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気ままに

大船での気ままな生活日誌

木村荘八展

2013-04-24 10:49:26 | Weblog
生誕120年/木村荘八展が東京ステーションギャラリーで開催されている。ぼくは荷風の”濹東綺譚”の荘八の挿絵が好きで、挿絵入りの文庫本をもっている。だから、やっぱり、この展覧会でも、34枚もの濹東綺譚の挿絵がずらりと並ぶ部屋で一番、長く時間を過ごすこととなった。向島玉の井付近の雰囲気や、その風景の中の、お雪と大江の、その場面に添った姿の描写がとても魅力的だ。

昭和12年に新聞連載された”濹東綺譚”の文章は、荘八が挿絵を依頼されたときには完成していた。荘八はそれを貪り読み、集まった資料をもとに”オノレのウンメイはこれで極まる”との気持ちで、意欲をもって仕事に臨んだとのこと。渾身の一作だったのである。やっぱり残る作品には、魂がこもっているのだ。

回顧展であるから、彼の人生もはじめて知ることになった。明治26年、日本橋のいろは牛肉店に生まれ、長じて、同店の浅草支店の帳場を任されたが、明治44(1911)年、長兄の許しを得て画家を目指した。はじめ後期印象派に関心を示していたが、岸田劉生と知り合い、彼らとともにフュウザン会を結成。春陽会、パンの会を経て、院展を離れ、劉生からも脱出する。関東大震災後、日本の伝統的文化に目を向けるようになる。大正13年(1924)年以降、挿絵の仕事が増えるようになり、昭和12年(1937)に、代表作、”濹東綺譚”の挿絵を担当する。晩年は、杉並区和田堀に住み、自宅の窓の外の景色を描きながら、65歳没。



自宅でくつろぐ木村荘八の写真があった。雰囲気が永井荷風に似ていた。猫が三匹もいた。猫好きな大仏次郎と似ている。そういえば、”霧笛”など多数の大仏小説の挿絵を担当している。横浜の大仏次郎記念館でみたことがある。きっと、大仏の猫をもらってきたのではないだろうか(笑)。

挿絵ばかりでなく、”浅草の春”など油彩画も観られ、とても、楽しい展覧会だった。

・・・・・

濹東綺譚

(下の挿絵は東京国立近代美術館(MOMAT)の60周年記念”美術にぶるっ!”展で撮ったもの)




牛肉店帳場


新宿駅


浅草寺の春

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三春が桜の町というならば春日部は藤の町といってもいい

2013-04-24 08:44:03 | Weblog
村上春樹の”色彩を持たない多崎つくると、 彼の巡礼の年”が出版されてから、長いタイトルが気にならなくなった。今日も思い切り、長いタイトルにしてみた(汗)。今日、ワイフと一緒に遠出して、(埼玉の)春日部の町を歩いてみて、”三春が桜の町というならば春日部は藤の町といってもいい”と心から思った。

まず、三春の滝桜は樹齢1000年を越す、ご神木だが、これに匹敵する藤が春日部にある。こちらは樹齢1200年のご神木の”牛島の藤”である。ぼくも観たことのある、あの有名な足利フラワーパークの大藤の樹齢は、せいぜい半分の600年。だから、とびぬけた日本一なのである。もちろん特別天然記念物で、藤では唯一これが、日本樹木100選にも選ばれている。

そして、その”牛島の藤”の回りには、800年、600年、200年の、古木の藤がいくつもあるが、これも、三春の、滝桜の外、福聚寺の枝垂れ桜など多くの古木桜の存在とよく似ている。それに、春日部には駅前に大きな藤棚があり、加えて、おそらく全国を見渡しても、ここだけではないかと思われる藤棚並木が1キロに渡ってつづいている。そして、一般家庭にも藤棚をよくみかける。これも、せんだってのブログ記事で紹介したように三春も同様、町中に桜が溢れている。

