おはようございます。
昨日は北鎌倉のお寺で紫陽花、イワタバコ、山百合を見た後、鎌倉駅前の中華料理屋さんでランチを頂き、そのあと、家内と別れ、ぼくは妙本寺に向かった。近所で凌霄花が咲き始めていたので、妙本寺の凌霄花の様子も見てこようと思ったのだ。それともう一つ、最近、本棚から取りだして久しぶりに読んだ”かまくら今昔抄60話(清田昌弘著)”で知ったことを確認したかったこともあった。
それは、参道脇の巨木の古い切り株(露出根)のこと。説明板もないのだが、いかにも由緒ありげな様子に何度も写真だけはとって、あるいは一度くらいブログに写真を載せたこともあったかもしれない。
山門に向かう参道の左側の石段の手前にその切り株はある。

これが、その切り株(露出根)。

横から見る。

これは、かって杉の巨木で、徳川家康の側室、お万の方のお手植えの杉だったそうだ。お万の方の子息はそれぞれ、紀州徳川家と水戸徳川家の始祖となり、大奥で絶大な勢力をもっていた。お万の方は、池上本門寺の十六世日遠上人に篤く帰依していたが、上人が比企谷(妙本寺)に隠棲すると、しばしばこの地を訪れた。その縁で妙本寺に伝わる日蓮の曼荼羅本尊(弘安3年3月)を金襴で修理した。そして、そのとき、紀州熊野杉がお手植えで植えられた、とのこと。
戦前は深山幽谷の趣きのあった参道に、際立って目立つ杉の巨木が何本も聳えていた。わけても石段下の一本は参道の切り下げで根方が露出し、大根が岩肌をへばりつくように左右に長く張り出していた。幹は直径1・5mもあったろうか、その中心にはウロが出来ていた。と、ある。まさにその描写の通り、今も古根が露出し残っている。
何故、切られたのか。戦後まもなく、妙本寺の68世日雅上人は境内の整備に取り掛かり、雨漏りのひどい祖師堂の茅葺き大屋根を瓦に替えるのが大事業だった。資金不足から立ち木の処分が決まり、その中に、倒木の危険もあった樹齢300年のお万の方の杉の木も含まれたというわけ。
たしかに現状を見ると、根がこれだけ露出していれば巨体をささえることは出来ず、いずれは、八幡さまの大銀杏のように倒木した可能性は高いだろう。
さて、もうひとつのお目当て、山門うしろの凌霄花はどうだったか。お万の方の杉を横に見て、石段を昇ると山門へ。

山門の向こう、左右に凌霄花が。

なんと、ひとつも咲いていない。

つぼみが一つだけ膨らみかけていた。あと、見頃まで、10日ほどはかかるのでは。

突然、現れた黒猫。ゆうぜんとしている。お万さまの化身か。

お万さまと呼んだらにらまれた。

日蓮上人がわらっておられた。

お万さまの杉で終戦後の危機を乗り越えた祖師堂で一休み。ここは涼しい。読経とウグイスの声も聞こえて、つい、うつらうつら。

歴史をもっと遡れば、鎌倉時代、ここは北条氏に滅ぼされた比企家の本拠地。比企の乱で生き延びた比企能本が日蓮上人に頼み、土地を提供し、比企一族を弔うために妙本寺を建てた。
比企一族の墓地の前の紫陽花が咲きそろっていた。

総門前の比企谷幼稚園(建物は妙本寺の大円院だった)は今日、紹介した著者の方も通った幼稚園。大杉の根元のうろがタイムカプセルのように見えて、ここに大事な松ぼっくりを隠したそうだ。

鎌倉も賑わいが少し戻ってきた。よかった、よかった。

それでは、みなさん、今日も一日、お元気で!