのドクダミの花を撮ってあげようと思ったからだ。ところが、みつからない。どこだったっけと、頭をひねりながら歩く。その場所でなくてもいい、どこにでも咲いているだろうと、公園に登った。公園にはクローバと猫だけが幅をきかせていた。また、大きなハナアブがおれの領分を荒らすな、と、つっかかってきた。こしゃくなやつだ。

ドクダミはひとつもない。残念無念と、ふと葛の葉っぱをみると、テントウムシが何匹か動き回っていた。てんとうむしも一週間ほど前から見るようになった。コバンソウもそのころから、小判をいっぱいつけるようになった。本当に、自然は目が離せない。次々と舞台に上がっては、あっという間に、去っていく。だから、ぼくは暇なのに、暇がない(汗)。

公園を下りてきて、車道を歩いていたら、あっと思った。その脇道にドクダミの群落が。そして、昨日みたドクダミの何十倍の花をいっぱいつけて、5月の舞台にデビューしていた。バレリーナのようだった。ほめすぎかな。そして、近くには、花だけみるとそっくりな、ヤマボウシがいっぱい花(本当は総苞)を咲かせていた。

5月の朝散歩は刺激的だ。

・・・・・

ドクダミ

ヤマボウシ(山法師、山帽子)

松嶺院でみた、源平山法師

コバンソウ これが小判ならば 大儲け

てんとうむし 水玉模様の 競演で

夜中にみた満月 ”ふるるばかりに春の月”でしたが、夜中で外に出られませんでした。

 

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英勝寺 山門復興

2011-05-18 10:31:48 | Weblog

鎌倉で惟一の尼寺、英勝寺。えっ、東慶寺も尼寺ではないの?かってはそうでしたが、今は男寺です。寛永13年(1636)に水戸家初代、徳川頼房の養母、お勝の方(のち英勝院)が建立し、水戸御殿とよばれるほど、りっぱなお寺だった。ここは、江戸城を築城した太田道灌(英勝院のご先祖)の住居跡である。

このお寺も、90年前の関東大震災で倒壊し、仏殿などは再建されたが、山門だけが今日まで残されていて、この16日に落成法要が行われたばかりなのだ。ぼくは、その日に見学できるものと思って駆けつけたが、その日は美術館でいえば、内覧会みたいなもので、関係者ばかりの集まりだった。一般の人は17日からというので、午後、訪ねてみた。

ちょうど、説明がはじまったばかりですよ、と受付の方が教えてくれた。ラッキーだった。たまたま、再建にかかわった方が、彼の関係者らしいグループに解説していたのだ。苦労話(ミーハーのぼくにはこういい話が面白い;汗)や専門的な建築の話など、とても興味深く聞かせていただいた。

倒壊した山門は、お寺で再建する財力はなく、鎌倉の篤志家に買われ、小町に移築されていた。それが売却されることになったので、01年に英勝寺が買い取り、今回の再建に至ったということだ。約1億5000万円の再建費用の捻出には、今回の説明者の献身的な努力によるところが大きい。彼は、解体した古材(10年間、寺の倉庫に保存された)を再建するという前提で、県の重要文化財に指定してもらったそうだ。それにより、県と市から8000万円の補助が出る、残りを寄付金等でまかなったとのことだ。

県重文指定は、仏殿、山門、唐門、鐘楼、祠堂のいずれの建物も受けているので、今回の山門再建で、勢揃いしたことになる。これだけそろっての江戸初期の建物があるお寺は、日本でも少ないらしい。山門自体も、(江戸初期の建築なので)桃山時代のおおらかさを残し、また尼寺らしい優雅さを供えた名建築ということだ。以下、写真でご紹介したい。

 山門全景。屋根の軒反りがなく、直線的。上層に高欄を巡らし、眼象窓(げぞうまど)と呼ばれる、しゃれた窓がついている。内部には阿弥陀仏三尊と十六羅漢が安置されている。

蟇股(かえるまた)の彫り物。かえるが足をひろげたような格好、その中に彫刻が。一番左は麒麟。あとは拡大していただければ、分かると思います。

当時の朱色がまだ残っている。古材である証拠。そして三葉葵のご紋、上層部、扉

そして、仏殿、唐門、総門、鐘楼、祠堂(お霊屋のこと)

 関東大震災で倒壊し、東日本大震災の年に復興。不思議なご縁ですね。
とても楽しい、そして勉強になった、”竹の秋”の午後でした。(写真は、境内の竹林です)

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森の貴婦人 大山蓮華

2011-05-17 18:17:44 | Weblog

今日もまた、円覚寺の松嶺院に。昨日、森の貴婦人、大山蓮華の花に出会えなかったからだ。ただ、大きな蕾をいくつか、つけていたので、今日は間違いないと踏んでいたのだった。午前中に訪ねた。な、ななんと、however、まだ蕾のままではないか。昨日より膨らんでいるけど。