大船から横須賀線で錦糸町へ、約50分。そこから半蔵門線が東武伊勢崎線とつながっていて、急行で40分くらい、乗り換えなしで、北千住を経由して、春日部に着く。ここで駅前の藤棚とふじ通りの藤棚並木を見物。藤うどんでなくて(笑)、讃岐うどんで腹ごしらえ。午後は、春日部から東武野田線で一駅の”藤の牛島”駅で下車。15分も歩くと、藤花園に着く。

藤花園は、個人のお宅の庭で、むかしお寺さんのあった場所らしい。そこの藤を代々、受け継ぎ、花の時期だけ公開しているということだった。お目当ての1200年の藤はどうだったか。まだ、三分咲きだそうである。花房はきれいな藤色に輝いているが、房の長さが、まだまだで、最盛期には2メートル近くまで垂れるそうだ(明治時代の若い頃には3メートルにもなったとのこと)最盛期はゴールデンウイーク。しかし、混雑が尋常ではなく、今頃のを静かに観るのもいいですよ、と係の人が言う。

さて、”牛島の藤”。九尺藤、野田藤。山藤に似てるが、つるは右巻き無毛、ほのかな香りがある。根回り十平米、藤棚の面積は700平米という巨大さ。

三分咲きでも、この見事さ。


見晴し台からでも、全貌を撮れない。これで一本の藤の樹。


1200年の根本




ほかの藤






何を撮ってるの?


春日部駅前の藤棚


藤棚の隣り。松とイチョウの合体 樹木界の歓喜天かな


春日部駅前の藤棚並木 一キロつづく




・・・
そうそう、忘れていたことがありました。”牛島の藤”はのんべーだそうです。お酒が大好きで、それが長寿の秘訣だそうです。本当ですよ、酒かすやお酒を肥料と一緒に施すそうです。

いろいろ発見のあった、楽しい春日部散歩だった。帰りに、両国のえど博の寄り、八重の桜展を観てきた。そのあと、ちゃんこやさんで、身体に十分のお酒も施しておきましたよ。
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待ってました! 弁天小僧&玉三郎

2013-04-23 08:42:24 | Weblog
やっぱり、歌舞伎座こけら落としの第二部がみたくて、月曜日、出掛けてしまった。もちろん幕見。2時間も並んで、何とか、立ち見だけど、チケットをゲット。とにかく、入場できて良かった。弁天小僧と玉三郎が観られたんだから。

弁天娘女男白浪、浜松屋見世先の場
”知らざあ言って聞かせやしょう”、と弁天小僧菊之助(菊五郎)が、振袖を脱ぎ払い、名せりふが始まるところで、客席から”待ってました”との声がかかる。ぼくも拍手。”浜の真砂と五右衛門が歌に残せし盗人の種は尽きねえ七里ヶ浜、その白浪の夜働き 以前を言やあ江ノ島で、年季勤めの稚児が淵・・名せえゆかりの弁天小僧菊之助たぁ俺がことだぁ!”

稲瀬川勢ぞろいの場
日本駄右衛門(吉右衛門)問われて名乗るもおこがましいが生まれは遠州浜松在・・人間の定めは僅か五十年、六十余州に隠れのねえ賊徒の張本日本駄右衛門
弁天小僧菊之助(菊五郎)さてその次は江ノ島の岩本院の稚児あがり普段着慣れし振袖から、髷も島田に由比が浜打ち込む波にしっぽりと、女に化けて美人局油断のならぬ小娘も、小袋坂に身悪い浮き名も龍の口土の牢へも二度三度、段々超える鳥居数八幡様の氏子にて、鎌倉無宿と肩書きも島に育ってその名せえ、弁天小僧菊之助
忠信利平(三津五郎)、赤星十三郎(時蔵)、南郷力丸(左団次)は全省略

この七五調の名せりふが聞きたくて来たようなもんだ。鎌倉の稲瀬川実は江戸の隅田川の舞台。舞台装置も、それぞれの場が華やかで満足。黙阿弥作の筋立ても面白いし、配役も豪華。これぞ、こけらおとし歌舞伎。待ってましたよ、弁天小僧菊五郎。江の島歌舞伎でも菊五郎と菊之助がそれぞれ弁天小僧を演じた。その碑と記念樹も江の島にある。



