まろねふの廊下からの呟き

中年オヂさんの呟き転じて、人生備忘録となる…

電車が空からやってきた日

2024年10月19日 | プリントスキャン画像

古い写真のスキャン第2弾。

空から電車がやってきた日、1999年3月15日です。

 

日本では2番目の導入となる超低床電車5000形をドイツより輸入して走らせると公表し世間を賑わせましたが、その輸送方法で更に驚いた方も多かったのではないでしょうか?

当時、社内ではロシアの軍用機で電車を運ぶと噂が流れていて、どんな姿で運んでくるのか大いに興味があったので、有休を取って友人たちと広島空港へ向かいました。

軍用機と聞いて、カーキ色の大型輸送機を想像していましたが、やってきた機体に・・・?

本当に停まれるのかと心配になるくらいの勢いで着陸し、谷へ落ちやしないかとヒヤヒヤしながら見てました。

後年の社内報の回顧録で、「滑走路は短いけど、積荷は戦車より軽いから着陸できる・・・」と関係者が言っていたとのこと。

駐機場(?)に到着。

関係者がワラワラと集まり・・・

輸送トラック

最初に降りてきたのはクルーでしたが、コック帽を被った人に???

ビックリドッキリメカ登場・・・ではなく(笑)

見えました。

おぉ~ 顔が見えん。

積み込みが終われば・・・

通関手続きへ。

ここまで見届けて、一旦広島へ戻りました。

夜、再び広島空港へやって来ると、フェンスが邪魔だけどイイ感じで駐機してたので思わず撮影。

江波車庫への移送をここから追っかけます。

深夜の国道2号線を西下。

海田の呉線ガード下を慎重に通過。

ガードまで30㎝あるかないかの隙間で無事通過。

舟入本町交差点を左折して、電車通りを南下して江波車庫へ搬入されました。

江波車庫で組立、ラッピング作業を行い数日後の深夜に荒手車庫へ回送。

江波車庫からは800形(車号は失念)の牽引で出発し、その後ろから3803号が追いかけます。

十日市交差点手前で停車し、800形を切り離して後続の3803号と連結し、十日市の亘り線を使い下り線へ転線し荒手車庫へ向かいました。

ここまで牽引してきた800形は、作業の邪魔になるので横川まで行って折り返したような気がするけど覚えていません(汗)

土橋分岐から小網町方面へ。

荒手車庫へ向かうことなく、ここで撤収しました(多分・・・記憶がない)

 

5000形の登場は賛否両論がありましたが、広電の超低床車両の礎となった車両には間違いありません。

導入から数年後には千田車庫にも5007号、のちに5012号が1号線でも運行され、横川駅停留場移設開業記念式典では、5007号が記念車両として横川駅~原爆ドーム折返しで運行されました。

 

5000形も諸般の事情で休車が多くなり、聞けば普段動くのは5011号だけだとか・・・

以上、オヂさんの思い出話でした。


北斗星と夢空間

2024年10月13日 | プリントスキャン画像

工作意欲が余り無かったので、久しぶりにプリントをスキャンしてみた。

今後は少しずつ古い写真をスキャンしてデジタル化を行い、少しずつでも公開していこうかなと思ってます。

デジタル化によってアルバムを減らし、物置を整理したいのですが、一体いつになったら終わるのやら…(汗)

 

1992年4月4日~4月5日、TAP山陰路観光キャンペーンの一環として、「夢空間」が上野から上越線~北陸線~小浜線~山陰線経由で出雲市までやってくると聞いて、有休を取って出雲市駅へ撮影に行きました。

出雲市到着 牽引機はDD51-1106号機

最初で最後となった、北斗星用の客車との出会い。

夢空間も最初で最後だった…

オシ25-901

オハフ25-901

オロネ25-901

オロネ24‐501

オロハネ25-501

オハネ24-3

オハネ25-231

オハネフ25-14

カニ24-510

パッキン不良による光漏れで眠たいだけの醜い写真ではありますが、今となっては懐かしい思い出…

こんな列車は二度走らないでしょうね…

この日の動画はこちらからどうぞ。

 

【追記】

1992年4月4日 実見:出雲市駅

  DD51 1106 米
  カニ24    510 盛アオ
⑧ オハネフ25 14 東オク
⑦ オハネ25   231 東オク
⑥ オハネ24       3 東オク
⑤ オロハネ25  501 東オク
④ オロネ24   501 東オク 
③ オロネ25   901 東オク
② オハフ25   901 東オク
① オシ24       901 東オク