比較的若い木で、垣根のそばの傾斜地に植えてあるので、垣根近くのものは、手にとることができる。それで、無理やり、蕾をこちら側に向け(少しうなだれて咲くのだ)、花弁を開き、花芯を露出させて撮ってみた。でも、いかにも、やらせみたいな感じに撮れて、満足いかなかった。そうだ、午後4時頃なら、と思いなおし、そこを去った。そして、昨日、ふられた英勝寺の再興した山門を観に行った(これは、運よく説明者がいて、最高の見学となった。明日、紹介します)。

そして、4時ちょっと前、再訪。やっぱり、予想通りだった。一本の木に3,4個の花が開いていた。午前中の、その花も開いていた。今度はそのまま自然体で撮ってやった。(あとのは、遠く離れていたり、向きが悪かったりして撮れなかった)。

(大山蓮華)

うつくしいです。純白の花弁と緑と赤茶色の花芯。一日花のようなので、明日はぼくのように老いぼれます(爆)。

さて、前日に撮った、明月院の朴の木(ほおのき)の花もおみせします。よく似た花ですが、こちらは、恐れ多くも、天に顔を向けています。ついでながら、受咲き大山蓮華も天を恐れぬ花です。大船フラワーセンターに、おすまいのようなので、明日、捜しにいく予定です(汗)。秦山木(たいさんぼく)も似てますね。いずれもモクレン科、モクレン属のようです。お仲間です、”原子力村”みたいなものです。(モクレン族の怒り。あんなやつらと一緒にするな)

(朴の木(ほおのき)

原子力村で思い出したけど、2号機、3号機もメルトダウン。空に海に大地に、大量の放射能を垂れ流しつづける、我が国。世界中の皆さん、動植物たち、に本当に申し訳ない気持ちでいっぱいです。そろそろ、中曾根元総理以下、歴代の元総理どの、全世界に対して、日本国民を代表して、謝罪すべきではないですか。もちろん、頭をまるめて、これまでもらった勲章もすべて返還、年金をもらっているなら、それも返還してください。こんな程度では足りないけど、やらないよりはましだろう。リサちゃんも怒ってます。(あたしたち、こどもがいちばんかわいそうなの!)

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肩すかしをくったけど

2011-05-17 08:36:07 | Weblog

昨日は肩透かしの一日だった、といえなくもない
はじめに入った円覚寺の松嶺院では
森の貴婦人とも呼ばれる、大山蓮華の花をみるつもりだった

ところが、貴婦人はごきげんななめで
昨日咲いたらしい花の芯をひとつと
翌日咲くらしい、白い蕾をいくつかしか
ぼくにみせてくれなかった

ふられたぼくは、急坂で亀がころげ落ちたというので
こんな名がついた亀ヶ谷切り通しを抜けて
扇が谷の英勝寺という尼寺に向った。

5月16日このお寺の山門が90年ぶりに再建され
その落成式があると知り、楽しみにしていたのだ

ところが、受付でことわられてしまった
檀家の人と招待者だけの式典だという
明日から一般公開します、といわれた

失意のぼくはそのまま鎌倉駅まで歩き
予定していなかった江ノ電にのってしまったのだ

一日にふたつの願いが肩透かしをくってしまったのだから
さびしい一日になるはずだったけど
そうはとんやがおろさなかった

途中、扇川という名の小さな川に
貴婦人のようなとはいえないけれど
江戸時代でいえば評判の町娘のような黄菖蒲がずらりと
まるで有名旅館のお見送りのように
どこまでもどこまでもぼくを見送ってくれた

稲村ケ崎では、貴婦人のようとはいえないけれど
娼婦のようなスパゲティーと
陽気なイタリア娘のような赤ワインをいただいた

そしてぼくは、貴婦人のようなとはいえないけれど
愛らしい、小さなうさぎのような苔にも出会えたし

鎌倉図書館の帰りには、貴婦人のようなとはいえないけれど
和田あきこのような、普段はがさつだけれど、
”あの鐘を鳴らすのはあなた”を唄うときのような、
雰囲気のある、桐の花を今年はじめてみることができた

肩透かしをくったけど、ぐっとこらえて、そのまま懐に入り、
相手力士を寄り切ってしまった、そんなおいしい一日だったともいえるかな

・・・
今晩の”稀勢の里、肩透かしこらえて寄り切りの勝ち 白鵬” となる予兆かもしれない
そうなれば、ぼくはまた稲村ケ崎のタベルナで娼婦風スパゲティーと赤ワインをたのみ
祝杯をあげなくてはならないだろう。








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うさぎ苔

2011-05-16 21:14:44 | Weblog

長谷の光則寺で、とても可愛い苔を発見。その名も、うさぎ苔。今年の干支はうさぎ年だし、とっても縁起がいい。鉢植えの苔。そこに小さな、白い花らしきものが、二、三輪。肉眼では、なんだかわからない。横に虫めがねがおいてある。レンズを通してみると、なななななんと、うさぎの耳が。うさぎが二羽、こっちを向いていたんでごわす。なるほど、うさぎ苔。はじめて観ました。どうぞ、ごらんください。


タヌキモ科ミミカキグサの仲間
学名 Utricularea sandersonii
根に1~2mmくらいの捕虫嚢があり、ミジンコなどを捕える食虫植物。花が兎ににていることからウサギゴケの和名がある。白花は6月 青花は11月ごろ開花します。花の大きさは5~8ミリ程度。

リサちゃんも連れてくれば良かったなあ。お友達になれたのに。(外野の声)リサちゃんって?