そして二つ目は、待ってました玉三郎!こけらおとしで玉三郎をみないわけにはいかないノダ。忍夜恋曲者(しのびよるこいはくせもの)、通称”将門”の舞踊劇。日本三大怨霊の一人、将門伝説。傾城如月実は将門娘(滝夜叉姫)を演じる玉三郎の踊りはさすが。でも四階席だったので(汗)、顔の表情がわからず、もう一つ。傾城如月が実は将門娘だと大宅太郎光圀(松緑)に見破られ、衣装を脱ぎ捨てる場面は、弁天小僧みたいでグー。屋台崩しで古御所が沈むところなんかも見もの。幕切れでは屋根の上の蝦蟇に乗る玉三郎の姿が出てきて驚かすが、ここでも四階席の悲哀が(笑)。幕切れが(玉三郎の)顔切れになってしもうた。



やっぱり行って良かった、待ってました!弁天小僧&玉三郎。これはNHKが撮っていたので、また、テレビでもみられるのが楽しみ。あと残るは第一部、これも幕見で行くゾ






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福島に桃源郷あり 花見山

2013-04-22 09:16:04 | Weblog
”福島に桃源郷あり”は、花見山を訪れた、写真家、秋山庄太郎さんの言葉。それ以来、一般にも有名となり、観光客が集まりはじめた。ぼくも、だいぶ遅れて、”福島に桃源郷あり”と叫んだのは、7、8年前か。それ以来、三春の滝桜とセットで訪ねることが多くなった。

今年も、滝桜をみて、郡山に泊まり、翌朝、福島に向かった。東口から花見山臨時バスに乗ると、15分ほどで、花見山に到着する。バス停から10分ほど歩くが、その間も園芸農家の花々が歓迎してくれ、そして、前方の花見山がだんだん大きくなってくる。桃源郷の導入部から、みんな、はや恍惚の人の顔になっている(笑)



そして、花見山の入口に。サザエさんがお出迎え。


さあ、花見山へ登ろう。せいぜい、150~200メートルくらいの山かな。三つくらいのコースがあり、自分の足と相談して決める。ぼくは頂上まで行く、最長コース。もともと園芸家さんの山だから、花木の種類がいっぱい。今、花盛りは、花桃、レンギョウ、ユキヤナギ、ボケ、紅色のもみじ等、桜ももちろん、サンシュユも。ひとつひとつの花を観るより、全体の色彩を楽しみながら、山中を巡礼するというところかな。村上春樹風にいうなら、”色彩を持つ花木がつくる山と、 彼の巡礼の年”(爆)。

では、巡礼の順不同で桃源郷の景色を。






















天国に着く(笑) 頂上下の休憩所。


吾妻連邦もばっちり


お花巡礼のゴールは、いつもここでお参り。不倒堂の達磨さん。花見山の園主、阿部さんの言葉も添えられている”七転び八起、不倒の精神でここまできた”これほどまでの桃源郷をつくり、無料開放で、たくさんの人を喜ばせてくれてありがとうございます。



来年も滝桜とセットで参ります。


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原節子桜の名残花はどうなったか

2013-04-22 09:11:38 | Weblog
数日前、大船撮影所開所記念桜並木の原節子桜が、唯一、2輪の名残の花をつけていることを報告した。すでに今年の名残桜チャンピオンになっているが、数年前、彼女自身のつくった最長記録、5月5日をぜひ更新してほしいと願っている。寒さがぶり返し、追い風となったところで、ぼくは桜界の神様、三春の滝桜さまに、その祈願に行ってきた。はたして、そのご利益はいかに。

朝散歩で観察に行く。原節子桜の下。おそるおそる見上げる。あった!あった!まだ2輪しっかりと花をつけていた。ありがとうございます、三春の滝桜さま、と合掌して目をあげた、すぐ上の枝の先に、なんと新たな花が!驚いたぼくは、ひょっとしてと、隅から隅まで、ずずいと目玉を動かしてみる。な、ななんと、さらに二つの花房。合計三つの花房が生まれていたのだ。この寒さの中で、なんという奇跡。愛の奇跡!ひでとろざんな!

三春の滝桜さまが、三つの春を下さったということ。これだけ、揃えていただければ、5月5日の新記録達成も夢ではなくなった。がんばれ、けっぱれ、原節子桜。

原節子桜の、新たに誕生した名残花三つ。




富士山も祝福してくれた朝


石の華も応援してくれた朝 力強い応援団だ、絶対散らない花だもん。


うれしい朝だった。さんくさろっと 三春の滝桜さま。
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三春町の福聚寺の枝垂れ桜をはじめとして

2013-04-21 11:51:31 | Weblog
村上春樹の新作、”色彩を持たない多崎つくると、 彼の巡礼の年”が、もう100万部も売れたそうだ。ぼくはタイトルだけマネして長くしてみた(汗)。ノーベル賞候補の村上さんは、芥川賞をとっていない。芥川賞をとった玄侑宗久(げんゆう そうきゅう)さんが住職をされている、三春町の福聚寺(ふくじゅじ)の枝垂れ桜が、今、満開だ。ぼくが、帰りの滝桜号のバス停、役場前で降りて、まず向かったのがこの桜。

福聚寺は、戦国時代に三春を支配した田村氏三代のお墓がある名刹。墓地が山の上までつづき、ぼくは山の上から墓地の中を下って、本堂に向かう。途中で、樹齢500年ともいう銘木が視野に入る。さらに、視線を左に向けると、少し、小さ目の、でも巨大な、樹齢250年の枝垂れ桜もみえている。

500年の枝垂れが


250年の枝垂れも


下まで降りると、大勢のカメラマンがレンズを向けていた。うしろの桜だってすごいのに見向きもしない。


その先には、”福聚寺の枝垂れ桜”が聳えていた。


この福聚寺の枝垂れ桜をはじめとして、三春町には2000本の枝垂れ桜がある。はじめて来たときは、びっくり仰天した。町中が桜だらけなのだ。滝桜をみて、おまけにまた、銘木の数々をみられるのだから、何度でも来たくなってしまうのだ。この日、廻った、いくつかの桜を紹介します。

桜谷枝垂れ桜もすばらしい。紅枝垂れで色が華やか。三春歴史民俗資料館の敷地内にある。


普通の家にも、家より大きな枝垂れ桜が。


泊まってみたいような旅館


八幡神社の桜




王子神社の桜


三春駅前の桜


その晩は郡山の居酒屋さんでひとり酒。郷土料理、じゃがいもの”味噌かんぷら”のおいしかったこと。鰹の刺身もベーコンの厚焼きもうまかった。カメラは宿に置いてきてしまったので写真はない。そして翌朝は6時に起き、郡山市内の開成山公園でお花見に。散り始めだったが、十分満足。隣接する郡山市役所は先の大震災で大きな被害を受け、改修工事をしていたが、この4月に再開したばかりとのこと。







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三春の滝桜 2013年 

2013-04-21 09:52:27 | Weblog
今朝のお天気ニュースだと、郡山は雪だという。ぼくは、郡山に一泊して、おととい三春の滝桜を観てきたばかり。散り始めの滝桜だったけど、存分、楽しめた。雪の滝桜もみてみたかった、もう一泊すればよかったなあと、悔やんでいる(笑)。

気まま生活に入ってから、毎年のように三春に出掛けている。あの2年前の大地震の一か月後にも、満開の滝桜に会いに行った。原発事故後の放射線量も気になる頃で観客は少なかったが、あのときは特別な感慨があった。大地震にも原発事故にもまけず、いつもと変わらぬ、堂々たるご神木だった。