あたしはリサちゃんじゃありません、リスちゃんです。

帰りに、稲村ケ崎のイタリアン食堂(イタリア語でTAVERNA”タベルナ”というそうです;爆)で、娼婦風スパゲティー(PUTTANESCA) を食べてきました(爆爆)。時には娼婦のようにも、いいもんです。海を観ながら、テラス席で、赤ワインものみました。ひとりでゆっくり。リサちゃんを連れてこなくてよかったです。

 

 

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”津軽百年食堂”の風景

2011-05-16 09:12:48 | Weblog

弘前に桜を観に行ったときに、大森一樹監督の映画”津軽百年食堂”の舞台が、桜の弘前であることを知った。モデルとなった食堂も、実際、弘前で百年つづいている大衆食堂”三忠食堂本店”だという。現地で手に入れた弘前のマップには、その食堂を含め、市内の撮影場所がマークされていた。好奇心旺盛な(ミーハーな;汗)ぼくらは、そのいくつかを訪ね、食堂も本店には行かなかったが(少し、中心部から離れたところにあるため)、支店で名物の中華そばを食べたりした。

大森監督は、20年前にも弘前をロケ地にした映画”満月MR.MOONLIGHT”をつくっている。そしてこの映画になるのだが、原作(森沢明夫「津軽百年食堂」)を読んで、物語の舞台となる食堂名が”大森食堂”と自分の名前と同じであることを知り、この映画を弘前でつくる運命みたいなものを感じたらしい。

帰ってから、映画をみてからこの感想文を書こうと思っていたが、残念ながら、東京、神奈川での上映は終わっており、現在は、一番近いところで宇都宮まで行かねばならない。そのうち、鎌倉芸術館で上映されることを願っている(笑)。

公式サイトによると”本作は、東京で暮らす青年・大森陽一が、葛藤を乗り越え、百年続いた津軽の食堂を受け継ぐ重みを受け入れて、四代目となるまでを、初代・大森賢治の人生と重ねて描く心の物語。賢治の魂、その“娘”である祖母の思い、父の覚悟。それぞれの人生を生きたひとりひとりが、それぞれに受け継いで来た味と魂。彼らの心が、そして東京で知り合った七海の生き方や郷里の友人達との触れ合いが、陽一の揺れる気持ちに答えを出してゆく”とある。オリエンタルラジオ(藤森慎吾、中田敦彦)、福田沙紀が主演。

まずぼくらは、お城の東門に近い、三忠分店を訪ねた。写真でみる本店とやや異なる店構えだが、メニューはほぼ同じだ。ぼくは、中華そばとカレーライスのセット、WIFEは中華そばを頼み、カレーライスは半分づつ食べた。さすが、百年の味、昔風な味で、とてもおいしかった。もちろん、中には映画のポスターが貼られていた。

市内にいくつかの支店があり、桜まつりの季節には出店も出すと聞いたので、見つけ出した。映画でも、この出店が現れるらしい。撮影は去年である。桜まつりのシーンでは、先日紹介した、西濠の桜トンネルが出てくるとのことだ。

そして、弘前の街角。伝統を感じさせるお店が、あちら、こちらに。

弘前を舞台した映画といえば、”青い山脈”。5回も制作された名作だ。1949年の原節子、杉葉子、1963年の吉永小百合、芦川いづみ出演、が印象に残る。主題歌も永遠の名曲になった。弘前市立郷土文学館で”青い山脈”展が開催されていたが、時間の関係でパスしてしまった。

弘前という街は知的で文化的レベルが高い印象がある、大森監督の言葉だが、ぼくもそう思う。

青い山脈

【作詞】西條 八十
【作曲】服部 良一

1.若くあかるい 歌声に
  雪崩は消える 花も咲く
  青い山脈 雪割桜
  空のはて
  今日もわれらの 夢を呼ぶ

2.古い上衣よ さようなら
  さみしい夢よ さようなら
  青い山脈 バラ色雲へ
  あこがれの
  旅の乙女に 鳥も啼く

3.雨にぬれてる 焼けあとの
  名も無い花も ふり仰ぐ
  青い山脈 かがやく嶺の
  なつかしさ
  見れば涙が またにじむ

 

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