郡山から、磐越東線で三春駅に。二時間に一本のその電車を臨時バス滝桜号が待っている。一台のバスでは間に合わず、もう一台を連ねて、滝桜に向かう。途中、三春町の2000本もあるという、りっぱな枝垂れ桜を観ながらバスは進む。ほかの地であれば、銘木だろうが、ここでは只の無名の桜だ。ガイドさん。このしだれ桜は、今年、はじめて名前がつきました、”ばば桜”です(爆笑)、婆桜ではありませんよ、地名の馬場です、とばあさんたちを安心させる(笑)。

町を抜けると、山々がみえ、農村風景となる。途中、二か所、原発事故で故郷を追われた人々の仮設住宅の横を通る。住宅の廻りの桜が満開だった。どんな思いでこの桜をみておられるのか、胸がつまる。

滝桜は今年も見事な姿をみせてくれた。ただ、満開を過ぎ、散り始めになっていた。そのせいか前方からみる滝桜は、少し、くすんだ色にみえた。誰かが”薄墨桜みたい”と言っていた(笑)。でも、この巨大な桜は、正面は散り始めでも、裏面や側面はまだ満開で、色も鮮やかだった。うしろすがた、横顔も観てくれ、と滝桜は胸をはる。

地元の福島テレビが、まだ、鮮やかな右側面の滝桜を前に撮影していた。説明役は羽田美智子さん。にこにこして、観客のカメラにもポーズをとっていた。(ネットでみつけ)”羽田美智子の不思議ちゃん発言”というのがあって、”私、自然と話ができるんです”というのがあった。きっと滝桜とお話ししたことでしょう。

まず、正面。姿はここが一番。色が少し褪せている。


向正面。(相撲好きなんで)背景の山々もきれい、桜の色もグー。


東。


西。


瀧桜。たしかに。


ご神木。祠も。


ご老体でも青春。


羽田美智子さん。


・・・・・
雪の滝桜もみてみたい。今年、咲き始めに雪が降ったそうだ。読売新聞にも写真が載ったとのこと。そして今日は満開雪桜か。


これは、冬に。


・・・

滝桜の上のソメイヨシノは満開だった。


また、来年も。

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原節子桜の名残り花 

2013-04-19 07:27:39 | Weblog
ここ数日、原節子桜に注意を払っていた。なぜなら、ぼくの散歩道の桜並木の中で、この桜だけ、まだ、二輪ほど花をつけているからだ。原節子桜は、2010年に、5月5日まで名残りの花をつけていたことがあり、これが、(松竹大船撮影所開設記念)桜並木の最長記録となっている。この時は初花も彼女だった。しかし、この年を最後に、ここ数年間、勢いがなくなり、初花は寅さん桜に譲り、名残り記録は破られないものの、名残りの桜の地位は、ここ2,3年、司葉子桜に奪われている。

しかし、今年はちょっと様子が違う。初花こそ遅かったが、その後の咲き振りは見事なもので、往時の美貌をほうふつさせるようだった。そして、名残の花である。ライバルの司葉子桜も岸恵子桜も1週間ほど前、最後のひと花を散らしている。

今年の名残り桜大賞の受賞は決定したが、あとは記録である。今年は、例年より10日も早い、開花だったこともあり、新記録更新は困難が予想されるが、がんばってほしい。できる、できる、絶対できる!寒さがぶり返してきたことも有利な条件だ。

で、今日、これから、桜の神様、三春の滝桜さまに、新記録達成のお願いをしてこようと思っています。一泊して、ついでに福島の花見山も。

では、行ってきます。

原節子桜、名残りの二輪


原節子桜の全身像
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フランシス・ベーコン展

2013-04-18 10:56:05 | Weblog
フランシス・ベーコン展は、たしか、千鳥ヶ淵の桜が満開になった3月23日にみているから、もうひと月近くになる。この時期は、お花見記事優先で、ついつい美術展記事は後回しになってしまう。大分、時間がたっているので、それに図録も買っていないし、詳しいことは思い出せない。ぼんやりと覚えていることを、記録しておこうと思う。

ベーコンの言葉が展示室の壁に書かれていて、そのいくつかを出品リストの余白にメモをしていた。こちら側/あちら側。人間/動物。聖/俗。人間は進化(あるいは退化)の過程にある。こんな言葉を聞くと、16世紀に同姓同名の哲学者がいたが、20世紀のこの大画家も哲学者のようだ。自分の哲学を文章であらわす代わりに絵であらわしたんだろう。

ふーん、そうか、そういう視点でみれば、どの絵も、どれかの言葉に当てはまる。絵はどんな風にみてもいい、自分勝手にみればよいと思っているから、馴染みがあまりないジャンルではあるが、結構、楽しめた。びんびんと心に響いてくるという人も多いが、ぼくはそこまではいかない。観客はさすがに若い人が多かったが、現代の若者はそういう感性が鋭くなっているのだろう。

”哲学”なしで楽しめたのもあった(笑)。ベーコンが尊敬していたという、ゴッホの肖像画。ゴッホ終焉の地、オーベル・シュル・オワーズでみた、オシップ・ザッキン作のゴッホ記念碑とよく似ていた。写生道具を背中にしょって歩く長身のゴッホ像。絵と彫刻の雰囲気が似ている。ゴッホは歪む教会を描いたが、ベーコンは歪む顔を描いた。

”哲学”とまでいかなくても、あの歪んだ顔は、ぼくが、あのとき、ああすればよかった、余計なことを言わねばよかった、はずかしいことをしてしまったとか、を思い出したときに、ふと心の中に浮かぶ自分の顔とそっくりだ(汗)。

とにもかくにも、ピカソと並ぶ美の巨匠の、没後アジア初の回顧展という、めったにない豪華な展覧会を観ることができたことはうれしい。







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金蘭 銀蘭 東御苑

2013-04-18 08:10:21 | Weblog
おはようございます。さて、まず朝一の記事は、昨晩のつづき、東御苑の花々。

金蘭、銀蘭は、咲いているかどうか。今回、ぼくが出光美術館で又兵衛さんの光源氏と業平を観てから、東御苑に向かった一番の理由はこれ。つつじは確かにすばらしいけど、昭和天皇の発案でつくったという、武蔵野雑木林内にひっそりと咲く、金蘭と銀蘭の魅力も捨てがたい。

ヤマツツジが咲く雑木林の小道を歩く。すぐエビネはみつかる。そして、白い小さな花をうつむき加減につけているチゴユリの小さな群落も。この調子なら、咲いているはず。むねはときめき、こころはかるく、さいくりんぐさいくりんぐ、やほーやほー。はあ?

み、見つけた! き、金蘭だ!つつつつと弱法師のごとく駆け寄る。小さな黄色い蕾をいくつもつけて、大きく膨らんでいる。あと一歩だ。でもこれで十分。


そして、お次は銀蘭。見付けやすいように、枯草などはのけられてあるが、簡単にはみつからない。目を皿のようにして、みつける。前方に50代くらいご婦人がしゃがみこんでいる。つつつつつと近づくと、そこには銀蘭が。これも、開花寸前のもの。一度、みつかると、次々と目に入ってくる。そんな楽しい作業を30分ほどつづける。ふと思い出した。元職場に隣接する雑木林にも咲いていたっけ。それが、翌年からなくなってしまった。蘭好きがひっこぬいていたといううわさ。とほほ。

家内も金蘭と銀蘭が大好き。偵察隊として派遣されている私メとしては(汗)、写真メールを送り開花状況報告書に代えた。土曜日か日曜日に行くと言っていた。その頃は見頃でしょうネ。

金蘭




銀蘭


稚児百合




えびね


黄えびね


草いちご


錨草


雑木林を出ると

シャガの美女大軍


フジはあと一歩


牡丹




すばらしい東御苑だった。一年で一番いいときかもしれない。
そのあと、東京ステーションホテルギャラリーで木村荘八展も楽しんだ。今日も、丸もうけぞよ娑婆遊び、だった。

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